生きていたこと

夕暮れの公園で、何となく涼しくなってきた風に当たっていると、ぽろぽろと涙があふれてきた。
念のためにつけていた布マスクがしっとりと濡れていく感覚を味わいながら、鼻水をすする。
思えばもう10日以上、たったひとりで息子の育児をしている。
そりゃ涙も出てくるか、と空を見上げると、ますます涙がとまらなくなる。
はっとして息子に目をやると、お気に入りの小石を握りしめながら私に向かって歩いてきていた。
そして両足にぎゅっとしがみつき、いつものように笑っている。
あなたはいつも笑っているね。私が泣いていても、いつも笑ってくれる。



夫との別居生活を始めてから、もう少しで一か月が経つ。
夫は流行り病とかなり近しい距離で仕事をしているため、こういったことはもう何度も経験している。だが、こんなに長引いたことは初めてだった。

「ひとりで育児をするのはやめたほうがいい」と私を心配する夫の意見を無視して、2週間お世話になった義実家から無理やり帰ってきてしまった。
ひとりで育児をすることよりも、他人と生活をすることの方が、私にはつらいことだった。
夫の家族はとても優しく、いつも私のことを考えてくれていた。
それでもやはり他人は他人で、気を遣うことをやめられなかった私が悪かったのだと思っている。

自分で決めてひとりで育児をしているのだから、泣き言は言わないようにしていた。
それでも、毎日の疲れやストレスは確かに蓄積されていて、何となく心が荒んでいく感覚がわかる。
息子に対しては何も思わないのだが、思い通りに動けない自分に対してはいつも腹が立っていた。どうしてもっと元気に動けないのかと。

部屋の隅に見えるホコリ、歩くと踏んづけているオモチャ、シンクに溜まった洗い物、床に転がっている丸まったオムツ。
部屋の中には私と息子の「必死に生きた記録」がどんどん増えていって、片づけても片づけても、いつの間にかまた増えている。
倒れこむように横になり、眠りにつく前、そんな部屋を眺めながら「明日は片づけよう」と思って寝る。毎日がそれの繰り返しだ。

来月で息子も1歳半になる。発達に関してはかなりマイペースな息子だが、最近は急にできることが増えた。
「ばっばい」と言いながら両手で手を振る。
パンやニンジンを自分の手で食べる。
「こら!」と叱ると意味を理解して泣く。
いつの間にか「赤ちゃん」から「子ども」になろうとしているようで、寂しいような嬉しいような、複雑な気持ちになる。
そして気が付いたのが、「できること」が増えれば増えるほど「やらなくなること」も増えるということだ。

オモチャや服をヨダレでベロベロにしなくなった。
バナナの形をした歯がためを噛まなくなった。
「宇宙との交信」と呼んでいた、不思議な声はいつから出さなくなった?
ほふく前進のようなズリバイや、勢いに任せた寝返り、眠たくなった時に手首を吸うクセ、指しゃぶり。
いつから抱っこ紐を使わなくなったっけ。チャイルドシートに後ろ向きで乗せたのはいつが最後?
前開きの服、紐で結ぶ肌着はいつから着させなくなった?
お気に入りの猫の柄のスタイは、もうずっとつけていない。


ああ、悔しいな、全部覚えていたかった。
あの日が最後だとわかっていたのなら、もっと写真や動画を撮っていたのに。
私がスマホを見ていた時、家事をしていた時、疲れ果ててウトウトしていた時、あの時が最後だったのかな。
そんなこと無理だよ、不可能だよ、そうわかっていても、ついつい思ってしまう。
全部覚えていたかったし、全部見ていたかった。

夕暮れの公園で、抱っこ紐に包まれたあなたのふわふわした髪の毛をなでながら、散歩をする時間が好きだった。
夕日が当たると少し茶色く光るその髪の毛を、何度なでただろう。
蚊に刺されないように何度もさすった小さな足も、いつの間にかこんなに大きくなって、今は靴を履いて走り回っていて。
もう何年も昔のことのようで、戻りたいわけではないのに、たまに恋しくなるんだよ。



「よし、帰ってご飯にしよっか」
涙をぬぐいながら声を掛けると、息子は「んー」と返事をして立ち上がる。
こんなふうに泣いた日もいつしか恋しくなるんだろうな。
だから今日のことも、ずっとずっと覚えていたい。

あなたが見つけたお気に入りの小石。
誰もいない公園で、マスクが濡れるくらい泣いてしまったこと。
その時に見上げた真っ赤な空と、少し冷たい風。秋の匂い。
私とあなたが、ただただそこに生きていたこと。

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