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大学の頃の気持ちを忘れない

大学の雰囲気が好き

大学を卒業して早7年が経ちました。

社会人になってからも大学には、主に図書館利用でたまにお世話になっています。本を借りたり、勉強する際によく利用させてもらってます。母校の図書館であったり、家の近所に大学の図書館であったり(一般開放されてるのが前提ですが)。

大学図書館は控えめにいって最高です。蔵書数が多く、雑誌も読み放題、自習室スペースもあって、なおかつ静か。なんといっても利用料が無料(たまに一般利用は有料のところもあります)。

そもそも、大学全体の雰囲気が好きです。大学って広大な敷地で自然に溢れていて、心に余裕が持てる気がします。

歩いてるだけでも楽しいですし、学生時代を懐かしむことができます。なによりも、大学を歩くと「自由」を感じることができます。

自由は自分に自信を与えてくれます。お前ならなんでもできる!と。当時大学生だった頃、「今の俺ならなんでもなれる!」と本気思っていました。でも、当時何者になりたかったは覚えていません。

とりあえず金持ちになりたかったような・・・。30歳までに金持ちになってサラリーマンなんかやめてやるんだと。残念ながらその夢は叶いそうにありません涙。


夢の大きさと年齢を取ることは反比例の関係にある

高校生のころ、先生がこんなことを言っていました。

「夢はいくら大きく持ったっていい。ただ、歳を取るごとに物事を現実的に捉えるようになり、夢も現実な大きさになるから。」

その時はなんとも夢のない虚しい話だと思いながら、今となっては非常に共感しています、悲しいほどに・・・

たしかに昔は途方もない夢を持っていたりしました。でも今は資格を取るとか、転職するとか。夢というよりかは、現実的な目標を設定するくらいの身の丈にあった考えに収まっている自分がいます。

達成はしやすくなった一方で、なんか夢に対するワクワク感とかは感じなくなってきました。そもそもそういった夢自体掲げなくなってきました。


もう一度大きな夢を描いてみる

最近母校のキャンパスを休日一人歩きながら、大学時代のエモい感情に浸っていました。

いまは社会人生活も8年目も迎え、アラサーにあり、物事もだいぶ現実的に捉えるようになりました。夢とかそんなことも考えなくなりました。

でも、そんないまだからこそもう一度大学時代に持った根拠のない自信、突拍子もないスケールの夢を持つ必要があるような気がしています。

就活にとき、面接官にこんなことを言ったことがあります。

「自分にはなんか自信があるんですよね」

どういう流れで言ったかは覚えていませんが、なんとも滑稽な回答をしてしまったものです。当然その会社からは後日お祈りメールが届きました(笑)ただ、その時のわけわからんことさえを言ってしまえる自信がいまの自分には必要なんじゃないのかなと感じています。


理想と現実の狭間で

昔大学の哲学の授業で、アリストテレスの「中庸」という考え方を知りました。

「中庸」とは、美徳は過剰と不足の間の適切なバランスのことを指します。美徳は、過剰でも不足でもない、ある特定の状況において適切な行動や感情の表現を見つけることにあります。ただ、中庸は単に中間点を指すのではなく、それぞれの人にとって適切な行動や感情のバランスのことを意味します。

自分なりに解釈すると、物事は極端な考えと普通の考えの間の間に成り立ち、自分なりの感性や特性に基づいて着地するものなんじゃないかと。

その「中庸」の考え方を理想と現実にあてはめると、夢(理想)はいくら大きい方がいいんじゃないかなと。たとえ理想と現実はいくら離れてたとしても、その間が広ければ広いほど自分にとっての現実解の選択肢が広がるような気がします。

夢を叶えるというよりは、夢にどれだけ近づけるかがアラサーになった自分にとっての今後の人生の醍醐味なのかもしれません。