見出し画像

あまりにもピン!と来たので、久々のnoteへの投稿です!ーしいたけさんの記事とtakeさんのお写真

実は私、ある筋のお師匠様のポッドキャストを聴いていて、女性に人気のしいたけ占いを知りました。その師匠に私淑している時代に、師匠がnoteを始めると知って、私も始めました。
ビジネスは初心者の私が、自分の講座の値決めをする際など、つまりは苦手なビジネス的な判断をするときに、その人の考えを参考にしていたのです。
そして、念願のご本人に会う!という機会に恵まれ、ZOOMも含めたら、結構お目に掛かる機会が増えました。
その人のせいなのか、ビジネスという領域への拒否なのか、私は、その方と対面であれ、ZOOMであれ、お目に掛かる前後2~3週間は、普通ではいられませんでした。
こころの中はドッタンバッタン。
なにゆえか、私は落ち着かなくなりました。
鋭い指摘のためなら、私はきっと乗り越えていくタイプのような気がします。どうも違うところに原因があるように思われてなりませんでした。

ずっと一人で教室を運営してきました。
不遜な物言いに聞こえたらすみません。
開業してすぐに本屋さんに行って、たまたま手に取った、稲盛和夫さんの本を新しいのが出たらすぐに買って・・・、というほどその経営哲学にのめって、勝手に「経営の神様」を自分の中でも神様にしていました。
どこか、誰かから学ぶのは違うのだな、と実感し始めた最近、それも、師匠が運営されている、そのコミュニティから脱退するという判断をしてしばらく経った今日、しかも、その先生のポッドキャストを久しぶりに聴いて、ああ、合ってない、と実感したその今日、教室に就いたら、まるで結婚式の招待状のような素敵な封筒に入った、新しいコミュニティのご案内が届いていました。

最近、本が読めなくなっていました。
新しいものが入らないのです。
当然、一時は読めていたビジネス書、あるいは経営哲学書が入らなくなってきていました。実際読みたくもない。
だいたい、方法論が入るタイプではないのです。
そして、経営書を読んでいる間、文学関係や哲学関係の本が読めなくなっていました。
それが、最近、私は私で思うようにやっていこう!と思ってから、哲学書が急に読めるようになり、文学書も入るようになりました。

どうも私は自分の経験から、自分がどうすればいいのか?ということを自分で見出していくタイプのようです。
よく、ビジネスは、誰かに聞いたら速いのに・・・、と言われますが、私は自分でやってきた時期と、人にあれこれ聞いてきた時期とを比べても、どうも自分で、それこそがけっぷちに追い込むまで自分を追い込んで、自分流のやり方を見出す方が向いているな、と実感していました。

そんな折、しいたけさんの記事が目に飛び込んできたのです。
よく、ビジネスには先生を持て・・・、という世界の人に、自分でやってきたんですか?一人で?と訊かれることがありました。
タイプがあるのだろうと思います。

私は新卒で勤めたときから、仕事を任された場合、自分でやり方を進めることが好きでした。編み出すのです。自分のやり方を。
たとえば、生活指導でも、こんな風に言ったら、生徒は言うことを聞いてくれるかな?とか、心に響くにはどうしたらいいのかな?とか。
もちろん、それまでは、結構先輩のやり方を盗んだりしていたのですが、そんなもの、表現したり、指導している人間自体が別物なので、ほかの人がやっていることを真似したって、当然同じものにはなりません。

ビジネスにhow toものが存在し、それを言うとおりに実践してみたら、うまく行く・・・、ということが存在しないわけでもないことくらい知っています。でも、自分には向かない。

稲盛さんも、中長期計画を訊かれて、そんなものありません、と言って、そんなわけないでしょう・・・、と言われたのだそうです。
同じにするわけではありませんが、私にもありません。
その時その時、精一杯指導するだけなのです。
うちの教室を頼りにして、選んで通ってくれている人に、自分で思う精一杯の最適な指導を、行っていくことの連続なのです。
思えばいつもそうでした。
その時々、計画などなくて、その時その時精一杯やることの連続でした。
教育など、人間相手ですから、成績の推移や、伸び方など、ある程度は予想できても、ある子には合った指導が、違う子にはまったく響かない、ということもあるのです。
だから、来てくれた生徒さんには、精一杯と思われることをします。
でも、ビジネスとして切り離して、指導をシステム化して、大きくするという発想には行きつかないのです。
それを先生は見抜かれて、櫻井さん、本当に展開する気ある?とそもそも聞いてくださっていたのでした。

数年、在籍したことになるのだと思います。
結構真面目に取り組んでいたこともありました。
でも、そちらに向くと、私の意欲はどんどんなくなっていくのです。
やる気ない、という言葉を何度か口にしていました。

親しい人にも、どうしたん?と言われるような発言をしてきました。
私は私のやり方で、勝手に指導の仕方も、言うなら、経営哲学も勝手に作る上げていこうと思います。
我と自ら崖っぷちに立つようなことを選択することもあるでしょう。だって、今までだって、いつも自分を崖っぷちに立たせてきましたから。
それはもう、中学時代からそうでした。
厳しいところに身を置きたくなるのです。
楽をしようという発想がそもそもない。
楽をしてお金を稼ごうという気もありません。
ただ、言うなれば、もっと役立ちたくて、次の試験を受けるために、稼ごうとして、ならあり得ます。
きれいごとのようですが、そして、きれいごと大好きな私なのですが、しいたけさんのおっしゃるように、私も与えらえた運命のようなものを信じています。
どうしたって動かない、お前はそこで頑張れ!と言われているような・・・。
そして、どうしても動かない時に、決死の決意でやったことはスムーズに動きます、

そんなこんなで、まるで神様のテストのように届いた招待状に私は自分の気持ちを試されているような気がしました。

この数年、違うものは違う、と実感するためにそちらに属していた、と考えたいと思います。

私は、私で、また、本を読み、実際に目の前に現れる生徒さんや保護者の方々に、できるだけ合ったやり方で指導やアドバイスをさせていただきたいと思います。
そして、指導の仕方も経営哲学も自分で確立するのが一番合っていると思います。

それが証拠に、すべてを取り払った今、私は指導が楽しいのです。そして仕事も生活もとても楽しいのです。
不遜なようですが、たぶん、これから誰のアドバイスも聞かず、出張も行かず、私は私のやり方を貫き通すことになると思います。
それが一番、私の生き方に合っていて、ひいては、私に与えられた運命的なものーお前はこれで行け!と言われているような気がしているのです。

そして、今日、またそれを強化するかのような出来事がありました。
noteに投稿するにあたって、ギャラリーから素敵なお写真を使わせていただこうと思い、いくつか候補を考えながら拝見していたのですが、結局何か月前まで投稿していたときに使わせていただいていたtakeさんのお写真に行きつきました。
やっぱり―!とこころの中で叫びました。
どうしたって、自分の感性、やり方に嘘をつくことはできない、と教えられたような奇妙な符合でした。
本当にお世話になっています。
ありがとうございます。

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。