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その不安は雨と同じなのだろうか

電車を遅延させるほどの大雨だった。各地で大雨警報や土砂災害警戒情報が出ていた中、実際に被害が出た地域がありこれ以上広がらなければいいと願うだけである。自然の力は想像以上に強くそれに逆らうには人の力ではどうしようもない。

そんな雨の日に恋人に会いに行った。会うのは久しぶりだった。久しぶりといっても短い時間では頻繁に会っていたし、電話で話すこともあった。LINEでは朝「おはよう」とお互い声をかけ、夜は日々交換日記をしている。そういう意味では久しぶりではないが、二人で丸一日を一緒にすごしたのはいつぶりだったのか思い出せないほど前だったような気がする。実際はそれほどの期間ではなかったが、会いたいのに会えないという思いは時空までも歪めてしまうものかもしれない。それほどに求めていたのだろうと思う。恋人の顔を見ていたら嗚咽が込み上げてしまい、気づかれないように下を向きこらえた。けれど溢れてしまった感情は抑えることができずに子供のように大声で泣いてしまった。

先日母が亡くなりその一週間は手続きなどで忙しく、また唐突すぎて実感がなかったからなのか大きく感情が動かなかった。その後仕事に復帰しトラブル対応など日常が戻ったように思っていたが、いつもに比べると感情の振り幅が大きくなっていることに気がついた。仕事中ふとした瞬間に思考が止まり身体が動けないほど心が落ちることがあれば、また上がりすぎて妙にテンションが高い状態になることもあった。今までも心が落ちて苦しいことはあったが、たいていは夜の部屋にいるときに起きており、仕事中に起きることはなかった。きっかけは母の死かもしれないが、根本的な原因はもっと複雑に入り組んだものだろうと思う。

長年の葛藤、恋人、仕事…

一つ一つを思い起こしてみれば、ストレスや不安を抱えることがありながらも恵まれている。ただこの先の人生のことを思うと心がざわついてしまう。それは見えないからではなくむしろ見えているからこその不安かもしれない。先の人生を考えることは誰でもがおこなっているはずなのにどうしても前向きに捉えられない。

それは今日も雨だからだろうか。

この仄暗さは私を憂鬱にさせる。きっとこの感情の振り幅や不安はこの雨と同じなのだろう。自然の力は想像以上に強くそれに逆らうには人の力ではどうしようもなく今もがいてもどうしようもないのだろう。揺さぶられて壊れてしまったら都度修復することで、私は強くなっていくのかもしれない。

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そして今は焦らず受け入れていこうと思う。