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20年前のインドで感じた事

今朝、いつものブログを見てて、ふとワタナベカオルさんの記事を読んで、インドへ行って色々思考が変わったという事書かれたので、超同感した私も同様なコラム兼忘備録。インドから日本へ帰る飛行機の機内で、インド感想文『人生の感想文』は、今は実家に保管中。


1999年5月〜6月にかけてインドはムンバイからアラビア海をバックパッカーとして南下しました。サイババに会ってみたくて(笑)もちろん会えず、ギブアップ。というか、インドにギブアップでした。

20年以上前なので、今とはまた全然違うとは思います。が、空港へ着き、外へ出た瞬間の臭いと、タクシー乗って最初の宿へ行くときに見た、初めてのインドに衝撃を覚えた気持ちは今でもはっきりと覚えています。

私は戦争をしらないけれど、おそらく戦後の日本はこんなかんじだったのかな?と思うような光景。とにかくすごい数の人で、寝ているのか、ハエがすごくたかっていたので、もしかして亡くなっているのか、それもわからないほどの道路に寝転んでいる人たち。タクシーの窓の隙間からは、何人もの小さな手が入ってきます。(お金ちょうだいと)子供の。

もうそれはここで書く以上に衝撃的で、とにかく驚きの連続でした。1ヶ月過ごして、普段ほどほどに強い私ですが、お腹も何度も壊しどんどん痩せってったので、大変でした(汗)しかしアラビア海沿いに、ぐんぐん南下して日本人は珍しいかったのか、初めて見たのか、田舎町では一緒に写真撮って!って列ができたり、面白い経験もしました。いやいや、旅行記ではなくて、感じたことなんですがね。

私が悩んでることなんてマジちっぽけすぎるわ!

壮大な景色を見たときにこう思うかたは多いかと思います。しかし、私はこの衝撃的な光景を今までの人生24年間で(24歳のときに行ったので)見たことがなかったので、ヌルい、平和すぎる日本での私のその時の人生の悩みなんて、ハッキリいってどうでも良くて、そんな悩みが悩みであることすら恥ずかしいくらいで、日本に生まれて良かった。こんな可愛い悩みが悩みって‥、、って感謝の気持ちが湧き上がっていました。

そのくらいその時の私には衝撃的なバックパッカーの旅のインドだったんです。そのことを教わりに、きっとね、インドに呼ばれたんだろうな。って思いますが、もうインドに呼ばれることはなさそうですね。。

忘れられない25歳の誕生日

この頃、結婚する友達もチラホラ出る中、私はインドにバックパッカー笑。
25歳の誕生日は、ムンバイから南下したとある街から出てる寝台列車の中でした。寝台列車はランク分けで、バックパッカーいえど、勇気はあっても小心者の私は一番ランクの良い1等車で。しかしそれでもなかなかのハードな体力勝負な1等車(日本だと自由車以下だと思う)※ちなみに2等車の自由席は人パンパン、そして牛と一緒、そして、、、と続きますが。凄かったです。今ではいい経験。そう、その車内中で25歳を迎えました。
なので、他の前後の歳の誕生日に何してたか?なんて覚えちゃいませんが、この25歳の誕生日は生涯忘れうことはないと思います。


帰りの機内で書いた作文。

平和ボケ、平和に感謝しなければならない。忘れないで、この光景。

というタイトルでした。確か・・・・今は少し思いは違いますが、日本人で良かった、ってこのときは真剣にそう思った帰りの日本行きの飛行機だったのでした。(20年以上前ですので、現在の光景は違うと思いますが)

日常と離れて、いろいろな角度から物事を見つめ直せ、今ここにいることに更に感謝の気持ちが溢れ再確認し、いつもと違った土地・人のエネルギーを身体に入れて、それをまた人生の糧として生きていく。だから私は旅が大好きです。インドにもう行くことはないと思いますが(笑)

タイの水かけ祭ソンクラン中のランチ
これもバンコクのソンクランの時
バリはハワイにハマるまで相当行きました
東南アジアの屋台
中国に返還前の香港


インドの写真はありませんでしたが、、少しだけ昔のアジア写真が出てきたので。私の若い頃の旅は、ほぼバックパッカーです。宿も行き当たりばったり、今はしたくないですがね!あはは。


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