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地元「立川」が嫌いだった話

僕の地元は東京都立川市。

でも正直、この土地
「愛着」や「ノスタルジー」を感じることはあまり無い。

むしろ嫌い「だった
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20歳で東京を出て、はや5年。

岡山、山口、福岡、高知、石川、、、

いろんな県に行っていろんな人と会ってきた。

自己紹介で「東京出身です」というと、毎回
「シティーボーイ!」とか
「確かに都会っぽい雰囲気がする」
とか、何かとそれがプラスに働く場面が多々ある。

ただ正直、東京出身といっても僕の住んでいたのは
「立川市」は23区外で、いわゆる東京の田舎エリア。

渋谷生まれとか世田谷育ちとはちょっと違う。

でもそこはやはり、東京。腐っても鯛。

なんでもある。


立川駅前

高島屋にグランデュオ、ルミネや伊勢丹
ららぽーとに自然豊かな国営昭和記念公園

ファーレ立川というアートエリアもある。
(ちなみに、ファーレ立川のアートディレクター「北川フラム」さんは、石川県珠洲市の奥能登国際芸術祭の総合ディレクターでもあり、何度か一緒に仕事をさせて頂く機会がありました。小学三年生の頃、社会科見学で第一期生としてファーレ立川に触れていたのでびっくり!)

映画館は二つ。
主要鉄道はJR中央線で
乗降客数は新宿、東京、についで3位。

神奈川県、川崎まで続く南武線や
多摩モノレールもある。

ほんとになんでもある。

生活するには何も不自由も無い。
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先日、
そんな地元立川に
半年強ぶりに帰省した。

ものの数ヶ月しか経っていないのに
新たな商業施設や個人店が増え
知らない街になっていた。

馴染みの店は潰れていて、
代わりに綺麗な新しい看板が飾られていた。

よく遊んだ公園の遊具には国土交通省の
「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」
に伴い、規制テープがぐるぐる巻きにされていた。

ちょっと「思い出」を見に行こうと
散歩しただけなのに
ここで育ったことを、
微塵も感じさせないくらいの冷たさすら感じた。
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今回の帰省の目標は「会いたい人に会う」

中学一年生の頃は仲が良かったのに
三年生になった時周りに合わせて
敬遠してしまっていた友人や

小学校卒業以来10年以上会っていなかった同級生と一対一で食事や飲みに行った。

今の仕事のことや将来の夢、
「〇〇(同級生)と最近会った?」だったり。

結婚、転職、貯金、、、

過去のことより
これからのことについてたくさん話した。

結果、
めっちゃ楽しかった!

有意義で癒しで、
これからの希望が見えてくる
そんな時間だった。

当時の僕からすれば、
彼らと二人で出かけることは
想像つかないくらいの関係性、距離感だった。

だけど、社会人になって時間が経ち
お互いの環境が変わったら
こうも自然に過ごせるものなのかと
ちょっと不思議な気持ちになった。

(自分で言うのもなんだけど、特に20歳を過ぎてからコミュニケーションに困ったことは無いくらい、自然と会話力が身についたのも要因ではあるかも)

頑張ろって思った。
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能登に戻ってきた。


いつもと変わらぬ
穏やかな里山里海の風景が出迎えてくれた。

山の稜線や、
どこまでも続く日本海の水平線。

ここが地元だったら、
帰省する度に
この景色を目の前にして
ノスタルジックになったり郷愁を感じる気がする。

幼い記憶と同じ風景が
原点を思い出せてくれる。

ふと、僕にとっての地元って何だろう。

そんなことを考えた。

案外スッと答えが出た。

くさいけどそれは「希望」だった。

流行りやトレンドが
気持ち良いくらいに過去を吹き飛ばし
また新たな風を吹き込んでくれる。

僕にとっての地元「立川」は
思い出に浸る場所よりも
これからますます面白くなる
同級生や街の景に触れて
未来に希望を持てる
前向きになれる場所。

嫌だった時期もあった。

埋もれるし
個のエリアが少ないし
歯車の一部になっている感覚に苛まれた。

でもそれが良かったのかも。
振り返らない。

「これから」を考えられる。

今までもこれからも
ちっぽけながら挑戦し続けられたのは
ここがあったからかもしれない。

次はもっといろんな友達に会おう。

酒飲んで、ご飯食べて

くだらない話して。

なんかこれから
もっと楽しみが増える気がする。
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で、また離れる。

それくらいの距離感が心地良い。

地元が立川で良かった。
そんなおはなし。

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のとのふれんち ひのともり
日野貴明

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