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ゲイだけど普通でありたい私とセックスとサムシング※軽い性描写を含みます。

普通って何だろう?
とずっと考えて生きてきた。

私は田舎に生まれて
知らないうちに
沢山の「普通」を吸収してきた。

例えば
地元の国立大学を出て
公務員になって結婚して

子供は二人。男の子と女の子。

盆や正月は親族みんなで集まって。

子供が大人になったら
一緒にお酒を飲んで。

最後は沢山の人に
囲まれながら死んでいく。

何の面白味もない
誰もがうらやむハッピーエンド。

いかにこの「普通」に沿えるかが
人生における最大のミッションである。

そんな思い込み。
そうしないといけないという勘違い。
もはや脅迫観念に近いもの。

なのに私は出鼻をくじかれる。

だって私はゲイだ。
どう考えても普通じゃない。

普通になんてなれやしないのに
普通になろう、普通になろうとして
結局身動きが取れなくなった。

私は自分がゲイである
ということをあまり主張したくない。

普通じゃないと思いたくないから。

でもどうやっても私が
ゲイである事実からは逃れられない。

女性と仲良くなるのは得意。
でもそれより先には進めない。
進みたいと思わない。

女性に対して
嫌悪感があるわけではない。

どちらかというと
罪悪感に近いものを感じてしまう。

女性の体に触れた時。
女性から好意を向けられたとき。

どうしようもなく逃げ出したくなる。

私は普通になりたくて
色々なことを試してきた。

大学生の頃バイト先で
同僚だった一つ年下の女の子。
その人から私は好意を向けられていた。

本当の意味での
好意だったかはわからない。

なぜなら彼女は
誰とでも寝る女
だと有名だったからだ。

一度遊びに誘われたが
告白されても無いのに振った。

「今日はどうして誘ってくれたの?」
「今誰かと付き合いたいとか
 思わないんだよね。」

モテ男の捨て台詞かよ。
ただの陰キャなのに。

彼女は少し泣いていた。

大学を卒業して
自分の性に悩んでいたころに
私は彼女に連絡を取った。

女性とセックスできるか
試したかったのだ。

振った女を誘って
セックスしようだなんて
ひどい話である。

なんとなくデートをして。

夜の公園で手を繋いでみたりして。

私は女性の誘い方を
よく知らなかったので、
その日はそのまま
解散しそうになった。

やっぱりこんなの無理だ。

と思っていたけれど
車の中でお酒の話になり

なんやかんやで
私の部屋で宅飲みすることになった。

後はご想像の通り

「そういう流れ」

しかしいざ行為をしようとするものの
やはり上手くいかない。

それでもなんとか勃起させてよやく挿入。

私はあっという間に果ててしまった。

そのあと彼女とは
特に何かがあったわけではない。

一度だけバイト仲間の集まりで
顔を合わせたがその時のことに
言及することもなく普通に過ごした。

彼女とはそれっきり。
今はどこで何をしているのかも知らない。

やっぱり自分は普通にはなれないんだな。

そう自覚して、絶望した。

ある夜、両親や将来のことを考えた。

理由は全く覚えていない。

私は私の家族が求める
「普通の家族」を作ることができない。

両親に孫の顔を
見せてあげることができない。

そう考えたらなぜか涙が止まらなくなった。

昨年、某男子大学生と
色恋沙汰に発展した時
また私は苦しくなった。

「将来結婚して子供が欲しい。
 自分にはそれができると思う。」

「普通」の道を選ぶことができる
と言った彼に憧れて嫉妬したのだ。

私は彼より劣った人間なのだと
感じてしまった。

普通になれる彼は
普通になれない私より優れている。

思えばその時点で私たちの関係は
正常ではなかったかもしれない。

そして私は再び行動を起こす。

お金を払って
女性とセックスすることのできる場所。

いわゆるソープに行った。

彼に負けたくなくて。衝動的に。

高速道路を走りながら
どうせ時間の無駄なのにと
心のどこかで感じていた。

そういう場所に行くのは初めてだった。

昭和のバブリーな雰囲気の建物。

いかにもいった感じの
控室に通されて女性を選ぶ。

正直タイプなんて
何もなかったので適当だ。

現れた彼女は
髪の長い女性らしい人だった。

ここでもやっぱり
罪悪感みたいなものを感じてしまう。

私は行為が
上手くいかないような気がしていたので
自分がゲイであることや
どうしてここに来たのかを
事前に伝えてしまった。

そうしたら気が楽になって
ワイワイとおしゃべりすることができた。

でもやっぱり
セックスは上手くいかない。

花のような良い香り
柔らかい髪の毛
膨らんだ胸も
レースのついた下着も。
触れてはいけない
見てはいけないもの
のように感じてしまう。

結局今度は挿入することもなく
話だけしてタイムリミット。

2万円の料金は
勉強代としては高過ぎたかな。

いよいよ私は女性とセックス出来ない
ということが決定的になった。

やっぱり普通にはなれない。

でも以前のような絶望感はなかった。
もうほとんど諦めている。

普通になんてなれないのだから
変な私で生きるしかない。

ここ10年くらいで
「多様性を認めよう」とか
「LGBT差別をなくそうとか」
そういう運動が盛んになったように思う。

私は別にそのことを
歓迎しているわけではない。

だって私は別に
ゲイであることを主張して
私の個性のひとつにしたい訳では無い。

ただ普通にそこに存在していたいのだ。

男が男ですと
いちいち主張しないのと同じように。

女が女ですと
わざわざ自己紹介しないのと同じように。

ただそこに存在していたい。

こういった運動は
ひっそりと存在したい私のような人間には
少し苦痛だったりする。

無理やり表に引っ張り出さないで欲しい。

私が自分がゲイだということを
カミングアウトしているのは
唯一3人だけだ。

たぶん受け入れてくれる人は
もっとたくさんいるだろう。

でもやっぱり私は
自分がゲイですと胸を張って
主張することができない。

普通じゃないことが
悪いことだと思ってしまうから。

普通じゃない自分のことが嫌いだから。

「ありのままに」とか
「自分らしく」とか

そういう言葉も良く聞くようになった。

ありのままに生きられたら
どんなに楽だっただろう。

私は別にゲイであることを
不幸だと思っているわけではない。

ゲイであることは私にかかっている
沢山の呪いの一つに過ぎない。

声が人より高いこと

かわいいものが好きなこと

見た目 学歴 出生地

他人と比較しては

自信を無くして

自己主張ができなくなっていた。

「普通」に囚われ過ぎていたのだろう。

さすがに良い年齢になって
いろんな人と触れる機会が増えて
少しは生きるのが苦しくなくなった。

世の中に変な人いっぱいいるやん。

ゲイとか別に関係ないやん。

みんな普通じゃないんじゃん。

「普通」は誰かが作り出したまぼろし。

お前の「普通」はお前で決めろ。

そうやって自分に言い聞かせ続けて

ようやく腑に落ちて来たような気がする。

まだ誰かが作った「普通」から

逃れ切れてはいないけれど

それもまた「私」なのかもね。

普通じゃない人生が辛くて
死にたいと思ったこともあるけれど

どうにかこうにかこんな自分で

生きて行きたいと思う。




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