見出し画像

大人になったら、フェンスを登れなくなった


僕の部屋は屋上にある。この言い方が合ってるかは分からない。詳しく言うと、僕のアパートは4階建てなのだが、最上階の廊下は天井がないということである。部屋以外の部分は開けた共同スペースになっているのだ。難しいけど分かってほしい。

大事なのは、僕が屋上で煙草を吸うのが好きで、今日もそうしていた、ということである。

さっき煙草を吸いながら、ふと思った。危ないことを、何歳まで自分は出来たんだろうか、と。

なぜそう思ったか、説明しよう。僕の部屋から出ると屋上の共同スペースに面しているわけだが、当然僕の部屋には天井がある。そこには室外機とかアンテナとかが設置されてる。そこから僕の部屋の上に登ったら、もっと高いわけだ。そして、登ることは実際可能である。フェンスをよじのぼれば、僕の部屋の上に立つことは簡単だ。

そして、僕はフェンスをよじ登ってより高い所へ登る、なんてことはしない。危ないし、服も汚れるし、他の住民に見られてもめんどくさいし恥ずかしい。もう20歳だし、当然やらない。

そこでふと思ったわけだ。

「何歳の僕なら登ったんだろう」

0歳。能力的に無理だ。
5歳。能力的にまだおそらく厳しい。
10歳。出来るし、登りそう。
15歳。ノリでやっちゃうかも。
18歳。かっこつけてやらないか、友達とノリでやるかも。

そして僕はさっき20歳で、フェンスをよじ登ることはしなかった。

だけど、わずか2年前なら僕は登ったかもしれないのだ。それがたまらなく不思議で、自分という人間が目まぐるしく変わっていることを実感する。気持ち悪いとすら思う。フェンスをよじ登って高い所へ行く、という行為1つで僕はこんなにも2年前と違うのか、と。

2年間で僕は大人になったのだろうか。そんな気もするし、そうじゃない気もする。多分世間的に見れば社会に出る前の大学生なんかまだまだ子供で、でも自分の中では今が1番自分史上大人である。

僕は大人になったから、このフェンスを登らなかったのだろうか。大人になったから、危ないことをめんどくさいことだと思うようになったのだろうか。

未来の僕はどうだろう。25歳、30歳、40、50となっていって、僕はもう二度とこのフェンスを登ろうとしないのだろうか。危ないことを、色んな理由で避けるんだろうか。多分、そうだろう。

そう思うと、フェンスに登れた頃の僕がすごい奴に感じられる。この先の僕がおそらく登らないであろう、避けるであろう危ないことを、2年前の僕はしていた。出来ていた。


大人になったら、出来ることは増えると思っていた。なんとなくだが、どんどん自由になるんだと思っていた。まだ20歳だから完全には分かっていないが、多分違う。大人になったら確かに出来ることは増えるかもしれないが、それよりも早いスピードで、出来ないことが増えていくのは、何となく分かる。


僕は大人になって、このフェンスを登らなかった。登りたい気持ちはまだ少しあるが、歳を取ればそれすら消えていくんだろう。

良い事か悪い事か、成長か退化か、子供か大人か。簡単なようで、難しい。今出来ることも、大人になったら出来なくなるんだろう。


80歳ぐらいになったらボケたふりしてこのフェンスを登ってやろう。そんなことを思った。







少しでもいただけたら励みになります。京都生活の一部となるだけではございますが、もしよければサポートよろしくお願いいたします。