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「書く」という解放

note初心者の私が、最近気づいたこと。

私は本を読むのが好き。
なので誰かの言葉・文章を受けとることは日常。

なんだか心がもやもやしてしまうような時、それを解決する方法として、本を読むという解決方法を取ってきた。
その時々に応じて、解決の糸口になりそうなテーマの本を選んで。

もやもやしたことを誰かに話そうとしても、はなしことばにしてしまうと何かしっくりこない。
時には相手との誤解がうまれ、さらにもやってしまう事もしばしば。
人に自分の気持ちを伝えることの難しさを痛感してしまう。

そんな時、ふと思い立ってこのnoteに書いてみる事にした。

ここでの私は、匿名のだれか。
いつもはちょっと気恥ずかしくて素直に表現できないようなものを思い切って文字にしてみた。

誰が見ていなくてもいい、ただ文字にしてみたかった。

そんな風にしていくつか文字で表現してみると、思いがけないことに気が付いた。
テーマを決めて何かを言葉にしてみると、普段の自分の思考回路より一段深いところまで下りていける気がする。
自分の心の中の隅々をもう一度見つめなおしているような。
いつもは見逃しているような小さなことを虫眼鏡で観察しているような。

そして、そんな風にしていちど文字にした文章を自分で読み直すのは、まるで自分の心を遠くから俯瞰で眺めているようだ。

それからもうひとつ気づいたこと。
自分で言葉を使って文章を作ったあとは、なぜか心の中がすっきりしている。まるで、軽い瞑想をした時のように。

私は手を動かして作業することが好きなので色々な「もの」を作るが、言葉で文章を作るのも、「もの」が完成した時の達成感と同じだということに気がついた。

今まで人の作品を読むことばかりで、自分で文章を作るのは学校時代の作文以来な気がするけれど、やってみるとこんなに面白いものなのかと驚いた。

そして学校時代と違うのは、だれにも批評されたりしないこと。
良い・悪いの成績をつけられたりしないこと。
自分の好きな事について好きなように書いてもいい、というのはなんて自由を感じられる行為なんだ!と改めて感じた。

どんなテーマや形式であったとしても、思い立って言葉を書き連ねてみると意外と難しい。どうしても「考える」という行為が発生する。
それも、意外だった。
そして思ったのは、頭の中の思考は常に流されてしまうけれど、文章にすることでその流れに対抗することができるのだということ。
思考が流されないという事は、そのことについてさらに深く考えを深めていけるという事。

逆に言うと、忙しい毎日の中でたくさんの思いや考えがどんどん流されてしまっていたという事だ。
毎日、溢れるたくさんのニュースや情報に、いつの間にか流され続けている私。

文章を書くことで思考の軸を周囲ではなくて、自分に戻すことができるようになった。つまり、自分を見つめる時間を取り戻した。

そして、それがどんな拙い文章であっても、それは私自身が生み出した考えや言葉。それを踏み台にして私はさらに思考をひろげることができる。

言葉で文章を組み立てること、「書く」ということは自分自身をたくさんのものから解き放つ事だった。
そんなことに今さらながら気が付いた。
私はもっともっと、自分の言葉を集めたいし、それをどんどん解放したい。
これからも。



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