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だから

誰かが泣いていたり、傷ついていたりするところを見ると、自分の胸がぎゅっと苦しくなるのがわかる。 その感覚はとても繊細で、その人の声や表情、言葉では表せないような「何か」から、その人の苦しみや悲しみが私の心にじわじわと滲みてくる。その心に触れなくても、何となく触れられた気がして、私の心もひやりと冷たくなって。 この感覚はみんな同じなのだと思っていた。 誰もが持っている感覚で、誰もが私のように苦しんでいるのかと思っていた。 だから、私の気持ちをわかってもらえない時は、ただただ

    • もう大丈夫。泣いてもいいよ

      ふと思い出し、6年前の春に書いた文章を読み返す。 タイトルは「20歳の私へ」となっていた。 26歳になった自分が、辛かった頃の自分に向けてメッセージを書いていた。 それから6年経って読み返している今も、油断をすると涙がこぼれそうになる。 文字のひとつひとつから「助けて」という声が聞こえてきそうだからだ。 私が自分自身の本音をきちんと受け止められるようになったのは、30代になり、結婚をして、妊娠や出産を経てからだと思っている。 それまでは、始めにある文章のように、必死に気

      • 生きていたこと

        夕暮れの公園で、何となく涼しくなってきた風に当たっていると、ぽろぽろと涙があふれてきた。 念のためにつけていた布マスクがしっとりと濡れていく感覚を味わいながら、鼻水をすする。 思えばもう10日以上、たったひとりで息子の育児をしている。 そりゃ涙も出てくるか、と空を見上げると、ますます涙がとまらなくなる。 はっとして息子に目をやると、お気に入りの小石を握りしめながら私に向かって歩いてきていた。 そして両足にぎゅっとしがみつき、いつものように笑っている。 あなたはいつも笑っている

        • ただいま

          あなたが生まれた日、その日がどんな天気だったのか、私はよく覚えていない。 明け方に産院へ駆け込んだ後、窓の外を見る余裕などはなく、ただひたすら陣痛に耐え続け、 昼過ぎにようやくあなたを産んだ後も、その時の空がどうなっていたかなんて、私にとってはどうでも良いことだった。 あなたを産んだその時から、私の頭の中はあなたのことでいっぱいで、あなたのことしか、見られなくなっていた。 そうして、私は母親になった。 この世の中は、どうにもならないことがたくさんあって。 理不尽なこと

          大丈夫、あなたは生きていける

          「マンションは処分しました」 父親から来た最後のメッセージだった。3年前のことだ。 入籍を控えた兄から、 「久々に実家に帰ったら家具や物が何もなくなっている。父もいない」 と連絡が来た。 その連絡を見た私は 「ああ、彼もついに死んだのかな」と冷静に考えていた。 そうであって欲しいとも、どこかで思っていた。 普通に考えたら、実の親に対してそんなことを思うのは間違っているし、ろくでもない娘だと思う。 だが私はそう思うことでしか父のことを思い出せなくなっていたし、彼が生きて

          大丈夫、あなたは生きていける

          朝の6時、息子が起きて動き回っているのがわかる。 ハイハイであちこちを移動して、私のメガネを口にくわえている。 メガネに飽きると、「たいたいたい!」「ぱっぱっぱ?」と私の頬を叩いて、仕方がないので身体を起こすと、嬉しそうに笑って抱きついてくる。 眠たくて、もっと寝かせてくれよと思うことも多い朝だけれど、私はこの時間がとても好きだ。 最愛の息子は、私を捨てた父親と同じ誕生日に生まれた。 深夜、陣痛に苦しみながら夫の運転で産院に向かう中、 「今日産まれたら嫌だけどもう耐えられ

          お母さんが出て行った日

          2月26日、両親の離婚が成立し、母親が家を出て行った。 物心ついた時から、両親は家庭内別居のような生活をしていたし、 母は家を出て行く数年前から、私によく離婚の話をしていたため、突然出て行ったというわけではなかった。 両親の仲がいつから悪くなっていたのか、いつの間にもう後戻りできないような状況になっていたのか、よく覚えていない。 ただ、家族で出掛けたり、イベントごとを楽しんだりした記憶はほとんどないため、 私が幼いころから、私の家は「家庭」としての機能は果たしていなかった

          お母さんが出て行った日