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宿題がないとかあるとか、多いとか少ないとか

ボクが勤務する地域では、夏休みが終わり、新学期のスタートです。学童に勤めていて、あるいは教員時代でも良く考えたのが、

「宿題の有無、あるいは量や内容について」

こんなことについて、一緒に働くスタッフさんと話していたので、まとめてみました。

1 そもそも宿題って何よ

・家庭での学習習慣を身につけるために取り組むもの

と良く言われます。それはそれは大事な定義で、これ以上の大義名分を見つけることはなかなか難しいでしょう。その上で、

・宿題は、ある意味では残業である

と言う、誰かの意見に同意したりもします。「学校で終わらなかったから、身に付かなかったから」ような宿題の出方もしたりします。つまり、宿題の量が日々変動するということ。これはなんだか、先生の仕事にも似ています。

今日は〇〇をやろうと思ったら、急な対応をしなくちゃならなくなった。

などなど、先生の残業と子どもの宿題はイコールな感じ。しかも決してお互いに嬉しいものではないですよね。

自主学習などの、とっても子どもがノリノリ、先生の学習を導くマインドが素晴らしい取り組みもたくさんありますから、「宿題は悪」というつもりはありません。

でも、日々の授業と宿題と、子どもの姿をじっくりと捉えて考えたときに、宿題がどんな役割を果たしているのか、少し立ち止まっても面白いかな?と思うのです。

2 宿題が「叱る材料」になっていないか?

ぼくの基本スタンスの1つに、

「子どもを叱る材料は、事前に減らしておきたい」

というものがあります。これは、危険予測みたいなもの。自分が毎日楽しく先生として過ごすためには、叱ることにエネルギーを注ぐのは少しもったいない気がしています。

叱ることで、得られるものもあれば(注意喚起、意識づけ)、失うものもあるからです(それまでポジティブだった空気が一回白紙になる)など。

宿題だって「頑張ればやれる量」を提案して、もし取り組み切れなかったら、提出できなかったり、答えをうつしたりします。そうするとやはり

「提出できないのはなぜ?」「なんで答えを写したの?」

などと、頑張らなかったことや、答えを写したことについて問い詰めることになります。こんなことしたい人なんて、本当はいない気がするんですよね。

だから、

このくらいならできるだろう、という最低限のラインで宿題を止めておいてあとは「プラスオン」「オプション」にする

このようにすれば

・自分で選んで取り組んだんだね!
・君はこういうことが得意なんだね!
・あなたの意外な面が知れたよ!

などと言うように、「ポジティブなフィードバックをする」対象になるからです。

ここで敢えて「すごい」と使わなかったのは、何がすごいか?どんなことがすごいか?すごいと思ったその人の意見な何か?が分かりにくいから。

具体的な行動にフィードバックしたり、自分が感じた気持ちを少し具体的な表現にして伝えることで、子どもの中に「自分を励ます言葉」として残っていくはずです。

3 宿題をなんとか頑張ったその先にあるものは?

自分自身の過去がそうだったのですが、「自分はなんとか学校の宿題を全部やった!」という努力した記憶が残っているわけではないなと思うのです。

・あの人はやってこなかった
・宿題をやってこなかったダメな人
・俺は宿題をやってきてすごい

みたいな発想になることが多くって。この発想って、自分が自分のやりたいことをかなり犠牲にして、ギリギリ宿題を滑り込みで終わらせたがゆえに、なんだか心のもやもやみたいなのが残ってしまい、結局人の評価を落とすことでしか自分の価値を認められない、みたいな現象。

ずっとこんな生き方、してほしくないし、自分がそうやって生きてきてしまったから、人の評価を気にすることでしか生きられない人にはなってほしくないなあと思うのです。

4 宿題をやりたくないにもいろんな種類がある

・学習の取り組み方がわからない
・自分が集中する環境づくりを知らない
・学習する楽しさが理解できない
・励まし合う仲間がいない

などなど、宿題をやりたくないという理由にも色々あります。

そもそもさっきまで学校でみっちり勉強したのに、なんで家でまで…と思うのも無理はないですよね。

宿題などを通して「学習は罰ゲーム」「おやつがご褒美」というような賞罰関係になってしまうと、必然的に学習が苦痛になっていきます。

5 そうだ、子どもに聞いてみよう!

で、結局子どもの思いは千差万別。だから子どもに聞いてみるしかないと思うんです。

「やりたくないときって、どんな時?」
「今日の宿題で大変なところは?」
「学校でやってみてどうだった?」
「宿題をやってみるか、って思うときってある?」etc...


本当は、それぞれの子にフィットするような課題がそれぞれに考えられると素敵なんでしょうけどね。自主学習の幅を広げれば、それは可能かも知れませんね。

おわりに

でも、「自主学習が宿題って、なんか矛盾してるよね」という子どもの意見。正論じゃないですか?だからきっと、自主学習が楽しまれている教室では、自主学習が本物の「自主」になっているんだと思います!そんな意欲的で、interestingな学びが世の中に溢れますように!

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