子どもが子どもを取りもどす
子ども時代に過ごせる時間は、取り戻せません。
なに言ってるんだ?とお思いになられた方もいるかもしれません。子どもに戻りたい、と思っても、年齢は戻すことができません。「子ども」を「子ども」として過ごせる時間が、すごく大事だと感じるこの頃なのです。
学童は「子どもを取り戻す」時間
ぼくが「なんだか子どもだなあ」と感じる場面は例えば…
・水たまりに突っ込んでバシャバシャ遊ぶ
・おやつのプリッツを口に複数突っ込んで「鬼」とか言ってみる
・変な叫び声を(人に迷惑をかけるギリギリラインまで)出してみる
などなど…
子どもの目に映ることは、1つ1つが新鮮。その新鮮さは、一般的な大人が感じる500倍ほどでしょうか(ここは適当)
何が言いたいかというと、ほとんどの大人は「子どもの頃にもっていた世界の見方をもう忘れてしまっている」わけなんです。悪いことではないですが、「どんなに子どもの立場に立とうとしても、子どもの立場になりきることはできない」んです。
いろんな理不尽さ、世の中の常、見逃せないものetc そんなことを踏まえて、それでもなお輝けるから大人って楽しいわけなんですが。
それでも、子ども時代にしか楽しめない景色がある。僕らは、その子ども時代をいい感じにサポートしつつ、奪いもしていない形で応援できているだろうか?
学童にいるとそんなことをヒシヒシと感じるわけです。
なんとなく辞めさせてしまう目の前の遊び。大人にもいろんな事情があるのは当然。でも、子どもにも事情がって。
だからといって、大人の事情を伝えていけない、という意味ではないんです。むしろ、ぜーんぶ包み隠さず説明すればいいと思っています。
子どもが察知して、嫌がると思うことは「自分の言うことを聞かせよう」としてくる大人の意図。意外とここには敏感なんだよなあ。
子どもが言うことを聞いてくれなかったどうするの?
もう、正直に「これだけは言うこと聞いて」って言ってみる。「これだけは」って思うことって、それぞれの人が持っているはず。でも、あれもこれも、って「これだけはお願い」って、ふつー言わないですよね(笑)だから、これだけは、って思って伝える時点で厳選するはず。そこまであなたの心に残ったものだったんなら
(その人の人格を傷つけない範疇で)自分の思っていることを言ってもいい
んですよ。
でもね、でもね。
子どもが自分の考えを伝える場面も用意しておくのも大切。
別に大人が譲る必要はありません。「ああ、そうか。君はそう思ってたんだね。でも今日はこっちにしてお願い」って。一旦受け止めて、時には受け流して、協議して…
子どもが大人になるのは「まったなし」
でも、子どもが子どもでなくなるのも「まったなし」なんです。
どっちを大切にしますか?なんて野暮なことは聞きません。だって、どっちも大切なんですから。
どっちも大事にするなんて、可能なんですか?
可能だと思って、突き進んでいくしかないでしょう。
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