だから
誰かが泣いていたり、傷ついていたりするところを見ると、自分の胸がぎゅっと苦しくなるのがわかる。
その感覚はとても繊細で、その人の声や表情、言葉では表せないような「何か」から、その人の苦しみや悲しみが私の心にじわじわと滲みてくる。その心に触れなくても、何となく触れられた気がして、私の心もひやりと冷たくなって。
この感覚はみんな同じなのだと思っていた。
誰もが持っている感覚で、誰もが私のように苦しんでいるのかと思っていた。
だから、私の気持ちをわかってもらえない時は、ただただ悲しくて、一人ぼっちだと泣いた。
どうしようもない能力だと思った。
私がどんなに苦しんでも、誰も救えない。
大切な人が泣いていても、私が一緒に泣いたところで、その傷は癒えない。
「ごめんね」と私が落ち込むと、いつの間にかその人はもう笑っていて、私にはできない何かがそこには起きていて、ああ、また無力だったな、私は何もできなかったと思ってしまう。
何度も同じ思いをして、何度も苦しくなった。
それでも、私は人と重ねることをやめなかった。やめられなかった。
何度も何度も繰り返していくうちに、私はその人の苦しみをわかることはできても、その人にはなれないのだ、すべてを分け合えることはできないのだと気づいた。
そしてそのことに気づいた時、どうしようもないような虚しさが押し寄せて、「なんて中途半端なんだろう」と思った。
もっと知りたい。もっとわかりたい。その涙の理由も、笑ったきっかけも、空元気の意味も。
それでも、私はあなたにはなれない。
そのことに気づいてしばらく経った後、生まれたばかりの息子とも心を重ねた。
お腹の中から外に出たばかりの彼が「こわいよ」「さみしい」と泣く度、私も泣いた。彼はすぐには泣き止んではくれなかった。どんなに抱いても、心を重ねても、泣き続けていた。そして私は産後うつになった。
ああ、もう疲れたな、いなくなりたいと、目を閉じて考えた時、また誰かの声が聞こえた。
「何か力になれたらいいのに」
「泣かせてしまうのがこわい」
「そこにいるだけでいいんだよ」
「また笑った顔が見たい」
「もっと抱きしめてほしい」
「あなたの心も重ねてみて」
ああ、仕方ないな、もう少しがんばろうか。
本当は、私の心も誰かに触れてほしかった。だからね、もう隠すのはやめるね。
苦しくても悲しくても、何もできなくても、一緒に泣くことしかできなくても、それでも一緒にいさせてほしいよ。
すべてを知ることも、わかることも、私にはできない、できないから苦しいのだけれど、それでもそばにいさせてほしい。
あなたのことが大好きだよ。なにがあってもずっと。
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