見出し画像

インタビューその1:情報誌の敏腕編集長に聞く!編集脳のつくり方

イラストレーター&文筆家・陽菜ひなひよ子です。今回から「インタビュー企画」をはじめます。

今回の記事はインタビュー企画です。わたしのまわりにいる「クリエイティブな活動をしている人」に「仕事、創作について」など赤裸々にきき、その人の「クリエイティブのタネ」を見つけよう!という企画の第1回

記念すべき第1回にお話を伺ったのは、全国展開するフリーペーパーの先駆け「リビング新聞」の名古屋版・名古屋リビング新聞社の敏腕編集長の中島幸子さん

画像18

リビング名古屋・2020年10/16号(拙著をご紹介いただきました♡)


最近Kindleで出版した「思い立ったらすぐ行動!『編集脳のつくり方10』」Amazon15部門1位というすごい記録を達成した中島さんに、本では読めない「編集脳ができるまで」をお聞きしました。

文・イラスト:陽菜ひよ子 
写真:宮田雄平(表記なきは宮田撮影)(一部・むらぴょん撮影)


Amazon15部門1位!「思い立ったらすぐ行動!『編集脳のつくり方10』」

編集長にDJにア〇〇ル、多彩過ぎる顔をもつ中島さん

画像8

最初に中島さんのことをザックリとご紹介します。

中島幸子さんProfile
福岡県出身。名古屋市在住。
名古屋リビング新聞社 メディアプロデュース部 部長(取締役)
現在は「リビング名古屋」「あんふぁん東海版」「ぎゅって東海版」の編集長を兼任。
MID-FM「編集長&HIROのよかよかnight」パーソナリティ(番組は2021年9月末で終了)

上記お仕事だけでもお忙しいのに、プライベートでも本当にたくさんの活動をしておられるのです。それがどれも濃い!

熊本復興支援「愛!チカラプロジェクト」主宰
女性の幸せを応援「Cota club」主宰
熟女アイドルユニット「AES」リーダーとして活動中

「じ、熟女アイドル・・・?」

そう、編集長は実は、アイドルなのです!

画像3

(写真撮影:むらぴょん)

ユニット名のAESとは、「あんたら ええかげんに してちょ♪」の略なんだそう。ユニット名がすでに自己ツッコミなのがすごい!

編集長は、ただかわいいだけのアイドルじゃありません!
2016年に起きた熊本の震災後は、毎年復興支援イベントを行っています。

画像4

2016年6月:熊本復興支援「愛!チカラプロジェクト第1回」(撮影:宮田)

このときは私は受付嬢、宮田は撮影部隊としてお手伝い。

画像8

これはたぶんお互いに撮影


踊って笑って、早10年!

中島さんと最初にお会いしたのは、かれこれ10年近く前の2012年。知人の紹介を受けてイラストの売り込みに行ったことがきっかけでした。

それから中島さんと一緒の時には、私もいつも踊っていたような。。。

モロッコ料理を食べて踊り

画像1

(写真撮影:むらぴょん)

ラジオ「編集長&HIROのよかよかnight」に呼んでいただいて踊り。。。

画像4

(写真撮影:むらぴょん)

とまぁ、中島さんはこんな感じの素敵な方です。。。イメージ沸きましたでしょうか?

ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本番。もう少しだけ(いやだいぶ長いけど)、お付き合いくださいませ。


いじめられっ子から、文才を開花させた中学時代


ゴムまりみたいに今にも弾け飛んでいきそうな中島さん。子どもの頃は意外にも「すごくおとなしい子ども」で、小学低学年時はいじめられっ子だったのだそう。

小学時代にはすでに、のちの中島さんの片鱗を垣間見るような出来事がありました。3年生の夏休みになんと福岡県の作文コンクールに入賞!!するも、突然決まった転校で、受賞が取り消しになるなど、波乱含みなところも変わっていません。

おとなしくて、言いたいことがうまく口に出せない中島さんにとって、文章の中だけは自分自身を表現できる唯一の世界。内向的だったことが文才を磨いた、と言えるのかもしれませんね。

ちなみに、その作文の書き出しは「わたしのお母さんは、タバコとお酒とダンスが大好きです」だったのだそう。。。

。。。。。
。。。

中島さん、やっぱりこの頃から変わってないのかも。。。

そして、ダンス好きは遺伝だったんですね!

画像5

「お尻プリンプリン体操」(2016年)「ネットワーク企画コンテスト
クリエイティブ部門」大賞受賞
(写真撮影:むらぴょん)


中学生になる頃には、中島さんらしさ全開に。抑えきれない文才がまるで火山の噴火のように噴き出してきます。

その頃すでに、友達の間で「文章がうまい」と評判だった中島さんは、4人の友達から宿題の読書感想文のアドバイスをたのまれます。そこで、4人分のアドバイスと添削を引き受けました。

それだけではありません。

中島さんの分も含めて5人分、見事に入選したのです!これ、すごくないですか?プロだって10割はなかなか打てませんよね。

弱冠13歳にして編集の能力を発揮していた中島さん。さすがです!


