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【エッセイ】「好き」を共有したい

「お前って男が好きなの!?」

自称「デリカシーの無い男」

である上司の言葉だ。

デリカシーが無いことを
自覚してはいるけれど直す気は無いらしい。

これは厄介。

出来ることなら関わりたくない。

コンプラとかデリカシーとか

いじりとか差別とか多様性とか

私(昭和63年生まれ)以上の年齢の人は
まだまだ理解しようという気が無いのだなと感じる。

10年ほど前と比べたらだいぶ変わったと思うけど。

私は長年自分の高い声が嫌いで

初対面の人と話すのが怖かった。

以前は初対面で

「声高いですね」とか

「良い声してますね」(京言葉)

とか言ってくる人がまぁまぁいた。

でも今ではそんなこと
言ってくる人はほぼいない。

というか誰も気にしていなさそう。

やはり昨今の
「多様性を認めよう運動」
のおかげなのだろうか。

特に20代前半の子たちは
物事の許容範囲が広い気がする。

30代から上の人に私の趣味を話すと大概

「私より女子力ある」

とか

「女のすることだろ」

とか

「何目指してるの?」

みたいな反応をされる。(事が多い)

でも若者たちの多くは基本無反応に近い。

「へぇそうなんですね」

とか

「俺もそれ好きです」

とか

「私と同じですねー」

といった感じの反応。

普通の事のように受け入れてくれる。

そういえば以前、

「見てくださいこの柏餅(の絵)!
 かわいくないですか!?」

と25歳の女性社員が
作成中のチラシを見せに来てくれた。

かわいいを共有したかったらしい。

確かに私はかわいいものが好きだ。

それを変とも思わずに
かわいいを共有してくれる。

嬉しくて仕方がない。

おかげさまで何だか自分に自信が付いた。

かわいいものが好きでもいいし

アロマやお香が好きでもいい

お風呂や入浴剤が好きでも普通だし

北欧デザインが好きでも変じゃあない。

好きなものを好きと言えずにいた
学生時代と比べれば
かなり自由に生きられていると思う。

他人に合わせたり
社会に合わせたりしているうちに
自分が本当に好きなものが
何なのか分からなくなっていた。

でも少しずつ本当の自分を
取り戻して来ているような気がする。

ようやく自分のことが分かり始めたんだ。

でもやっぱりまだ

「お前って男が好きなの?」

と聞かれても

「はい。僕って男が好きなんですよ。」

とは答えられないでいる。

「恋愛に興味ないんですよ。」

とか

「人と生活するの無理なんですよね。」

とか

「性欲無いんですよ。」

とか

そんな風に言って何とか切り抜ける。

「私は男が好きです。」

「私はゲイです。」

その決定的な一言を言うのが怖い。

「別に男が好きでも良いんだよ?」

みたいなことを言ってくる人もいる。

「隠さなくていいんだよ?
 そんなの普通だし私は大丈夫だから。」

的なスタンス。

それはそれでうざい。

たぶん

「多様性を受け入れる事の出来る自分」

が好きなのだろう。

言いたかったら
自分で言うから放っておいて欲しい。

何にしても

「いや、バリバリ女が好きですよ!」

とかいう嘘はつけない。

ごまかすためにさらに多くの
嘘を付かないといけなくなるから。

でもばれたらばれたで

「ばれちゃいましたかー(笑)」

くらいで済ませられるような気がする。

別にばれても絶望はしない。

もう10年くらいしたら

男が好きですけど何か?

くらいの感じで居られるのかな。

かわいいカフェや

いい香りのもの

好きな人と行った旅行や

痴話げんか

男とか女とか

LGBTとか関係なく

いろんな「好き」を共有出来たら良いのにな。


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