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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月21日】〜測量32日目〜

写真は、Chat Gpt です。

間違ってるところがあったら
教えてください^_^

同二十一日、朝より九ッ後曇、又少晴。福鳴より七里。(四十八瀬という小川を数十度越渡る。知り内に到此所迄松前領知り内、川を堺とし、自是御用地丫三里喜古内に止宿。

寛政12年5月21日。

朝から午後12時過ぎにかけて曇りました。
少し晴れ間も見えました。

福鳴から、7里(約28km)進みました。

途中で「四十八瀬(しじゅうはせ)」
という小川を、数十回渡りました。

この場所に到着するまでの地域は、
松前藩の領地内であり、
川が境界となっていたことがわかります。

ここからさらに、
御用地(幕府の管轄地)を、
3里(約12km)進みました。

喜古内に宿泊しました。

領地の境である小川を渡る「測量隊メンバー」。




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