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もうスマホを握りしめない

源氏物語に関する書籍を読んだ。酒井順子さんの「源氏姉妹」という作品。タイトルだけ見ると源氏の姉妹とはどんな話なんだろうと思ってしまうが「同じ男性と愛し合った女性」のほうの意味合いの姉妹。タイトルも「げんじしすたあず」と読ませるあたり実はヤバい本なのではと思った。源氏への思いや嫉妬そして「いたすこと」に対して赤裸々に書かれ、古典文学という概念をかなり外れていることから間違いなく賛否あるだろうと思う。個人的には面白く読んだ。

この何年かは年が変わるごとに何らかで源氏物語にふれている。それは貴族の生活を垣間見ることで新年を迎えたような気がするからなのかもしれない。源氏物語そのものは何人かの訳者のものを読んだが、読みやすかったのは瀬戸内寂聴さんのものだったと思う。そして大和和紀さんの「あさきゆめみし」。この漫画を読まなかったら源氏物語を読むこともなかったと思う。私はどの訳者のものがよいなどということは全くわからない。源氏物語を愛する人からは怒られると思うが実は違いがわからなかった。けれど大枠がわかっただけで私はかなり満足している。

この物語を一言でいうと「源氏と関わった女性たちの話・そして少し政治」であるが、今の時代では考えられないようなことが繰り広げられている。この時代の女性は自分で人生を選択することができなかった。父親の後ろ盾によって自身の価値が決まる時代。また女性が夫を選ぶということもできなかった。ただそれは比較的最近の時代までは変わらず、戦後の時代でようやく女性というものが認められてきたのだろうと思う。


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自由に選ぶことができる時代であっても、やはり待つことが多いのはどうしてなんだろう。元気なんだろうか。ただそれだけを確認したいのに伝えることができない。それを聞いてしまったら二度と連絡がこないのではないかと不安になる。いつくるかわからないメッセージを確認するために手元にスマホを握りしめる。

かつてそんな思いがあったことを思い出す。

源氏物語から今の時代になり、ただそれは歌からLINEに変わっただけ。本質は何も変わっていない。どこか待っている私がいる。思いを否定される不安からかもしれない。そして、話さなくても伝えなくても私の思いが通じていると勝手に思う。そうやってすれ違うことを何度も経験した。

こうやってひとりごとのようにここに書いている。そういいながらもやはり伝えたい。それはここの存在を知らないあの人にも、つながっている人たちにも、そして見知らぬ誰かにほんの少しでも共感してほしい思いがある。伝わっているかはわからない。けれど伝わることの嬉しさは知っている。だからここでも、そしてリアルな生活でもその努力をしていかないといけないのだろうと思う。

待つだけではなく伝えるということ。
ここから進めていこうと思う。