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教師という仕事を選んだわけ

 小さいころから、私は、幼稚園に通っていることは幼稚園の先生、小学校の頃は小学校の先生、中学生時代は中学校の先生、高校時代には、高校教諭の免許だけは取ろうと思っていたのですが、中学校の社会の先生になるには国語しかそうそうできないので、それは諦めていたのですが、結局、いつも認められるのは、国語を通してだったから、そして教師になりたかったから、国語の教諭を目指していたのだと思います。

 自立を目指してはいました。

 女性らしくあれ!と思っている父とは正反対に、かつて卒業してから商社でバリバリ働いていた母の思いを受けて、自立を目指していたし、母は、大学に行きさえすれば、自立できると思っていたようです。父は、嫁入り道具としてと言い、母はたぶん、自分たち世代の女性ができなかったことを託す気持ちもあったのでしょう。

 それならなぜに文学部・・・?という話ではありますが、当時、自分の中に社会科学系を選ぶという選択肢はありませんでした。理系は、キライではなかったのですが、高校の前半戦、うまくもないのに、ブラスバンド部で、思い切り巻き込まれ事故のような生活をしてしまい、私は勉強どころではなかったのです。これは、自己責任を放棄しているのではなくて、私なりに自己責任を追究したら、そうなっていた、という方が正しいので、誰かのせいにしている、とかいうものではありません。

 いつもなぜか音楽があり、文学のあるところにいました。

 今では、当時、そうそう速くもなかったけれど、かなり本を読むのが速くなりました。それもこれも、国語の教師をさせていただいていたことと全く無縁ではありません。

 教員採用試験を受けながら、一方で、社会を知りたくて、そして、もし教員になれなかったときのことを考えて、就職活動をしていました。そこで初めて社会の仕組みも少しは知ったような気になり、教育よりも華やかな世界を垣間見た気もしました。

 なぜ、教師になったのか?というときに、自立する手段ではなかったのです。教育が好きでした。

 人の人格がどのようにして形成されていくのか・・・?ということにものすごく関心がありました。

 遺伝か?環境か?

 当時、結構愛されてもいたし、かまわれてもいたのでしょうけれど、なぜか人から嫌われていると思い込み、自分自身が嫌いだった私は、ものすごく真剣に、性格形成について考え、文献も読みました。専門だった国文学の授業だけではなく、取れるだけ心理学の専門講義を取りました。

 いったい何によって性格は形成されるのか?

 シュテルンの輻輳説が、まあ、納得いくと言えば言えるのですが、それでも、私は、一生懸命に考えていました。

 環境説がかなり私の中では勝っていましたが、それでも、自分の言葉への関心などを考えてみると、祖母や、母の影響、やはり国文学に進んでいた叔母たちの存在は無縁ではなかったように思います(当時、女子学生が選ぶのに一番無難な選択でもあったのでしょうが。)。

 そんな中で、私は、そうそう勉強しなくても、いつも味方でいてくれる国語を選んで教員になりました。

 本当は、やらなければできない数学や英語の先生になりたかったのでしょうけれど、いつも自分にくっついてくる、言わばあっちから思われているような、国語しかない、という理由で、国語を選びました。

 ほかの先生方には大変申し訳ない表現ですが、今もそう思っている節はあるのですが、国語の先生って、勉強してこなかったことの証左のようで、肩身の狭い思いをするのかと思っていたら、周りは国語ができる、ということを思いのほか評価してくれるものだということを後で知ることになりました。

 中高一貫校で、私は、国語能力の伸長の激しい中学校に配属されたかったのですが、高校部に配属されました。そこでまた、私など、高校生よりも多感な中学生など担当させていただく値打ちはないと思わされます。

 なぜ小学校が自分の選択肢になかったか?というと、ダイレクトに影響する小学生の先生になるような、そんなできた人間ではないと思っていたからです。

 せいぜい高校なら、相手も大人。こちらが至らなくても、あちらが勝手に、こういう人だ、と判断してくれて、適当に教科指導を受けてくれるような気もしていました。でも、中学校への憧れはありました。それには自分が受けた、中学校の先生方の国語の授業のすばらしさに影響されていたのだと思います。

 結婚と同時に(かなり急かされた。)、教員をやめ、全く異業種の世界に入ることになりました。こんなに夫の職業が影響する仕事だとは知らなかったので、早く言ってよ!と思いました。彼は、早く結婚したかったのでしょう。人のことなど構ってられない。早く自分の奥さんになってほしかったに違いありません。

 私は、やられた!と思いました。新婚の社宅から、お買い物に行くと、近くの小学校の先生が、新任らしく、ひよこのようにかわいい一年生を連れて、どこかまだドキドキしたぎこちなさと共に、嬉しそうに歩いておられて、心底羨ましかったのです。

 夫のために、私は二度と教壇には立たない、と決意していたのですが、どうも私は、教育の世界が大好きだったようです。新任の学校でも、忙しさに微熱を出していても、よく先輩から、

お前はよっぽどこの仕事が好きなんだなあ。いつも楽しそうな顔して・・・。

と言われていて、仕事中毒だと思っていた私に、婚約者がいて、それも恋愛結婚だと知られたときには、

こいつには騙された、説が浮上しました。

 だから、待ってる人がいるから、必死だったんです!と言い返したかったけれど、おっしゃる気持ちがよく分かったので、まあ、言い返しはしませんでした。(笑)

