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気持ちが塞いでいたのでドライブに行くと桜が咲く準備をしていたのに気づいたこと。

プライベートでも仕事でも(仕事では当たり前ですが。)、ちょっとくさくさしていたので、お昼間に、ちょっと家の用事をしに外に出たついでに、隣町まで車を走らせた。
そして川沿いをドライブし、ダムがあるというのでそちらの方に車を走らせると、なんだか細い道に入り、もし対向車が来たらどうなるのという道で、しかもこの先がダムだなんて、これではどう考えても思いつめた女性が・・・、という話か、何か怖ーいものと遭遇するか、あるいはいくら何でもここでたくさんの男性が来たら・・・、一応女性だし・・・、と思わさせるような道だったので、ちょっとUターンできそうなところがあったので、そこからさっさと引き返してきた。

あらあら、あまりに思い詰めて、そのためにああいうところに行ってしまったのかしらん?今まで遭遇したことのない心霊現象に遭ってしまうのかと覚悟してしまった。
ところが馴染みの道路を川沿いに走り出すと、山の木々の中に、うっすらと白っぽい木々が混じっており、ああ、もう春に花を咲かせる準備をしている桜の木だな、とわかった。走っている道路の近くの木にも桜があって、結局生命力にあふれる話としか出会わなくなっていて、私には生命力落ちて、という話より、生命力あふれる話の方が合っていると思わされる。
いつもそういう話になる。
落ち込もうかなあ・・・、と思っても、結局次の瞬間には立ち直ってしまう話になる。
だから切り替えの早さでは定評がある。
落ち込む時に徹底的に落ち込んで、その話に付き合った人は、いつも、

なあんだ!

とがっくりされるか呆れらるかされることになる。

けど、お腹が空けばちゃんと食べて、体力をつけて頑張ろう!と思うし、ちょっと甘いものでも食べて、元気出そう!と思う。

かつて予備校の同僚が、私がとんでもなく落ち込んだときに、

先生、さあ、今日は早く帰っておいしい物でも食べて、しっかり休んでください。

と言ってくれたことがあり、家族にならそうするけど、自分にもそうすればいいのだなと思ったことがあった。

実は昨日から虚しくなってどうしようもなかった。
何をやっても許されないし、どこまで頑張っても、ダメだしされるんだなあ・・・、などと若い悩みをしてしまったのである。
こういう時の自分は、ちゃんと分析できていない。

それも、私が、売り言葉に買い言葉という発言ができないからである。
考えないでしゃべることができない。
それを相手が売り言葉に買い言葉で結構きついことを言うと、私は結構まともに受けてしまう。
自分ならそうそう思ってもいないことを言えないからである。
頭が回って、思いやりよりも自分の身を守る人と話すと、結構やられる。

それで、ドライブしながら冷静に分析してきた。

私は自分のことだけ考えて仕事をしてきたことはない。
いつも自分が培ったもので、周りに役に立てることだけを考えてきた。
周りに役に立てなくなったら終わりだと思って来たし、まず仕事は楽しめるまで徹底的にやることにしている。
学校で身に着けたもの、いろんな職場で身に着けさせていただいたものは、全部社会に還元したいと思っている。
もし自分のことだけ考えているなら、私はもっと楽なことをする。
とはいえ、仕事を楽しくなくやっていることはないから、だから結局は私の場合楽しい仕事が社会のためになっていると思っている。

正直、年金問題が苦手である。
いやそもそもお金の話が苦手である。
もちろんビジネスを続行しようとし、何かしらの役に立ちたいと考えるなら、お金の話は付きまとう。
でも、年金問題は、自分個人のことなので、お隣の旦那さんが、○○さんのところは○○年金だけだから、ご夫婦で働いている、自分はゆっくり暮らしているけど・・・、などと言って、私のことも、

現役時代はそうやってお金を使うんや。貯めとかなダメやよ。

と言って、車を軽に替えろ、だとか着ているお洋服のことだとかをあれこれおっしゃるのである。
この、人の仕事を=老後と結びつけるのはよしてほしい。
まだまだ現役の私に、それはやめてほしい。
個人的に言うなら、別にどこかで野垂れ死にしようが、どこで暮らそうが構わない。
昔の先輩には、焼け野原になった広島から汽車から降ろされ、

ここで、○○を広めよ!

と厳命された方がおられたそうである。
私はちょっぴり、というか随分その方に憧れた。
焼け野原から自分一人で、いや家族と一緒にあることを始める。
私はその道の人間ではないので、せいぜい身の回りの人たちの役に立つのが精一杯である。
でも、どうも個人的な自分事の話が苦手なのである。

私はworkerである。lavorのつもりはない。
自分が英語を勉強するのも、数学を勉強するのも、もちろん楽しいのもあるけれど、やれば周りに役立てるからやる。
文章も書く。もちろん書きたいから書くけど、周りに役立ちたいから書く。
本も読む。もちろん読みたいから、読まないと息ができないような気がするから読むけれど、それよりも読まなければいい授業ができないから読む。

それなのに、周りの高齢者の皆様は私に向かって、あれこれおっしゃるのである。
もちろん一個人としてはそのお説はごもっともなのであるが、私としては、最後の最後まで仕事が続けられたらそれでいいわけで、最後の瞬間まで誰かの役に立つ仕事ができたらいいわけで、お化粧品一つ買うにも仕事を意識し(別に意識しなくてもいいけど。)、お洋服一つ買うにも仕事を意識してきた。
若い昔にそういうことをしていたら、もしかしたら、大っ嫌いとも思える仕事に就いている人と結婚するには至らなかったかもしれない。(笑)

誰かの気に入られるように、素敵な女性になるために服を買ったことなどない。
素敵な教師になるために服を買ったことも、スキンケアすることもある。(笑)
今なら乾燥しないように本当に努めている。

それもこれも可愛い生徒さんのためである。
彼らを育てておけば、しっかり育てておけば、きっともっともっと社会のためになる。
きっと大いに活躍してくれると信じている。

かつて、あるおばさまから注意された。
ショートカットで学校を走り回っていた私に、

先生、先生が素敵だから国語の勉強をしようと生徒が思ったとしたら素敵じゃない?

仕事のためならそれから髪の毛を伸ばし、フレアースカート履き、フリフリのブラウスを着た。

そしたら効果てきめんだった。

まあね、仕事のためなら何でもするわ!

などと以前、婚活男女へのアドバイスが効いて、めでたくゴールインされたカップルについての話を記事にされていた仲人様のお話を読んで、

そうよ、そうよ。受験も就活も婚活も、努力したもの勝ちなのよ!
その努力もちゃんとベクトルを合わせて、決して自分のためだけではなく、周りの人のためを考えた人の勝ちなのよ!

と思わされた。

だから、できればご高齢の方々のご不安もわかるし、年金問題についてのお話も当然なのだけれど、ほんのちょっと自分のために悩む時間を、誰かのための時間にするとすれば、ちょっとだけ自分の不安も払しょくされ、明るい気分になるのではないかと思っている。

私は私をできるだけご機嫌でいさせるためにあれこれはする。
ちょっとカフェでお茶もするし、おいしいケーキを食べることもする。

でもそれは、こいつをいかに効率よく使えるか?とどこか客観的な対象として自分を見ているところがあるのである。

というところで、もうすぐ咲くための準備をしている桜の木に敬愛の気持ちをもって、勝手に激励されたことにしたいな。


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