見出し画像

ネガティブ人の思考

 

 私はネガティブてある。ネガティブ人の思考と言うのは、簡単である。全ての事をマイナスに捉えるのだ。たからいつも心の中は不安で満席だ。
 これはポジティブ思考が出来るは人には理解できないと思う。ネガティブと言うのは、非常にストレスを伴う。それは苦しい。生き辛い。鬱病かもしれない。
 このネガティブ思考と言うのは薬剤では治らない。精神安定剤とかあるが、そんなものでは対処など無理であり、抗鬱剤でも無理なのだ。だって産まれてからこの方ポジティブな思考と言うものを知らないのだから。凄いでしょ?これ。
 だから子供の頃から、いつも心の中には重たい石が詰まっていた。ビジュアル的にはとんな風と友人に聞かれたことがあり、こう説明した。 
 霧のかかった寒い地方の湖に、それは薄暗く、でも夕方とかではなく、とにかく太陽などは見えない寒い地方の波もたたない湖で、そこには自分以外は誰も居らず、その湖面の上を低空飛行でフワフワと飛んでいて、今にも水面にオチソウなのを必死で堪えて飛んている様な感じだと。
 それを聞いた友人は、私のことを詩人だと表現した。詩人と言われてしまうと、私にとっては崇高なイメージだが、それとは違っていて、生き辛さを重苦しく抱えているのだ。もしかして詩人と言われる人達は皆心に私と似た状態を抱え込んでいるのたろうか?
 だとしたら彼等は可哀想だ。私のような重苦しい気持ちをよく抱えて生きてきたものだ。
 トルストイが晩年に何処かの新聞の取材で、似たような事を言っていた。彼は人の人生と言うものを、事細かく分析していて、何故に人は生きるのかと言う大命題を扱っていた。それは彼の宗教すら客観視し、人の愚かな行動と心理状態、それに伴う罪の意識を書き綴っている。文章は正に芸術的てあり、世界中の読者に感動と思考を与えた。
 だから生き辛さと言うものは、百年前のトルストイの時代から何ら変わっていない。貧困、戦争、政治、略奪、裏切り、愛情、どれも今と変わらないが、そう人間はその頃から、いやもっともっと前から苦しみと希望を併せ持って生きやすさを懇願しながら生きてきた。そして罪の意識と救いを神に求めながら生きてきた。
 しかし現代でもトルストイの描く人間の抱える辛さを解決するものは見当たらない。彼は晩年に第1次世界大戦が勃発し、大いに嘆いたそうだ。

 トルストイはネガティブだったのか?それは分からぬが、少なくともポジティブ思考な人間に書ける文章ではないと個人的には思う。社会不安や個人の抱える闇に悩み苦しみながら生きてきたに違いなく、それをとても深く考えた人間だったと思うのである。

 心には雨が降っている。いつも雨模様だ。
世の中には雨が好きと言う人も居るが、私には全く理解できないこと。

 私は、何かをやるときいつも最初に起こるのが溜息。
はぁ…と深く溜息を漏らす。それは面倒だからなのか、それとも嫌いな事だからなのかは分からぬが、テンションが全く上がらず、行動に移すまで相当な時間を要する。いよいよ出かけなければならない時間の限界点が来て、私は十字をきって出掛けるのである。出掛けてしまえばそれなりに街並みを見たりカフェに入ったりと行動が出来たりもする。カフェに入ると、パッドに何やら徒然と書く。書くと少し気持ちが軽くなる事も時々ある。しかしTwitterを見ると世界中の混沌とした暴力や騒動、大量のアフリカ難民の問題などが挙がって来て、好まぬ悲しみや怒りのようなものが心に浮かんでしまい、再び塞ぎ込んでしまう。世界は混沌としている。大量の移民の問題は深刻だ。ヨーロッパは既に都市が移民によって崩壊し始めている。これに立ち上がる極右の政党が次々に出現している。イタリア、ドイツ、イギリス、ポーランド、そしてアメリカもだ。これら諸国の国民の感情は理解ができる。言葉も読み書きも出来ない文化的に非常に遅れた真っ黒い不法移民が数千万人と言う規模で地中海を渡って不法侵入して来て、歴史ある都市の建造物乃中に蔓延りだすのだ。治安は悪化する一方であり、美しい街並みは無くなってしまう。これは米国も同様で、観光ビデオにあるような美しい都市の映像はもはや存在しない。駅前は無数のテントや段ボールハウスが置かれ混沌としている。私の知るアメリカはもう無い。アメリカもこの危機に際し強い政策の出来る大統領を必死で求めているのだ。
 一方で日本は海に囲まれており、欧州や米国のような凄まじい不法移民の問題は起きていないが、東南アジアの途上国から観光ビザでは来日し、そのまま不法滞在する人間が後を絶たない。我が国での凶悪犯罪に加担しているニュースが毎日のように報道されている。
 いま世界は混沌としており闇の中なのである。国を捨てても受け入れてくれる国は、ほぼ存在しない。


