コラム 文化の盗用(Cultural appropriation)の要諦

前回はこちら。


ハフィントンポストが「カーリー・クロスが炎上謝罪  日本文化を盗用と指摘、米VOGUE誌で『芸者スタイル』披露」という記事を掲載した。

カーリーとVOGUEが文化を盗用したという批判が集まったというのだが、日本人から「それほど変じゃないのでは?」と擁護する声も上がっているという。

ハフポストの記事で引用されているSELESYの記事では「『Cultural appropriation(文化の盗用)』とは、『ある文化の一部を、その文化を保持していない者が搾取また制圧的に利用する行為』」とある。ここがポイントで、「その文化を保持しているか」「搾取・制圧的に利用しているか」が問題となる。

ライターのUraraが紹介する連載記事では、文化の盗用の例としていくつかのケースが挙げられている。「インディアンヘッドピース」「ビンディー」「ヘナタトゥー」の他、ガネーシャ(ヒンドゥー教の神)のコスプレ(?)に見えるものや着物と異なる無理矢理袖を長くしたチャイナドレスと呼ぶのが相応しい衣装や、アフリカが舞台であるにもかかわらずアフリカ系キャストが一人もいないなど(「【連載第二弾】バッシングを受けることもしばしば。ハリウッドセレブのCultural Appropriation(文化の盗用)?!」)。

Uraraは文化の搾取を「いわば特許制度を無視して他会社や個人がビジネスを行うようなもの」と主張するが、これは流石に言い過ぎだろう。問題視されている内容を詳細に分析してみれば、文化であるというよりも宗教性神聖さが尊重されずに軽々しく転用されている事にあるのが明らかだからだ(インディアンヘッドピースは「神聖的シンボル、無私無欲なリーダーシップの象徴」、ビンディーは「ヒンドゥー教の習慣」「既婚の女性が赤い粉を使い、女性の愛情・名誉・清らかさ・繁栄を意味する」もの、ヘナタトゥーは「ヒンドゥー教の宗教的伝統」)。

「つまり、これらのコミュニティの人々は文化的、宗教的な意味合いがある伝統をその意味を理解せず、その上勝手にトレンドとして使用を煽るような行動は、彼らの文化を盗用していると感じている」とUrara自身が記しているのだが、何故だか宗教性・神聖さの問題をマイノリティの問題と挿げ替えてしまっている。

アフリカを舞台にしながらアフリカ系キャストが絶無というのはあまりにも不自然と言わざるを得ないが、ケイティ・ペリーの「間違った日本観」に基づく振袖風チャイナドレスなど、当時の反応などを見るとUrara同様の感覚が十分にと言ってよいくらいには広まっている事が分かる(筆者はケイティのパフォーマンスを楽しんだのだが)。


Uraraがアンジェリーナ・ジョリーを例に語るように重要なのは文化的理解を前提した、状況における適切な使用である。である以上、「着物のデザインがおかしい(スリットが入り過ぎ)」くらいで目くじらを立てる事もないだろう、法衣や装束、仏像や御神体ではないのだから。

またマイノリティ関連については「搾取」「制圧的な利用」とあわせて慎重に対処すべきであろうと思われるが、搾取でも制圧的でもない、その文化に触れ
る「初心者」「異文化にルーツを持つ者」がやや軽率と見られても仕方のない行為に及んでしまうのを全面的に否定しては、文化の紹介・浸透を害し文化輸
出の進展に支障が生じる原因ともなろう(あるいはUraraは米国在住ゆえに、米国式の多文化理解をしているのかもしれない)。


(余談だが、筆者はアプロプリエーションと聞くと美術の分野で使い古された手法を思い起こしてしまう(参照)。「作品のなかに過去の著名な作品を取り込むこと、『流用』『盗用』とも。現代美術の表現方法は、主題の変奏から先人の作品の模倣、改作からコラージュ、引用と展開」「しかし、アプロプリエイトした作品はつねにアプロプリエイトされる可能性に晒されているため、その過激さや先進性は必然的に薄れ、ウェブ上で実体なきイメージが氾濫する現代では、そうした方法は急激に失速した」。事実、現代美術においてとっくに飽きられている手法である)


作品と文化は異なる枠組みを持ち、宗教・神聖さとマイノリティもまた同様だ。文化から多様体(ヴァリアント)を生じさせる自由さやオリジナリティと、特定の作品における権利は別問題であり、文化における「聖なるもの」の取り扱いと、文化・民族上の弱者である事も同一とするべきではない。

どうやら根深いミスがあるらしい。文化上の宗教・神聖さと、それ以外の文化・作品とを混同してしまうという一種の不要な拡大解釈と呼べるものが。

搾取や抑圧には対抗すべきだが、「マジョリティだから」「白人だから」というだけの理由で、公正かつ好意的で罪のない異文化の取り入れを「些細なミスさえ許さずに」実行する事を求めるというのは、いくらなんでも行き過ぎのように思うのだが……。




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