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最速で自分のクリエイティブを上達させるための条件

フリーライター&イラストレーターの陽菜ひなひよ子です。

わたしの通っていたイラストスクールでは、日本のイラストレーション界の礎を築いたといっていい大御所の方々から直接学ぶことができました。その後もご縁あって、ほかの大御所先生と交流させていただく機会がありました。

「僕はプロになって数十年経つけど、今も絵がうまくなってるからね」と笑いを取っていたI先生。それから個展に伺った際に「自分だまだまだだと思うから続けていられる。もう成長し切ったと思ったら、僕は描くことを辞めるよ」と本音を語って下さったS先生。

今日のお話は、この先文章の話に移りますが、絵でも文章でも写真でも「とにかくたくさん書きなさい」「一朝一夕ではうまくはなれない」とはよくいわれます。

時間をかけて、たくさん書くことでしか成長できないということ。でも、この効率化を求められる時代、そんな悠長なことは言っていられないというのが、みなさんの本音ではないでしょうか。

ここではわたしの考える「最速」で「成長する」ための条件に付いてお話したいと思います。


恥を忍んで載せる、3年半前の熟成下書き


話は飛びますが、昨日9/4に、こんな記事を投稿しました。

この記事、3年半前にほぼ全部書き上げたものの、しっくりこなくて、そのまま眠っていたものだったんです。

2020年3月3日に下書き保存したまま放置

読み返してみると「言いたいことのタネ」は悪くないものの、少し回りくどいというか、伝わりにくい。

バラバラと余計なエピソードが配置されていて、何が言いたいのかわかりにくい‥‥こんなに下手だったんだ、3年半前のわたしよ。

と言われても、それこそまったく「伝わらない」と思うので、恥を忍んで、3年半前に書いたままの記事を載せてみます(読む・読まないはご自由に。読まなくても、まったく問題ありません)


自らリライトした記事がこちら。今もまだまだではありますが、多少は読みやすくなったと思います・・・(たぶん)


自分を成長させる、唯一無二の条件


いろんな意見があるとは思いますが、わたしは、もっともクリエイティブが成長するのは「仕事として請け負ったとき」だと考えます。

仕事として請け負い、客観的に自分の作品を眺めた時に、多くのことを学べます。誰のためでもなく、制約もなく、好き勝手に書いただけでは得られない、高い意識の向こうへ、連れて行ってくれるのです。

自分のブログに好きなように書いた記事を100本載せるより、1本仕事を請け負う方が成長できるでしょう。

仕事でなくても、同等の高い意識をもって作品作りができるなら、もちろん成長することは可能です。たとえば、PVを上げるために、ただ引きのいいワードをちりばめるのではなく、より人に響く文章を研究するなら可能かと。


今回のケースも、3年半経ってリライトできること、いや元記事がダメダメだと気づいた時点で、少なくとも3年半前より成長できているはず、です。

この3年半の間にどんなことがあったか、と言えば・・・実はわたし、3年半前は「ライター」ではなかったのです。3年半前にも、仕事で文章を書くことはあったけれど、あくまでも本職はイラストレーターで、副業的に文章を書くだけの人、でした。

それが今では、新聞社やテレビ局を中心に、レギュラーをいくつも持つ「ライター」になりました。逆に、たまにイラストの仕事をする人、になりました。たくさんの文章を「書いて、書いて、書き切って来た」3年半だったのです。


「伝わる」作品づくりのために


ライターは文芸の作家とは違いますし、イラストレーターは芸術家ではありません。両者に求められるのは、格調高い表現でも至高の物語でもありません。ただ「伝わること」が求められます。

でも「伝わる」って言うほど簡単ではありません。単一民族を基本とする国家である日本では、比較的同じとされる「前提」ですが、それでも人によって「あたりまえ」とする前提は違います。前提の異なる人々に等しく「伝わる」作品をつくると考えれば、それほどたやすくないことは想像できるでしょう。

「何によって傷つくか」も一人ひとり異なります。想像力を駆使して配慮することは、メディアに載せる文章であれば、必須です。

今回のわたしの元文でも「親のひいき目」という暴言も書かれています。今のわたしなら、こんな書き方はしません。もちろん、おもしろければ、毒を吐くこともアリですが、これ別におもしろくないし。(気を悪くされた方がいらしたら、すみません)

仕事で受けることで、編集者や読者の目にさらされ、忌憚なき意見をもらうこともあります。「伝わる文章への意識」と「他者への配慮」の積み重ねがある人とない人とでは、数年後書くものに差があるのは当然でしょう。


余談:2カ月で本一冊分の「本文・漫画・イラスト」を書ききった経験


この記事を3月に書いた直後、2020年の夏には、わたしはかなりのハードスケジュールで本を執筆していました。この「追い込まれながら本を書いた経験」も自分を成長させてくれたと感じています。

世の中はコロナ禍がはじまり、周りでは予定されてた出版が取りやめになったという暗い噂が飛び交い、不安からまったく書けなくなりました。

結局、まともに書けるようになったのは「9月初めに発売日が決まった」と編集さんから連絡をもらった6月後半になってから。締切りは8月末。わたしの場合たった2カ月で、約180ページの本文と漫画やイラストまで全部ひとりで書かねばなりません。

それがどれほど無謀な話かは、編集さんから何度も「間に合いそうになければ早めに言ってくださいね」と念を押されことからもわかります。しかし、ライターとしてはひよっこのわたしではありますが、イラストレーターとしては15年以上のキャリアがあります。

「間に合う」と自分が確信したなら、必ず間に合わせます。それだけの場数は踏んできたつもりです。

7月初めまでの2週間ですべての取材をこなし、取材記事を完成させたらコラムに取り掛かりました。7月中に文字だけは完成させて、8月にゲラチェックをしながらイラストを入れていく、というかなり無茶なスケジュールです。

救いだったのは、自分にとって無理の利くイラストがあとに来ていること。余裕のあるときに文章を仕上げられれば、イラストはどうにかなる、と考えていました。そしてその通り、何とかやり通したのです。

このときの極限状態で、自分はかなり成長できたと感じます。この本を出したお陰で、わたしはライターとして生きる方向性が定まったといえるのですから。


おまけ:青い鳥逃げた


おとといの日曜、noteの記事をXにシェア。まだ鳥なのねと思いつつキャプチャーをパシャリ。月曜に投稿した記事をシェアしようと見ると、いきなりXに変わっとる!9/4に変更って中途半端な、と思うけど、月曜だからか・・・




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