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系譜の少女

 強烈な昼下がりの陽射しが、地下鉄の暗がりに慣れた私の目を刺した。眩しい、というよりも些か痛みすら感じる目を光に目を細めて、足早に駅から離れる。

 行き交う人々を躱しながら、私は歩道橋を渡る。躱し損ねて肩をぶつけ合った中年のサラリーマンが舌打ちを鳴らすのが聞こえた。私はそれに構うことなく、階段を下りて、狭い路地へ足を踏み入れた。

 彼女と連絡を取り合うようになったのはつい一週間前のことだ。私はある都市伝説についての情報を求めて、ネットの海を彷徨っていた。様々な掲示板を巡っては、匿名で質問を投稿していた。都市伝説の真相を追い始めて数か月、私の投稿には何のレスポンスもつかなかった。それが突然、先週の月曜日に掲示板を開いてみると、一通の返信がついているではないか。

 早速私は、彼女と交流を図り、どうにか会う約束を取り付けたのだ。

 これで噂の真相に迫ることができる。世間を密かに賑わせている都市伝説の真相を大体的に取り上げれば、社内で廃刊間近とまで囁かれる我が雑誌も、一気に売り上げトップの大手誌の仲間入りだろう。

 私は逸る気持ちを抑え、目的地までの道程を一歩一歩噛み締めるようにして歩いた。初めて私がその都市伝説を耳にしたことを思い出す。あれはどこで聞いたのだったか。誰に聞いたのだったか。何故だかその辺りは朧気なのに、都市伝説の内容だけははっきりと頭に残っていた。

 ヨーロッパの富豪の間で実しやかに囁かれる噂があった。ある劇場で芸を披露する少女がいたそうだ。その少女の芸に誰もが魅了され、彼女は毎夜喝采を一身に浴びていたそうだ。彼女の芸に、一夜にして数十億とまで言われる額の金が動いたというのだから、驚きだ。

 その数十億の金をも動かす彼女の芸の正体は、都市伝説の中でも明かされていない。そこがこの伝説の最も神秘に満ちた部分でもあった。

 そんなことを考えていると、私は待ち合わせ場所に指定されたカフェの前に立っていた。ごくり、と固唾を呑んで、私は扉を開けた。

 中は何の変哲もないカフェだ。南側の窓からは午後の陽射しが差し込み、店内は明るい。空調も程よく効いていて、残暑で汗ばむ私の躰を心地よく浸してくれた。

 昼時を避けたためか、客は疎らだった。私はやってきた店員に、連れが来ていると告げて店の奥へと向かった。

 指定された四人掛けの席に、彼女はいた。

 黒髪をツインテールに結び、ワイシャツにミニスカート、腰にカーディガンを巻いた格好で彼女は座っていた。ガーターベルトをつけたニーハイとミニスカートの絶対領域からは、息を呑むほど白い肌が見えた。ぷっくりと弾力を感じさせる太腿を思わず凝視し、私は一度固く瞼を閉じた。

 こんな派手な格好をした少女が、本当に都市伝説を知っているのか? 冷やかしでは? 様々な考えが頭の中を巡るが、ここまで来てしまって引き返すわけにもいかず、私は意を決して声を掛けた。

「花梨さん、ですか?」

「……!」

 私の声は些か震えていた。しかし、その声は届いていたようで、少女はスマホに向けていた真っ黒な瞳を上げて、私を見つめた。

 一瞬、きょとんとしていた花梨であったが、私が待ち合わせをしている男だと気づくとぱっと笑みを咲かせて「どうもー」と間延びした声を上げた。

「初めまして、花梨です。ええと……」

「大林だ」

 私は懐から名刺を取り出して、花梨に手渡した。必要はないだろうが、何というか渡しておかなければこちらが落ち着かなかった。

 花梨は見た目に反して、丁寧な手つきで名刺を受け取って、それをまじまじと見た。

「大林……文彦さん。記者さんにぴったりの名前ね」

「そ、そうかな?」

 いきなり名前を褒められて面食らう。彼女の持つ言い知れない雰囲気に呑まれそうになるのを感じて、私は慌てて席について本題を切り出した。

「早速で申し訳ないんだけど、この前の件で話を聞かせてほしい」

「ああー、いいよ。記者さんの知ってることばかりかもしれないけど」

 そう彼女が前置きをするから、私はさほど期待していなかった。女子高生の知っている程度の話ならば、すでに私の取材ノートにびっちりと書き留められている。

 しかし、花梨の口から語られる話は、尽く私の知らないことばかりであった。



 ◆*◆*◆*◆



 時は第一次世界大戦中のこと。イギリスはウェールズでその芸は披露されていたそうだ。あまりにも過激で民衆を頽廃させるということで、当時その芸は政府から規制され表舞台から締め出されていたが、裏世界に舞台を移して、密かに公演はつづけられたのだそうだ。

