「自分の不快を他人に押し付け」ない

今回も提唱者みたいな(というか いちINFJ的な)記事書くのですが、題材か超ネガティブです。
苦手な方、そんな気分でない方、引き返すなら今ですよ!

タイトルは、本当に些細な出来事にイヤな気持ちになって、モヤモヤしている時に、急に降ってきた言葉だった。

私は、「自分の不快を他人に押し付ける人」が嫌いなんだ。

最近は、自分で意識して、自分の気持ちを言葉にするようにしている。
良い気持ちも悪い気持ちも全て。
今日の場合は、イヤな気持ちに支配されないようにするために。
1 何が嫌だと思うのか、
2 どうして嫌だと思うのか、
これらを明確にして、言葉を使ってラベリングしていけば、イヤな気持ちを、その感情の引き出しを作ることで収納できる。
感情を理性的に扱えるようになる。

実は出来事は本当に些細で、
祖母に半纏の紐を結びなさい!といわれて、
めちゃめちゃ反発心が起こった、というだけ。
(一応表面的には、軽く謝ったうえで直す、という対応をした。顔は引き攣っていたかもしれないけれど。)

こんなんさっさと言うことを聞いておけよ!
って思われそう。
本当に、理性的な自分はそう思ってる。
だけど私、そうやってイヤな感情を押さえつけることこそ うつの始まりであると、骨身に染みて理解している。
だから私は、イヤな気持ちであっても、きちんと整理して、大切に収納するようにしている。

だから、今回の記事は本当に自分のためだけのものだけれど、
私のラベリングによって、誰かのモヤモヤに名前をつけることが出来れば、
私にとって、本当に身に余る喜びです。

まずは、何が嫌だったのか。
私は別に、他人に指図されたり、注意されることが全て嫌いな人間ではない。ではなぜ、今日の言葉はイヤだったのか。
祖母は、社会人手前にもなって、家でだらしない格好をしていてどうするん!と言っていた。
私はその言葉の奥に、
(自分が見ていて不快だから、直させたい)
という意図を感じてしまった。
この意図が、私の許容範囲のボーダーラインを超えてしまったのだ。
そのボーダーラインは、この出来事がきっかけで、言語化して認識することができた。
それは、
「自分の不快を他人に押し付ける」と、
「相手を自分の思うようにコントロールしたい」
だ。

「自分の不快を他人に押し付ける」とは、恐れずにいうと、
自分の不快の原因は全て周りにある、という考え方。
悪意のある例えだけれど、
自分の暮らし向きが良くないのは全部政府が悪いとか、
あの人の行動が私を不快にさせる、とか。
相手方からしたら、迷惑な誤解もいいところ、って思わないだろうか。

目では見えないものを見る|あぶさん #note https://note.com/hirakage/n/ndd7dd8460e33

この記事で
「敵を見誤るべからず」という提唱をした。
私にとって、「敵を見誤るべからず」と「自分の不快を他人に押し付ける」は対義の概念です。

話がかなり逸れた。
次はどうして嫌だと思うのか。
これは、私が基本的に、
「他人はコントロールするものではない」
という信念をもっているからだと思う。
だって、他人を無理やり型に嵌めるって、自分にも相手にもストレスかかるし。
出来るか否かを左右するのは相手なんだから、
どんなに苦労して型に嵌めようとしても、
相手がNoと言えば、すべて徒労に終わる。
そんなことに労力を割くって、無駄じゃない??って思ってしまう。

コントロールを全否定するわけではない、
必要な支配なら、むしろ私は従順に従う方だとすら思う。何なら、自ら積極的に“協力”しにいくことが多い。必要なものなら、ね。
今回の件では、必要なものだとは思えなかった。

家での身だしなみが社会での身だしなみになる、というのは正直飛躍しすぎだと思うし。
私みたいな、オンとオフをきっちり分けたい派にとって、「日常から他人に見られているつもりで」なんて無茶。すぐにガス欠になって、いずれ病むもの。

ここまで整理をして、やっと、自分の気持ちを収納できた気がする。

本当に困るのはここから。
これから自分のモヤモヤを晴らすために行動するのか、私が我慢して相手に合わせるのか。

試練はつづく。

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