高校卒業後、初めての就職活動


中島さんの経歴によると「高校卒業後、様々なアルバイトを経て、24歳で大学生向けの情報誌を発行している出版社に編集者として入社」されています。

今でいえば、フリーターからいきなり編集者になられたわけです。(当時はフリーターという言葉はなく、プータローと呼ばれてました)

編集者って、すごく人気の職業で狭き門です。いい大学を出ていないとなれないイメージがありますが、高卒でどうやってなれたんですか?。。。と聞きづらいことを直球で聞いてみました。(すみません、私の失礼さには定評があるんです)

私の失礼過ぎる質問にも、中島さんは気を悪くされた様子もなく、ニコニコとお話してくださいました。

画像9

まず、中島さんは望んでプータローになったわけではなく、理由がありました。高校3年の時に病気をして休学し、何とか卒業だけはできたものの、受験も就職もどちらもできなかったのです。

アルバイトをしながら体が本調子になるのを待ち、24歳の時にはじめて就職することを決めます。

どんな仕事をするか?と言っても、消去法でしか考えられませんでした。

「事務職・ダメ」「販売職・ダメ」「営業職・ダメ」
・・・ダメばっかじゃん!

できないことだらけだけど、自分はやはり「文章が好き」だと気づきます。それならと「編集部狙い」で行くことに決めました。

なかなか大胆な発想ですが、このときこう考えなければ、今の中島さんはなかったわけです。

このお話から教えられるのは、無謀かもしれなくても、チャレンジすべし!ってこと。「ダメかも」なんて考えずに行動してみる!そこから道が開けるかもしれません。


未経験から編集者へ

広告を見て、アルバイト情報誌の求人に応募しますが、その仕事内容が、一日中ひたすら「校正」(原稿の誤字や内容のチェック)をするものでした。

明らかに校正は向いてなさそう。中島さん自身もそう思いましたが、面接官もそう思ったそうです。(鋭い!)

となれば、普通は面接に落とされて終わり、となるところですが、中島さんの持って生まれた引きの良さなのか、面接官は「グループ会社でも編集職の求人を出しているから受けてみれば?」と勧めてくれたのです。

とはいっても、グループ会社に応募してきた人のほとんどは、経験豊かで優秀な人ばかり。その中で中島さんが採用されるのは、通常なら、ドラフト会議で甲子園出場者を押しのけて未経験者が一位指名されるくらい確率の低いことです。

しかしなんと、グループ会社の編集職として無事採用。パチパチパチ!

理由は「明るかったから」・・・えっ?

そこにはその会社の事情が大きく関係していました。社内に編集長派と反編集長派の派閥ができてバチバチ対立。反編集長派の編集さんが辞めることになり、次の人は編集長と仲良くできそうな人、という条件で探していたのです。

応募者の中でひときわ明るく、元気が良かったのが中島さん。採用を決めた専務さんからは「この人なら!」とある意味「ものすごい期待」をかけられていたわけです。

画像10

「こうやって潜り込んだのよ、ウフフ」

そしてその結果は大正解!

その後のことは『編集脳のつくり方10』に詳しいですが、中島さんはその会社でメキメキ編集者として才能を発揮します。そして35年経った今も、当時の会社の人たちと仲良し。専務さんの期待にしっかり応えた中島さん、さすがです!

「明るく元気がある」って大事ですね。無謀なことに挑戦する時こそ、忘れずにいたいものです。

なかなかスパルタな会社で、入社して3日目に突然単独取材を命じられ、1年後には編集長に抜擢されます。ここまでが中島さんの福岡時代のお話。結婚を機に舞台はナゴヤへ移ります。


編集者として最大の武器


中島さんの出身地・福岡は「転勤族が住みやすい街」として知られ、ナゴヤは逆に「住みにくい」と悪名高い街です。よそから来た人は大抵「ナゴヤに来てすぐは大変だった」と苦労話をするのが「お約束」ですが、中島さんからは聞いたことがありません。

中島さんを一言で言い表せば「人たらし」。知らない間に相手のガードを解いてガシッと心をつかんでしまうのです。中島さんのパワーをもってすれば、ナゴヤ人のココロの壁なんてどうってことはないのですね。

初めてお会いした時、その人懐っこい笑顔に、ぐるぐる巻きにした心の包帯が解かれ、するする緊張が解けていきました。

その後Facebookで中島さんを見つけて、一度しかお会いしてないのにためらわず友達申請できたのも、この人なら拒絶しないだろうという「懐の大きさ」を感じたから。

もちろん気軽に声をかけられる雰囲気を持ちつつも、リビング新聞の編集長としての威厳やオーラは全身から感じます。

それは特に取材することの多い情報誌の編集者として、すごい武器だと思うのです。

画像13

この笑顔に、みーんなとりこになっちゃうのです。


偉い方なのに、なんでそんなに親しみやすいのでしょうか、と聞いてみると

「だってね、ひよこちゃん。今の私のところにいろんな人が寄って来てくれるのは、リビング新聞の肩書があるからよ。それに胡坐をかいて偉そうにしてたら、何もなくなった時にみんな離れて行っちゃう。大事なのは、肩書が無くなった時に、どれだけの人が残ってくれるか、だと思うの」