 荒廃した社会の風に晒されていた紳士たちの心は、少女の芸の虜となっていた。そんな中、とある紳士と少女は恋に落ち、果ては結婚までしたのだという。その紳士は、歳の差や身分の違いによる非難を危惧して、持ち得る財産を全て持って、少女と共に日本へと渡ったのだという。その後の二人を知る者はおらず、日本のどこかで幸せに暮らしたのだということだけが伝わっているのだという。



 ◆*◆*◆*◆



 全てを語り終えた花梨は小さく息を吐いて、アイスコーヒーを飲んだ。

「そんなことが……」

 私は驚きのあまり、それしかいうことができなかった。花梨がコーヒーのストローから唇を外すさまをただじっと眺めていた。赤く色づいた唇の鮮やかさに目を奪われていると、それが柔らかに歪んで、私はハッとした。

 微笑みを浮かべる花梨の瞳に、吸い寄せられるように視線を移し、逸らす。誤魔化しに私もコーヒーカップに口をつけたが、運ばれたばかりのホットコーヒーに火傷しそうになって、慌ててソーサーの上に戻した。

「でも、どうして日本になんか」

 水を飲んで、私は訊ねる。

「ヨーロッパとかアメリカだと、結構有名な人だったみたいだよ? あ、もちろん裏社会での話だけどね? で、欧米並みに経済と文化が発展している国に行きたがってたらしいの。そこで日本行きを少女の方が提案したってわけ。いろんな人間相手に芸を披露してたから、外国の事情にも詳しかったんだって」

「なるほど……」

 私は内心、驚いていた。

 目の前に座る少女は、街中を歩くけばけばしい高校生と変わらない。それなのに、私の求めていた以上の情報を持っていた。

「ねえ、例のあれは?」

「あ、ああ」

「やったね」

 私が差し出した封筒を受け取り、花梨は無邪気に声を上げる。中身は二万。これは掲示板の投稿にも明示していた報酬だった。

「もう一つ訊きたいんだが」

「何?」

「君に話で唯一わからないところがある。それは、少女がどんな芸を披露したのか、ということだ。一夜にして数十億の金が動いたとか……。当時のイギリス政府はあまりの過激さから、規制に乗り出して、彼女を表舞台から締め出したというじゃないか。その過激な芸とは一体どんなものか。巷じゃ、いろんな憶測が飛び交っている。客席に飛び込んで……その事に及んだとか、そういった類の芸だったのではないか。およそ芸と呼べる代物ではないのではないか……。私はそれを知りたい」

 私の話を聞いてしばらく黙っていた花梨であったが、何かを閃いたのかにやりと笑みを浮かべると、そっとテーブルの上に身を乗り出した。耳打ちをするのだと察して、私もそっと身を乗り出して彼女の口元へ耳を寄せた。

「見せてあげよっか」

「何?」

 驚いて離れた私は、さっと口を覆って花梨を見た。にやにやと笑ったまま、彼女は続ける。

「これだけくれたら、いいよ」

 そう言って彼女は両手を開いて見せた。

「特別価格だからね?」

 私はその金額に眉を顰めたが、どうにも好奇心には抗えず、財布から指定された金額を抜き出し、テーブルの上に置いた。



 ◆*◆*◆*◆



 花梨が住んでいるのはカフェから少し歩いたところのビル街の一隅にある、高級タワーマンションだった。彼女に連れられるまま、私はエレベーターに乗り込み、上層階へ向かう。

 親がいるのではないか、と心配する私を見て、花梨は一人暮らしなのだと言った。高校も卒業していない少女一人のために、こんな高級マンションを用意するものだろうか。

「ご両親はきっとお金持ちなんだろうね?」

 そう言う私に、花梨はそっと振り返ってにこりと笑むだけだった。

 どうやら秘密ということらしい。

 1017というプレートの掛かる部屋の前で、私たちは足を止めた。花梨は玄関に設置された装置のボタンを押して、ロックを開けると、私を先に部屋の中へ入れた。

 エアコンは点けたままで、この時期特有の不快な熱気を予感していた私は、その心地よい冷気に肩透かしを食らった。

 広々とした玄関に立ち尽くす私の横をすり抜けて、彼女は靴を脱いだ。玄関、廊下と灯りを点けていって、左側にある扉の向こうに消えた。

「文彦さん、こっち」

 下の名前で呼ばれることにむず痒さを感じながら、私は彼女の後を追った。

 辿り着いた部屋の真ん中には、服屋の奥にある試着室のような箱が鎮座していた。その前には、椅子が置いてあり、試着室を正面から見れるようになっていた。

「その箱を調べてみて?」

「調べる?」

「何も変なところがないか、調べるのよ」

「何か関係があるのか?」

「関係があるから言ってるの」

 私は言われるがままに、その箱を調べた。特に変わったところはない。中も調べるように言われ、私は箱の中に入った。不用心が過ぎたか、と思ったが、背後から花梨が何かしてくるような気配はなかった。