 人口過多。世界人口は今や64億人にまで膨れ上がり、これらの人間が食べていくには限界を超えてしまった。私が大学の頃は世界人口は45億人だったのを覚えている。増えたのは主にアフリカ大陸と中国、インドてある。先進国はと言えば、少子化が深刻な問題となっている。暑い国は人間が大量に産まれ比較的寒い地方にある国は人口がどんどん減っているのである。これは大問題だ。  
 アフリカ諸国は、文明がまったく根付かなく発展が全くと言っていいいほど無い。何故なのかは私には分からないが、それは東南アジアの途上国も同じようだ。科学や文明を進めるのはそれ以外の諸国なことは子供でも分かる事実だ。だからそれが大問題なのだ。このままでは人類は自然の法則で淘汰され生命力の乏しい白人社会が衰退してしまう。少数派となった白人社会は増大していく黒人やヒスパニックそして東南アジア系の人間に全てを略奪され、原始的な粗暴な社会に逆戻りしてしまうかも知れない。いや、このままではきっとそうなってしまう。世界の人口推移を見てみると一目瞭然だ。
 猿の惑星と言う映画が昔あったが、全く無い話では無いとすら思える。
 映画マッドマックスに見る退廃した近未来。このままではそうなってしまうのでは無いかとすら思ってしまう。
 科学文明を持つ知識と教養のある人種と、そうでない粗暴な人種。しかし地球の46億年の歴史から見ると一万年続いた恐竜時代も滅び、その後の猿人の時代も滅びた。この長い地球時間からみると文明を築いた人間の時代も滅びるのかも知れない。地球は何度もこれを繰り返して来た。でもその都度生命力のある種が生き残り、進化して来た。生命力のある種、それは少子化に悩む白人や日本人では無いと実感出来る。
 しかし何と言う事か。電気を発明し飛行機を発明し車やインターネットを発明し病を克服する医学を進化させて来た我々先進国の人間が滅びそうだなんて信じたくはない。決してそれだけは。


 話はだいぶ逸れてしまったが、要は世界は混沌としており闇に閉ざされいて暗雲が立ち込める時代だと言うことだ。そして私はネガティブ人である。だから頭の中でこんな事を悶々と考えているのだ。他人はきっと大袈裟だとかパラノイアだとか言うだろう。精神科領域の人間なのかも知れぬ。しかし、こんな事をいつも考えて悩んでいるからこそ文章にして表現も出来るのだし、それが良いことかどうかは分からぬが、恐怖や不安はそれを打ち砕く手法を生み出す母てもある。母と言えば聞こえが良いが、当人達はは必死で藻掻いているのだと思う。アインシュタインやトルストイもそうだったのかなぁと、ぼんやり思ってしまう。
 彼等よりもSF作家はどうなのだろうか。とんでもない空想の世界に思いを馳せているわけだから、彼らの頭の中はいったいどうなっているのやら。想像もつかない。スター・トレックやスター・ウォーズなど、ぶっ飛んてるとしか言いようが無い。作品はそれはそれはとても素晴らしくて私も何度となく映画館に足を運んだ。
 無から有を創ること。それはノーマルな脳では大変難しい事だと思う。SFを創る人間以外は、たぶんであるがネガティブ思考のような気がする。ネガティブさはいつも不安とか恐怖を感じ取っているものだ。物事を明るくポジティブに捉えられない習性があるのだから。いつも問題を抱えて悩んでいる。彼等の不安や恐怖はストレスとなり蝕んで来る。それから逃れる為に死に物狂いで何かをする。その結果として表出化されたものが世の中に出て何かの役に立つことが時々ある。きっとそんなもんだと思う。
 こんな話をすると誰かがネガティブ万歳とか言いそうだが、ネガティブ思考はそんな簡単に狙って出来るものではない。持って生まれた苦しいギフトなのかも知れない。

このギフトは、嬉しくなく辛く重いのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?