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人の気配と静けさとAUM/旅の記録①

こんにちは。Hinakoです。

Noteの更新は随分久しぶりになってしまいました。これまでは自分のアウトプットばかりやっていましたが、今回は旅の記録をして行こうと思います。

8月の上旬から約1週間、四国の方へ旅をしてきました。主には父親の家(高知)に滞在することがメインです。父はヨガ講師かつシタール奏者のほぼインド人(笑)なので、日本にいながら異文化の世界をたっぷり堪能してきました!これまで話で聞いていたことを実際に体験し理解が深まった旅だったので、つらつらとその記録を残そうと思います。

まずは「人の気配と静けさとAUM」。これは1番驚いたことだったので、まとめてみます。

人の気配

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父は高知の山奥、人里離れた山に住んでいます。私はその山奥に初めて足を運んで滞在してみました。今回のヘッダー画像が父の家からの風景です。
※ちなみに私は名古屋在中。18切符で2日かけて行きました(笑)
これまで「ここは異世界。次元が違う」「自然が凄い」「とにかく静か」と話を聞いていました。
なんとなーくイメージはしていたものの、人が全くいない場所にはこれまで行ったことがなかったので、はっきりとしたイメージは沸かず。
とにかく行って確かめよう、そんな気持ちで向かいました。

駅から車に乗って40分くらいたった山奥、着いたのは夜。車を降りた瞬間、あまりの静けさに耳がまず反応しました。
ぼーっと、耳鳴りではないけど頭を刺激するような、音ともいえない、不思議な感覚が耳とその周辺の頭を包み込んだのです。
全くの無音ではなく、虫の音や木が風で揺れる音、そして私と父の会話は響き渡っているのですが、何かが違う。でも無に近いこの感覚何だろう。
と、最初はあまりの”異世界”に身体と頭がついていかなかったような感覚に覆われました。ここでまず父の言っていた「異世界、次元が違う」という意味を理解しました。
そして少したってから理解し始めました。これは”人の気配が全くない状態だから”ということです。

ヨガのティーチャートレーニングなどを経験した方は何となくわかると思いますが、人は肉体以外にも鞘(コ―シャ)と呼ばれるいわゆる”オーラ”を身にまとっているといわれています。この鞘(コ―シャ)までが自分の肉体と思うべきと私も習いました。このオーラは目に見えないもの。私もそういった目に見えないものは見えるタイプではないので、講座で話を聞いた時は「フーン、そうなんだあ」程度で自覚はそんなにありませんでした。
しかし、この不思議な感覚に覆われてからやっと理解できました。その肉体を覆うオーラが、この山奥には全く存在しなかった。全くない所に行ったからこそ、実際に人間にはオーラがあるということが分かったのです。

この山奥には、本当に何も人工物はありません。街灯もなければ、電波塔もない、家だけです。家の中にも電化製品はありませんでした。(冷蔵庫、洗濯機、テレビ、電子レンジ等、何にもありませんでした(笑))家と自然だけ。そんなシンプルな場所です。
そして人は私と父の2人だけ。
考えてみれば、リトリートなど観光目的で人が泊まれる場所は、何かしら人工物があります。泊りに来る人たちのことを考えれば、まったく人がいないという状況も、人工物をなくす状況もなかなか作れないでしょう。
父の家では、父だけの空間、父が必要と思う最低限のものしかありませんでした。100年くらい前はこういう暮らしが普通だったのかもしれませんね。

そんな無駄が全くない空間に行けたからこそ、人のオーラは、人の気配としてはっきりと存在し、その人が直接コミュニケーションを取らなくとも周りには何かしらの影響を与えているのだと理解できました。だからヨガや瞑想で心を沈ませ落ち着かせる必要があるのか、と、今後自分がどうやってヨガを伝えていくのか腑に落ちた瞬間でもありました。

静けさ

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人の気配がない空間に来たからこそ、本当の”静けさ”が何かわかりました。
静か、と言われると何をイメージするでしょうか?
私は「無音」でした。しかし、それは間違えだったということが、本当の静けさを経験して分かったのです。

この世界には無音はありません。空間がある限り、音は発生します。
究極に人工物がない空間に行くと、人間以外が作る音に満ち溢れます。
虫・動物の鳴き声や移動する音、風の音、風で木が揺れる音。
しかし、どの音も人間のように”意思”を持っておらず、その場所で必要な行動をし、必要な音を発生しているため全く重みがありません。

人には感情があります。その感情も、その人の波動となって周りに影響します。
穏やかであれば周りも和みますし、ピリピリしていれば、周りは緊張感に溢れます。
これは皆さん自覚したことがあると思います。職場で一人でもイライラしている人がいればちょっと気を使わなきゃなあという気にもなりますし、ムードメーカーがいればその場は明るくなりますよね?
それだけ人が周りに与える影響は大きいのだと。身をもって体験できました。

本当の静けさとは、心も休まって無駄な音が発生していない状況。
静寂とは、心の落ち着きもセットなのだと、私は理解できました。

ちなみに一緒にいた父。一緒に瞑想などしましたが、びっくりするくらい静かです。
オンラインでの瞑想でさえ、同じ時間を共有している人たちの気配というのは何となく感じるのですが、父は隣にいても気配を感じず、本当に静かなのです。
「なんでそんなに静かなの?」と尋ねたところ
「ずっと心を静める修行をしてきたから、波が立たないようにはできるようになった」というようなニュアンスの回答をもらいました。
この答えも、先ほど申し上げた「静寂とは、心の落ち着きもセットである」という気付きに導かれた瞬間だったのです。

AUM

AUM、これはヨガのクラスなどではよく耳にするマントラですね。
宇宙の始まり、ビックバーンが発生した時に鳴った最初の音だといわれています。
良く「瞑想をずっとしていると、AUMが聞こえてくる」などの話を聞いたことがありますが、この理由もようやく納得できたのです。

”AUM”は、父の家についた時に感じた「頭と耳の辺りに感じた違和感」のことだったのだと思います。
究極の静けさの中で、本当は鳴り響いている精細な音、”AUM”を感じ取ることができたのです。

これはいつ気付いたのかというと、シンギングボウルを鳴らした時に分かりました。
父の家について感じた「頭と耳の辺りに感じた違和感」は、シンギングボウルの淵をなぞった時に鳴った音とほとんど同じだったのです。
これはびっくりしました。ただ静かな空間に来ただけなのに、こんな壮大な音が頭に鳴り響いたなんて…

シンギングボウルは”AUM”の音が鳴るヒーリングサウンドとしてヨガ界では有名です。
スティックで淵をなぞるときになる音が、限りなく”AUM”に近いとされています。

私が感じた違和感は、夜寝る前に父がシタールを弾いてくれて、そこでチューニングが出来たのか演奏を聴いた後には消えていました。
そして、翌朝、家にあったシンギングボウルを鳴らしてみたら、「あれ、これはここに来た時に感じた感覚と同じだ」とわかったのです。

”AUM”は本当に世界に鳴り響いているのだと、そして究極の静けさの中で感じ取ることができるのかと。
そんな体験ができたのです。

このようにして、父の家についた瞬間に体験として学びが発生しました。
”知識”の学びではなく、実際にその場にいないとわからない”体験”の学びです。
人は自分が経験しないと学ぶことができないといわれますが、本当にその通りだなあと思った瞬間でもありました。
こんな経験、なかなかできないと思うので、家に招いてくれた父には感謝で一杯です。
今後も少しでもこの驚きと興奮を皆さんにお伝え出来たらなと思っています。

それではまた!
最後までお読みいただきありがとうございました。

Om

Hinako

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