 三方を白い壁が囲み、入り口のところにはカーテンが閃いていた。天井はなく、箱の中にもまた照明があった。スイッチを押すと明るすぎる照明の光が降ってきた。

「終わったら、こっち」

 花梨は椅子の背凭れに触れて、ここに座るよう促してきた。私は断る理由もなく、椅子に腰を下ろした。

 とうとう、噂の芸を見ることができる。数十億とさえ言われる価値のある芸を、この目で――。

 鼓動が早くなる。ごくり、と固唾を呑む私を尻目に、花梨は腰に巻いたカーディガンの袖を解いて、静かに落とした。その所作に、私は思わずどきりとした。スカートとニーハイの間から覗く、柔らかそうな腿の白さに目を奪われていると、箱の中へ辿り着いた花梨がさっとカーテンを閉じた。

 カチリと音がすると、箱の中で照明が灯る。花梨のシルエットがカーテンにはっきりと映る。

 衣擦れの音が聞こえ、花梨の影がもぞもぞと動いた。シャツのボタンを外しているのだ、と気づいたとき、箱の向こうで花梨はそれを脱ぎ、上に放り投げた。ひらひら、と舞い上がったシャツは、私の足元に力なく落ちた。

 一体何が目の前で起こっているのか。私の理解が追い付かない間に、花梨はスカートも脱ぎ捨てる。頭の中では、下着姿の彼女が妖艶に笑っている姿が浮かび、慌ててそんな妄想を掻き消した。

「本番はここからですよー」

 そんな間延びした声と共に、彼女はガーターベルトを外し、ニーハイを脱いだ。それらもこちらに放り投げると、自分の指を肌の上に這わせて、ブラのホックへ伸ばした。

 女子高生が着けていたとは思えない、煽情的なデザインのブラが私の足元にやってくる。黒地のそれを見つめる私に気づいているのか、彼女はクスクスと笑って、ショーツのゴムに指を掛けた。

 する……するする……。

 花梨のシルエットが腰を屈め、ショーツを下ろした。カーテンの向こうで脱いだショーツを閃かせ、そして最後にそれも他の衣服と同じ運命をたどった。

 足元に積まれた衣服の一番上に、黒いティーバックが乗っている。こんな過激な下着を身に着けながら、カフェで私と話していたのか。そう思うと、私の躰の内側から熱い何かが込み上げてきた。

 そんな私の状態を察したのか、カーテンの向こうから花梨の声が聞こえた。

「どうぞ、カーテン開けてもいいですよー」

 その声に弾かれるように椅子から立ち上がった私は、足を踏み鳴らして箱へ歩み寄った。白いカーテンを乱暴に掴んだ。そのとき、花梨のシルエットが小さく手を振った。誘うような笑い声がカーテンの向こうから聞こえてくる。

 私はひと息にカーテンを開いた。

「……!」

 箱の中には誰もいない。私が調べたときと全く同じだった。微かにコロンの香りがするだけだ。

 ――どこに。

「ここですよー」

 彼女を探そうとした私の背後で、声がした。ハッと振り返ると、私がさっきまで腰掛けていた椅子に花梨がいた。

 Tシャツにジーンズといった、非常にシンプルな格好で、足を無邪気にぷらぷらさせていた。

「これが、当時英国中の紳士を魅了した、煽情の魔術ですよー」

 そう言って花梨は自信満々に胸を張った。

「どうでしたかー?」

「……」

「ふふ。満足してもらえたようでよかったです」

 花梨は軽やかに立ち上がると、私の手を取った。私は彼女に手を引かれるまま、部屋を出て、エレベーターに乗り込んだ。

 エントランスを出ると、花梨は手を振って私に背中を向けた。

「ちょっと待ってくれ!」

 私は我に返って、花梨を呼び止めた。振り返る彼女に私は訊ねた。

「どうして君がこの芸をできるんだ?」

 あれは間違いなく、魔術だ。どんな種があるのかはわからないが、あれは魔術と呼んでも遜色ない代物だ。そして、本物だ。私の記者の勘がそう告げている。

 「それはですね」花梨は勿体ぶったように唇を歪める。

「私のご先祖様が、件の少女と紳士だからですよ」

 目を見開く私に、彼女は妖艶に笑む。

「また見たくなったらいつでも来てくださいねー。特別価格でお見せしますからー」

 それだけ言い残して、彼女はくるりと背中を向け、エントランスの向こうへ消えた。

 私はその場に立ち尽くして、考えていた。

 件の少女と紳士の末裔だと彼女は自身のことを言った。しかし、そんな彼女が何故、煽情の魔術を見せてくれたのか。素晴らしい魔術には違いない。種も仕掛けもわからなかった。まんまと魅了されてしまった。

 あの時間で得られる刺激は、この世にあるどんな娯楽にも勝るだろう。

 花梨の言葉を思い出す。

 ――また、見たいな……。

 それが素直な気持ちだった。

 記事にするのは、やめよう。あの時間は私だけのものだ。私だけが彼女の――煽情の魔術の秘密を知っているのだ。

 気づけば、私の中で功名心よりも独占欲の方が勝っていた。自分のアパートに帰った私は、この件に関する取材ノートを一枚一枚千切って、シュレッダーに掛けた。この秘密が誰にも漏れないよう。

 花梨と私の秘密は、これで永遠に闇に葬られたのだ。

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