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インスピレーションを友達にする。

「インスピレーション」って何か調べると…「直感的なひらめき」「瞬時に浮かぶ思いつき」「神や天の声などの特別な感覚や霊感」というあたりがでてくる。(経験によっては感覚的差は色々有り)語源で言うと新しいものを吸い込む。という意味だったりする。


インスピレーションと言ってしまうと、なんだか凄そうだけども、凄いと思うと自分でハードルを高くすることになる。首を絞める。

芝居中に起こるインスピレーションは、何ヶ月もエネルギーを詰めて詰めて凝縮させてたものが、本番で一気に爆発。みたいなところがあるので、圧倒的な感覚のものが多かった。師匠の演技を見てても、現実生活には無いどこかに持っていかれる。

だから、日常的では無いものにずっと祭り上げてしまっていた。一度受けた衝撃的な感覚を祭り上げればあげるほど、誰も頼んじゃいないのに何か素晴らしいこと、すごいことをやらなきゃ。との気持ちが無意識に高くなり、プレッシャーは、勝手にマックスへ。そして不本意はなはだしいが自爆。徒労な自爆を繰り返して疲れ果てて、挙げ句の果てには苦しみばかりで何が好きでやってるのかわからなくなっている。スランプのドツボ。。。

そんなんこんなんしているうちに、ふと。

日常的にインスピレーションはあるんじゃなかろうか?と思いはじめた。日常的にインスピレーションを受け取れるようにならないものかと意識しだして最近の結論。

質の差は色々あるにせよ、

大なり小なり日常的にインスピレーションはやって来てる。無いなんてことは生きてる限り、ない。


よく意識してみると、人間はインスピレーションと共にある。そういう生き物だと思う。でないとおそらく病気になる。もしくは、生きてるとは言えない状態になっていく。

何かしら降ってきたもの閃きのようなものと共に、人生を共同創造している。ただ、気がついていないだけで、しかも、その降ってきたものから何かしらのエネルギーを受け取って生きる原動力にしている。

行動の機動力である欲求ももしかしたら閃きのようにやってくるものではないかと思う。そうでない欲求の質もある。欲求には、大きく今のところは5つくらいあって、日々そのコンビネーションかな?と思う。


1つは、生存欲求から生まれてくる腹減ったーなんか食いたい。寝たい。みたいな欲求。

2つ目は、過去の経験や神経系にインプットされた行動パターンによる欲求。感情的に動いていようが考えをもとに動いていようがその感情や考えに同じような行動パターンを反射的にしてしまっている時。パブロフの犬的。新しい変化がパブロフ君には生み出せない。残念ながら日常を無意識になんとなく生きている時はこれが多い。

3つ目。新しいものに出会った時の知りたい、確かめたい欲求。未知なものへの欲求。喧嘩している相手の何でそうなるの?!っていう不可解さも含めて。物質や出来事からの知りたい欲求。


4つ目。創造活動、何かを作って楽しんでいる時の欲求。どうなるかな?とワクワクしている状態。次々と試したくなる欲求。

5つ目。ポコっと降ってくる疑問や欲求。天啓的なもの?



私にとっては、この3つ目の経験からの何で?!何なんだ?っていう大きな人生への問いが人生の方向性をつくり、4つ目は推進力。5つ目のポコっと何気なく降ってきた小さな思い付きみたいなものが、軌道を描く点になっていたりする。自分で選択して生きているようで、閃きで導かれているようで…どちらもそうで、不思議なことに卵が先か鶏か、啐啄同時みたいなそこには考えてもわからない不思議がある。



んで、日常的にインスピレーションはある。ということに話を戻すと、

1や2が生活の主体を締めているときは、来にくい。というか、来ているのだけれど、気がつかない。何故かというと、既存の『知ってる』というもので埋め尽くされているからだ。半機械的に流れていて、そこには新しい息吹が吹き込む余地がない。

3や4の5時は、未知のものへの好奇心。知りたい欲求。そんな発動から火がついてエネルギーが加速していく。

これなんだ?という問いかけの発信。そして、その問いに対して答えの受信がある。これなんだ??というときには、私の中には『わからない。』という空っぽ状態がある。そこに閃きの入る余地が生まれる。


人っていうのは、未知のものへの好奇心や驚きから『問いかけの発信』空っぽの状態で待つ時。「答えがやってくる時』みたいな繰り返しの中で生きている。

そして、インスピレーションは、

問いの質。待つこと。待つ状態が大事。

問いの質でインスピレーションの質が決まる。その問いは知性的な問いか?感情的なエネルギーが込められているのか?色々な経験が圧縮されてどうしても知りたいみたいなエネルギーなど、問いに込められるエネルギー総量が大事になる。その総量の分だけエネルギーはやってくる。

そして、問いを発する時の身体状態も大事。『開けっ広げさ』がものをいう気がする。もー、すみませーーん!ギブです!どーすればいいんですかー!助けてくださーい!みたいに両手放しになった時は返事が早いです。^_^あと、ワクワクとか、頭で求めてる感じより心で求めてる感じ。の時は喜びをもたらす感覚のものがやってくることが多いです。(私の体験では)


そして、待つことの大事さ。

答えがくるのはいつかわからない。そして、どんな答えがどんな形で来るかもわからない。自分のイメージや期待を色濃く持ってしまうとやってくる答えのストライクゾーンが狭くなる。自分のイメージしているものしか見れなくなるからだ。予想外の答えが来た時にスルーしてしまったり、つかんでも大したものではないとポイしかねない^_^

しかも、想像範囲内のものが来てもあまり面白くない^_^


インスピレーションと仲良くなる。


日常で『ワクワクしながら問いを発してみる』そんなことをしていると、その感覚と仲良くなってきて、起こるのが当たり前になってくる。と思う(実験中)そして、その感覚にだんだん信頼が持てるようになってくる。そうすると、やってくるのが当たり前なので恐怖が少なくなってくる。来ない時は自分の状態や問いかけ方を変えるだけだからだ^_^

今年は、そんなんこんなんで、人生を楽しんで行こうと思ってます。





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