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久しぶりにOさんのお話を聞いて・・・。ビジネスマンとして。

ずっと大学受験指導にのめり込んでいて、自分がビジネス界にいるということを忘れている。むしろ家庭的に教室にいる。
オカンのように厳しく指導している。
この時期にしか言えない言葉もある。
きっと下級生たちは、先輩に投げかけている言葉にびっくりしているに違いない。
いつも優しいはずの私が、結構現実的な話もし、いつもなら不快な思いをさせるかもしれないと、競争的な、ランク的な話もしないのに、今は自分でも容赦ないな、と思っている。
1日中、指導している。教科も多岐にわたる。
さっき物理のコンデンサーをやっていたかと思うと、古文の恋物語について解説している。整数の問題をやったかと思うと、冬期講習初お目見えの小学生の社会について語り、それもなぜか大日本帝国憲法から、日本国憲法の三原則について話し、すべては基本的人権の尊重が真ん中にあり、それ以外もそこにつながっているという話、そして憲法第13条と14条まで語ってしまう。人に迷惑を掛けなければ、自分のしあわせを追求してもいいという権利があるのよ!いう具合。

そんなに詳しく社会やったことなかった・・・。

と言われてしまい、でもなんだかおもしろかった。
毎日自習室のお子森の中三生は、数学などのケアレスミスや、詰めの甘さについて叱り、

あなた、いったいどこの学校受けるつもりなの!?

と叱ると、なぜかニヤリと笑い、

ハイッ!?

と嬉しそうに元気よく応えてくれる。

この時期ならではの勢いというものがある。
それに比べてご近所の、それこそどうしようもなくしょうもないこともある。

回覧板を回す班長の私が、抜けがないよう、きっちりやっても、いかにも不備ですと言わんばかりに添削をしたりする人がいる。
そしてご自分の書面は誤字だらけ。

根性悪な私は、

「国語の教師なのに、失日(過日と思われる。)という言葉を寡聞にも知りませんでした。どういう意味ですか?」

といかにも目上を立てるという形で指摘してやろうかと思っていた。しないけど。

ちょっと参っている。国語の先生、必要のない添削をされている。(笑)

などとどうでもいいことにも振り回されつつ年末年始、私は指導にかまけるかまける。

途中からお弁当作る元気もなくなって、地震が起きた前日はとうとうダウン。
そして地震。これほど振り回されるお正月の指導もないな、と思っていた。
でも、これほど大きな地震の中、生徒を集めて指導をするわけに行かなくて、2日の日はお休みにした。

そして3日。
焦るお母さま方と生徒。
下級生の指導はやめにして、お昼間の3コマだけ大学受験組のための指導をしてさっさと切り上げ、18時には帰ってもらった。
まだまだ余震が怖かった。
余震と余震の感覚がだんだん長くなってきたので、本格的指導をしている。
求められるので、指導時間はどうしても長くなる。

そんなときに、共通テストプレテストを受験することができた生徒(ほかの学校の生徒は学校で受験できず、自宅受験か、学期が始まってから受験。)が約束通り、物理と地理で30点ずつ点数を上げてきた。よーかった!
冬休みに入ってから、系統地理や物理の電磁気と格闘していた。
おかげさまで私は物理の性格がわかって来た。物理って、結構怠け者である。元の状態に戻したい。そのままでいたい。そう、慣性の法則よろしく、電磁気でも起電力あたりで、元の状態でいたい、怠け者の性質を発揮していて、今までの、物理はスマートで天才のイメージから、何気におうど(こちらの言葉で怠け者。)な奴だと判明。ちょっと仲良くなれそうである。

数学や物理は最晩年に手を出そうと思っていた。
数学は相当早まっていたが、物理もこの年齢で勉強し始めるとは思っていなかったが、可愛い生徒の要望で、今年はどうしようもなかった。

それは良いが、そういう大学受験指導の中で、地震もあったり、バタバタしていた日々の中で、なぜか今日、久しぶりに大阪の出版社のOさんのインスタにアップされていた動画を見る機会があった。
先日も、ちょっと見ていて触発されたけれど、今日は特別だった。
起業家には大変なことが起こる。起こっては乗り越え、起こっては乗り越えの連続。でも、その渦中にあるときには全エネルギーを使って乗り越えようとするから、とんでもない力が出る。

その連続。

そうそう、私は宮仕えができない。
学校現場が大好きだったけれど、その体制にハマることができない。
教育産業のほかの形態でも無理だった。
生徒とどうのこうのということは一度もなかった。
目の前で、受験に必死な生徒に責められ、泣いておられた女性の先生にちょっと恨まれるくらい、私は生徒とは何もなかった。
でも宮仕えが無理だった。
自分よりずっと上の理事長クラスには可愛がられたが、同じ職員室にいるような人とはしょせん無理だった。

ある本屋さんで旧センター試験の教材を見ていたとき、仲良くなった本屋さんのスタッフのおじさんと話していた。その人は言っていた。

高校でその学年で、悪者になってもいいから、旗振る先生が一人いたら、その学年のその年のセンター試験の点数が上がる。たった一人でいいんです。

それを立場もないのに(立場より指導がしたい。)、それをやってしまいがちだよなあ・・・、と聞きながら思っていた。

そんな性質だから、無理だった。
今は自分で好きなようにやっている。

でも生徒が、私たち講師に、

この子のためなら少々無理してもやってやりたい!

と思わせてなんぼだと思っている。

というわけで、私も弱小ながら起業家の家の一人であるはずである。
自分でやっているのだから・・・。

というわけで、私は乗り越えることがめちゃくちゃ好きである。
生徒に言わせれば、

逆境好き。

らしい。
乗り越えるものがなくなると即座に退屈し始める。
だから受験期が一年のうちで一番幸せな時期だとも思っている。
こんなドキドキワクワクする時期はない。

Oさんが、渦中にあるときは大変だけど力が着く、とおっしゃるのをお聞きして、ああ、私は最近、渦中にいることを嫌がっていたなあ・・・、とつくづく思っていた。
以前は渦中に飛び込んで行くことをそうそう怖がりもせず、自ら

行きましょう!

と言ってしまうところがあったのに・・・。
それを一昨年人生で最も辛い時期を過ごされたというOさんが(正直私もそれは乗り越えられそうにない。)、起業家というのはそういうものだとおっしゃるのに、ああそうだったそうだった、と思い出していた。
渦中にいることを嫌がる感覚は、思考の固定化につながる。
何か面白いことはないだろうか?どこかにおもしろいチャンスはないだろうか?
誰かのためになるような仕事を生み出すことはできないだろうか?
そのためのリスクなら以前は、絶対に取ることができた。
でも、今は地場を固める方に気持ちが傾いていた。
もちろんコロナのせいもあっただろう。
影響を受けていないと思っていたコロナは知らず知らずのうちに、冒険する気を削いでいたのかもしれない。

以前は、Oさんのお仲間の先生のお話の方が具体的でよくわかった。その頃はOさんのおっしゃることがよくわからなかった。それをその先生に伝えたこともあった。

学術派なんやろねえ・・・。

とおっしゃっていた。
それがあるとき、自然とOさんのお話がスーッと頭にも気持ちにも入ってくるようになった。
それなりに勉強してきたことの効果だろうか?

とりあえず、私はまた渦中に飛び込める自分に戻りたい。
勇気を出して、あれこれ楽しいことにチャレンジしていく自分に戻りたい。

そんな気持ちにさせてもらえたOさんのお話だった。

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