 それから、いつかは再開できるかなあ・・・?と思っていたのですが、ちょうど折よく、札幌にいるときに、あれこれあって、同窓会に夫の代わりに出席したりなどして、とうとう自分の出番がやって来ました。

 ある高校からのお呼びがあったのです。

 でも、一方私は教育好きなだけあって、子育てが楽しかったのです。

 大きな高校生を何十人も相手にしていた私にとって、1人の子を真剣に育てる、というのも楽しくて楽しくて、自分の子どもたちが可愛くてなりませんでした。だって、毎日楽しいことを言い出すし、一つ一つのことを楽しそうに習得していくのです。

 だから、葛藤もありながら、少しずつ社会復帰していきました。

 地元に帰ってからも、高校に連絡してみると、すぐに採用されました。

 どうも、国語の教師をしている限り、私はしたいときに仕事をさせていただけたようです。

 子どもたちも成人しました。

 私は、もうそろそろ親としてという立場が中心の時代は終わったな、と思い、自分の教育を目指して、開校しました。

 開業と言わず、開校というのは、塾でありながら、私には学校現場への敬意があり、教科指導だけではない、小さな学校でありたい、と思っているからです。

 それに、子どもたちが小さかった頃、よく慕ってくれた子どもたちのお友達が、友達のおばちゃんとして、それからよく指摘されるように、私は自分が思っていたよりも母性が強いらしく、ちょっと母親的な立ち位置もありながら、指導したいのです。それは、中高一貫校に努めていた頃、寮は家庭だから、という表現を聞いていたからか、みんなで家庭的な要素ももっていたいと考えているからかもしれません。

 教室に来た差し入れは、みんなで分けます。早い者勝ちや、この前は○○は食べたから、今日は、この学年・・・、などと公平性の観点から分けていたりもします。

 こうして書いていると、温かい家庭のように生徒を包みながら、精神的安定も図りつつ、しっかり学んでほしいのだと思います。

 これは全く余談であり、また副産物だったのですが、学校現場で働いているよりラッキーなことは、国語以外の好きな分野の指導ができるということです。英語然り、数学然り(中学時代は大好きでしたし、高校時代得点源の時もありました。)、社会はもう好き過ぎ。これは大学でも教えたことがあります。理科も楽しい。ついでに現代文のために、ということで哲学にも手を出せますし、英語のスキルは上がります。ドイツ語もそろそろ・・・?

 かつて性格心理学を学んでいましたが、その子を取り巻く環境によって、その子の性格の評価も変わります。それなら、その子がいい子でいられる環境を作ってあげたいのです。

 私たち大人が、不当に若い人たちを評価しておきながら、まっとうに育て!というのは、どこかいびつであると思うのです。

 教室では、ほかでは言えないことも言ってみたり、でも、仮に失礼だとしても、今のこの子には、この表現をする時期なんだ、と思って、待つこともします。その子が受け入れられていると信じ、こちらと心通わせることができて初めて、こちらの注意もし、こうした方がいいよ、というようなことも話します。

 ここには、自分がかつて、全く違う地方から嫁に来て、訳も分からず、注意ばかりされて、それまでの学んできたことはゼロにしなければならなかったという経験が生きていると思います。

 ここは出て行ってはまずいだろうと思って引っ込んでいたら、呼びに来られて、都会から来た人なので、挨拶もできんで・・・、と紹介されたときに私はびっくりしました。

 私は、ゼロからスタートすることは嫌いではないし、その分学ぶことが多いので、それはそれでいい経験だったと今になれば思いますが、大抵の人なら、反発するか、あるいはつぶれておしまい、になってしまいそうです。

 教える、ということは、相手の段階に心寄せることでもあると思います。段階が来ていない人に、何を言っても、本人は訳が分からない、という状況もあると思います。それができてこそのプロの教師だと思います。

 プロになろうと思えば、何でもプロです。

 偉そうになどして得なことなんてない。偉そうにしたい、と思える人が羨ましい。周りから見たら、単純に痛いだけではないか?と思うのです。

 私はプロ意識の高い人が好きです。

 私自身、主婦オンリーの時には、家庭のことをあれこれ工夫します。

 もしかしたら、ただただのんびりする生活もいいのかもしれませんが、私は、いつもどうも向上する方を選んでしまうようです。

 先日、ある生徒が、先生と天海祐希さんが似てる!

と恐ろしいことを言うので、いったい何を言っているのか?と思っていたら、天海祐希さんも困難な方を選ぶ、とおっしゃっていたそうなのです。

 それこそ性格だから仕方がないのかもしれませんが、私は、愛してくれた国語と共に、ずっとずっとこの仕事をしていたいと思っています。

 そんなに思える仕事と出会えたことの喜びをかみしめ、感謝と共に。


 ついでに、最近、周りから羨ましがられています。

 実家の母然り。友人然り。

 仕事してる人は若いし、元気だよねー。

 だったら早く仕事していればよかったのに、とは思いますが、口には出しません。(笑)

 まあねっ!いっつも若い人たちといますからね!最年少は小学校一年生ですしねっ!

 超絶忙しくて、寝不足ともお友達ですが・・・。(笑)


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