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「嫌われる勇気」との出会い

こんにちは、日向ひむかいたかしです。

今回は、自分が出会った書籍からのエピソードを書いてみます。


出会いと葛藤

「嫌われる勇気」というアドラー心理学の言葉に初めて触れたとき、正直言って私は衝撃を受けました。
なぜなら、それまでの自分の生き方とまるで真逆の考え方だったからです。

自己分析や、自己理解をし続けていたことは、何度かこれまでも記事にしています。その過程で、色々な書籍を読み漁っていたのも事実です。
(マンガ編も読みましたが、おなじみの青の表紙の方も読みました)

「嫌われる勇気」とは、他者からの評価を恐れず、自分の価値を自分自身で決めるという考え方。

私自身はいつも人に嫌われるのが怖くて、相手の顔色を伺いながら過ごしていたのです。
常に「他者からどう思われるか」ばかり
自分を後回しにして、相手に合わせること「嫌われたくない勇気」が、私にとっての「処世術」でした。
しかし、挙句の果てには「嫌われたり」「自ら嫌って」しまったりで、本末転倒の繰り返しをしていることになっていました。


嫌われることを恐れない勇気

嫌われる勇気とは他者を無視することではなく、まずは自分を大切にするということだということです。
他者に合わせることは、その瞬間的にはトラブル回避のために使うこともあるかも知れません。
しかし、いかなる場面でもそれは自分を見失い、苦しさを増していく結果になってしまうのです。

人間関係の中で「自分の価値観を持つこと」「自分をしっかりと認めてあげること」こそが、本当の意味での勇気だと感じられるるようになりました。


本を読んでも、全く理解も実践もできず

この「勇気」を持つことができたのは、長年抱えてきた認知の歪み、インナーチャイルドの傷から少しずつ解放されてからだと思っています。

カウンセリングを受け、自分がこれまで生きてきた道のりや苦しみを素直に受け入れ、その上で自分を肯定することができるようになったからこそ「嫌われてもいい」と思えるようになっていったのです。


自分を守るための選択として

「嫌われる勇気」という単語だけの意味を履き違えないことです。

社会生活において、完全に他者との関係を切り離すことはできません。
むしろ他者との繋がりの中で成長していくからです。
ここで重要なのは、他者の評価に縛られず、自分自身の価値をしっかりと認めることです。

そのためには、時には「嫌われる」ことも必要かもしれません。
自分を大切にするために、自分にとって必要なものを選び、不必要なものは手放すということ。

もしかしたら、その過程で、他者との関係に波風が立つこともあるかもしれませんが、本当に嫌われて、去られてしまったら、追いかけることなく。
それら困難もまた、自分自身を受け入れ、愛するための重要なステップとなるからなのです。



最後に

「嫌われる勇気」を持つことは、他者を否定することではなく、まずは自分自身を尊重するということです。

私もまだその道の途中ですが、自分の価値観や思いを大切にしながら、他者との関係を上手く築いていくことができているのも紛れのない事実です。

これまでの私にとっては「嫌われること=失敗」でしたが、今では「嫌われることも一つの選択肢」という考え方と実践ができています。
おかげで、とても楽になりました。

もし、他者の評価や期待に縛られて苦しんでいる方がいるなら、自分自身を客観的に見つめ直してみませんか?

自分が何を本当に望んでいるのか、どんな価値観を大切にしたいのか。
何かに気づくことができるかもしれません。

決してそれは孤立するための一歩ではなく、本当の自分らしく生きるための一歩となるのですから。

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このnoteでは、過去のエピソードに基づき深堀りしてブログ化しています。
それら全体的なストーリーを1冊にまとめています。
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さらに、今回の記事は「嫌われたくない勇気ばかりで八方塞がりになり、うつ病を患う迄に至ってしまった」そんな土台、過去の深い背景はこちらに書き起こしています。

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