断捨離を始めたら毒親も断捨離できた話#6
みなさんこんばんは。
エッセイ「断捨離を始めたら毒親も断捨離できた話。
いよいよ6回目!
サクサクッと進めてきましたが、今回が最終回です!
それでは今回も、お付き合い下さい。
6回目は昨日に引き続き、「断捨離を始めて変化した事」についてです。
母親が遂に、離婚を考え始めたことで、私の気持ちにも変化が表れました。
断捨離の本を読みながら色々捨て始め、だいぶ家がスッキリしてきたので、
これを機に、実家の自分の物を処分してしまおうと思ったのです!
実家に帰ることはほとんど無く、帰っても年に一度。
つまり、ほとんど使う物はありません。
というわけで、ゴールデンウィークに主人と実家に帰省して、自分の物を全て処分してきました!
実家には思い出の物もありましたが、それらもほとんど処分しました。
学生時代に友だちと送りあったたくさんの手紙は、一つずつ読み始めたらキリがないので纏めて写真を撮り、
「こんなにたくさんありがとう」とInstagramに投稿して捨てました。
また、中学生の時からずーっと書いていた日記は残そうかと悩みましたが、
過去はほとんど嫌な思い出ばかりなので、あまり見ずに捨てました。
好きなアーティストが載った音楽雑誌は、スマホのスキャンアプリでいつでも読めるようにスキャンして捨てました。
何故か残していた中学や高校の時の教科書やノートも処分しました。
恐らく一番捨てたのは紙類です。
資源ごみ回収でお店のポイントが貯まる場所があり、そこに纏めて出したのですが、なんと44kgもありました!
次に多く処分したのは衣類です。
実家にある服=なくても困らない服ですからね。
だいぶ物が無くなって、明日には帰れるね~という日の晩。
忘れもしない5/2の事です。
急に父親に呼ばれたかと思うと、「全然連絡寄越さねぇけどどうなっているんだ?」と。
思わず私は聞いてしまいました。
「え?なんで私今怒られているの?」と。
両家顔合わせをドタキャンしておいてどうなったもなにもなくないか?
どうやら私が直接連絡を寄越さない事に腹を立てているようでした。
というのも、私は父親の連絡先を知りません。
スマートフォンを持ったのは高校3年生の時でしたから、もう完全に父親とは口を利いていませんでした。
なぜそんな人間に連絡をしようか?いやしない。
両家顔合わせも母親伝に話は聞いていたはずです。
ですが、プライドがアコンカグアの男は、それすらも許せないのです。
もちろん私は連絡先を知らないからと言いました。
それを聞いてアイツは言いました。
お前は馬鹿か?そんなの調べれるなりなんなり出来るだろうと。
いや、だったらお前が連絡先を聞けばいいのになんで私が聞かなければいけないんだ?
プライド高すぎ男には、その思考は一切なかったのです。
私を完全に見下した男に、私は言ってやりました。
「だって、必要ないと思ったから。」と。
そもそも、私はこの男を父親だとも思っていないのです。
これまで何度この男を殺してやろうかと思ったでしょう。
それでも、こんな奴を殺して罪人になるのは嫌だなぁという理性で、殺さずにいられました。
私にとってこの男は、殺す価値もない人間なのです。
それでも怒るアイツに、私は言いました。
「だって、もう家族じゃないのでしょう?」
自分が言い出した事じゃないか。自分が言ったことを覚えていないのか?
もう少し自分の発言に責任を持った方がいいですよ?
そう言ってやりたかったのですが、プライド高すぎ男が何をし始めるのかわかったものではないので、私はそれ以上の事は言いませんでした。
翌日、帰るときに旦那が気を利かせたのか、父親に挨拶をしに行きました。
アイツはまた、私に言った事と同じ文句を旦那にも言っているようだったので、
「文句を言うなら私にしてよ」と割って入りました。
ええ、この男は自分の言いたい事を言って、優位に立ちたいだけなのです。
こちらの反論には耳を貸さず、被せるように罵詈雑言を並べる臆病者なのです。
でも、私はそもそも怒られる筋合いはありません。
だから、頭を下げて言ってやりました。
「今までお世話になりました!ありがとうございました!」
私が最期に父親に伝えた、感謝の言葉です。
本当は今はもう、感謝の気持ちなんてありません。
でも、この言葉を言えば、関係が断ち切れると思ったのでしょう。
本当はもっと攻撃的な言葉を言いたかったのですが、咄嗟に出た言葉はそれでした。
そんな私をアイツは殴ると言いました。
「出ていけ!」と。
そう。私が実家を片付けに来たのは、自分の物を全て処分してもうこの家には来ない為。
悲しいつらい思いをしたこの家を、記憶から捨てたかったのです。
ああ、もうここには来なくていいんだ。
家と一緒に、父親も捨てられるんだ。
旦那の手を引くと、私は実家を出ていきました。
それから数日はものすごくモヤモヤして、嫌な気持ちが残りました。
なんであの時、もっと罵るような言葉を言えなかったんだろう。
私が20年近く言われてきた罵詈雑言を晴らす為には、もっと酷い言葉を言うべきだっただろう。
私は父親を許すことはできません。
でも、2週間もしてくると、気持ちも落ち着いてきました。
そして、あの時頭を下げて感謝を伝えて良かったと思えました。
あの言動で、私の中で全てが終わりました。
因縁のような父親との関係に、終止符が打たれました。
そうです。私の中で父親は死んだのです。
帰りの車で、「ものすごく苦しんで、生まれて来た事を後悔するくらい苦しい思いで死んでほしい」と私が言うと、
「もう会わないなら死んだも同然だ」と旦那が言っていました。
私には最初から父親は居なかった。
誰かを恨んだり憎しみを持つ事も、エネルギーを使います。
そういった感情を捨てられたのは、断捨離がきっかけでした。
後日母親に事情を話し、実家の鍵を返却して、晴れて私は自由になりました。
あとは、結婚式までに母親が離婚をしてくれたら嬉しいのですが…。
そうでなくても、私の結婚式には私の大好きな人達を呼んで、盛大に行おうと思っています。
生まれた環境には恵まれなかったけれど、自分で選んだ環境は、ベストのものを選んだと思っています。
私の周りには、主人を始め、素敵な人達しかいないのですから。
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ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
今回で「断捨離を始めたら毒親も断捨離できた話」は終わります。
次回は違うタイトルで、何か執筆して行く予定です。
よろしければ、引き続きご覧頂けますと幸いです。
また、毎度のことながら、いつもたくさんのスキ♡をありがとうございます!
本当に励みになりました。
それではまた明日、お会いしましょう。
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