本当にその通りですね。

この言葉、感動しながら、あいつにもこいつにも聞かせてやりたい!と心の片隅で思ったのはナイショ。


希望は挫折の先にある


ここまで読むと、中島さんの半生、幼少時代を覗けば順風満帆だった、と感じるかもしれませんが、そうではないのです。中島さん、言葉を失うような辛い経験もされています。

この本には、そんな辛い経験も赤裸々に語られています。実は私はそういった事情も以前に伺っていたのですが、本書を読んで「え!ここまで書いちゃうの?」と軽く衝撃を受けたのでした。

一度は全てを捨てて福岡に帰ろうとしたこともあったのだそう。

明るい人ほど影もある、影が濃いほど明るさが引き立つ。その経験の陰影こそが、中島さんの人柄の奥深さの所以なのでしょうね。

画像14


約10年前に始まった中島さんとの交流。

中島さんにFacebookで友達申請を送ったのは、仕事が欲しかったからというより、中島さんの日常があまりに面白過ぎたから

そう伝えると「え~?ひよこちゃんと知り合った頃の私って、まだおとなしかったでしょう」と怪訝そうな中島さん。

そういえば、中島さんがラジオのDJをはじめたのも

画像12

(写真撮影:むらぴょん)

アイドルとしての活動を始めたのも、私と知り合ってからのこと。

画像14

(写真撮影:むらぴょん)

ここ10年の間に中島さんはどんどん進化してるんですね。


ミラクルづくしの初出版


最後になりましたが、今回出版された本について伺ってみました。

電子書籍という形式をとった理由として、今までやったことないことをしてみたかったということがあるそう。

編集歴35年の中島さんから見ても、電子書籍は知らないことだらけ。KindleはKDPに登録するところから始めなくてはいけません。

新しいことを知れるのが楽しくてたまらなかったという中島さん。何より、知らないで電子書籍について語ることはできません。知ったことで今後は堂々と語れます。

編集の仕事では、あちこち取材へ行くたびに事件を呼ぶ中島さんですが、その期待を裏切ることなく、初出版でもものすごいミラクルを起こします。

なんと、Amazon15部門1位という快挙を成し遂げました。

Amazonのしくみとして、勝手にカテゴリに振り分けされるのですが、「経営学」「売れ筋」などといったカテゴリ以外に、なぜか「歴史」「地理」といった謎のジャンルも。

そんなのランクインしてるわけないよね、といいつつ何となく見てみたら・・・「ええっ!」

なんと、1位ではありませんか!

画像15

証拠のスクショ(提供:中島さん)

これはもう歴史を変えた、地理を塗り替えたと言えるかもしれません?


裏テーマ:遅咲きのヒト


実はこのインタビュー企画には、裏テーマがありまして。それが「遅咲き」なんです。

私・陽菜ひよ子は、自身も30代半ばでイラストレーターになったこともあり、ずっと「遅咲き」の人に注目してインタビューしたいという願望を持っていたんですね。

中島さんは編集一筋35年の方なので、遅咲きとはちょっと違うかな、と思っていたのですが、いやはや、十分その要素を満たしておられます。

遅咲のヒトとは、通常は

「年を重ねてから長年やってきたことが認められた人」

のことを指しますが、私の考えるそれは

「年を重ねてからキャリアを構築した人」
「いくつになっても新しいことを始め、結果を出せる人」

なのです。

50代でアイドルやDJになり、電子書籍を出版して15部門1位を取ってしまった中島さん。年を重ねるごとにより自分らしく、生き生きと活動される様子は眩しいほどです。

画像16

2017年11月「ラジオ・よかよかnight100回記念パーティー」
ちょうど個展中の夫・宮田をご紹介くださってます(撮影:ひよ子)

きっと中島さんはこの先も、いくつ年を重ねても、輝き続けて行かれるんだと思います。

そして実は誰もが、いくつになっても輝けるんだと私は思うのです。


いつも一緒に踊ったり笑ったりして、楽しく過ごしてきた中島さんと私ですが、ちゃんとお仕事もしています。

2019年、リビング新聞20周年記念のぬり絵イラストを担当した際には、中島さんと編集部Mさんと私の3人で審査員を務めました。

画像17

(写真撮影:リビング名古屋編集部の方)

審査の様子と結果

こちらからぬり絵が楽しめます!


5年ぶりにラジオ局前で記念撮影。印象よりだいぶ小さな中島さん。でかい私、パワーでは完全に負けてます。私も頑張らねば!!

画像6

中島さん、お忙しい中ありがとうございました!


写真担当・宮田のnote


いいなと思ったら応援しよう!

陽菜ひよ子 / インタビューライター&イラストレーター
もし、この記事を読んで「面白い」「役に立った」と感じたら、ぜひサポートをお願い致します。頂いたご支援は、今後もこのような記事を書くために、大切に使わせていただきます。