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【ふるさとを語る】『晩成社展』十勝の歴史を辿る その5(最終回) ~語り継がれる晩成社、依田勉三~【歴史シリーズ】

🟥はじめに

その4はこちら

皆さんごきげんよう☺️。

『晩成社展』十勝の歴史を辿るシリーズも、いよいよ今回でラストとなります。

~今回の流れ~

🔴依田勉三を研究・顕彰する運動

🔴郷土史家の視点、そして…

🔴語り部になった渡部カネ

よろしければ、お付き合いください🙇‍♂️。


🟥『晩成社展』の様子 その5 ~語り継がれる晩成社、依田勉三~

※写真撮影の許可をいただいております。

🔴依田勉三を研究・顕彰する運動

1925年(大正15年)、中風症によりこの世を去った依田勉三。

今際の際に「晩成社には何も残らん。しかし、十勝野には…」と述懐した通り、勉三の死後の1932年(昭和7年)に晩成社は解体され、言葉通り何も残りませんでした。

その一方で、晩成社の社有地を宅地として一部開放したり、「晩成社や依田勉三という開拓の先駆者がいる」という声を聞きつけ移住して来た人々の力によって十勝は発展し、大正時代には人々の暮らしが安定するレベルにまで至ったのです。

もし、晩成社や依田勉三がいなければ、十勝・帯広がここまで発展する事は無かったかもしれません。若しくは、発展が遅れていた事でしょう。

晩成社や依田勉三が亡き後も生きる先人の方々が、先駆者である彼らに敬意を持つ事は至って自然な事でした。

そして今、こうして筆者が晩成社の事について執筆出来ているのも、それを語り継がれた方がいてこそのもの。

こちらでは十勝開拓における、先駆者中の先駆者である晩成社や依田勉三を、先人がどのように後世に伝えていったのか?を知る事の出来る史料の数々をお届け致します。

写真左上は『十勝開拓の人柱 依田勉三翁の偉業』。1934年(昭和9年)発行。帯広中学校(現帯広柏葉高校)教諭の萩原実は昭和2年の着任以降、郷土史研究として晩成社・依田勉三の活動や史料の紹介を始めた。

右は依田勉三のスタンプ。1941年(昭和16年)、依田勉三の銅像の完成を記念に作成されたもの。

左下は『開拓の人柱 依田勉三翁を語る』。1939年(昭和14年)発行。中島武市による依田勉三を紹介するパンフレット。依田勉三の銅像の建設に結実するも、晩成社や依田勉三を象徴化・理想化する動きも生まれた。

その隣は『依田翁と中島氏の偉業』。1941年(昭和16年)発行。萩原実著。依田勉三の銅像建設を記念した冊子。

右下は『農聖依田翁の栞』。1951年(昭和26年)に依田勉三の銅像が再建された記念に配布されたパンフレット(戦時中に金属類回収令により、最初の銅像は供出されていた)。
晩成社の関係者が写る写真。1934年(昭和9年)、慶應義塾の先生が帯広に来た事をきっかけに、晩成社の関係者で写真撮影されたもの。帯広中学校(現帯広柏葉高校)の先生である萩原実が熱心に晩成社について調査していた時期で、それゆえにこの写真が撮影され、現在の柏葉高校に残されているものと考えられる。
アップにしたもの。
左上は、百貨店の藤丸の創業者、藤本長蔵が主催した『帯広温故会』のはがき。帯広温故会は帯広在住25年以上の者が入会できた。

その隣が、1934年(昭和9年)、帯広出身の北海道帝国大学(現北海道大学)の先生である高倉新一郎から渡部カネ宛のはがき。帯広に帰省した際に開拓当時の事を聞きたいとお伺いを立てている。

中央が1937年(昭和12年)、帯広史の編纂を担当している十勝農学校(現帯広農業高校)の宮崎猛雄が、渡部カネにインタビューした事が分かるはがき。

右が1943年(昭和18年)に完成した『帯広市史稿』。晩成社や依田勉三、渡部勝、カネ、鈴木銃太郎についての記述がある。渡部カネへの聞き取り調査の成果が反映されたものと考えられる。
依田勉三のあとつぎである依田八百(やお)氏は、帯広市内で農具店を営んだのち、1972年(昭和47年)に帯広を離れる事となった。その前年に地域有志132名が集まり「依田八百翁を送る会」がひらかれ、その参加者が設立母体となり「晩成会」が結成された。

「晩成会」は晩成社・依田勉三の開拓精神を顕彰し後世に伝える事を目的とした団体で、地域の名士や晩成社の関係者から構成されていた。晩成会は依田八百が帯広を離れた後も緊密に連携し、こうした次世代の交流が晩成社・依田勉三の存在を後世に語り継ぐ原動力となった。
依田八百翁を送る会のパンフレット。1971年(昭和46年)11月28日に、帯広ステーションホテルで開催された。

🔴郷土史家の視点、そして…

その一方で、晩成社・依田勉三を語り継ぐにあたって過度に象徴化がなされ、当時の実態とは異なる語られ方をしてしまう場合もありました。

こうした状況に疑問を投げかけた郷土史家が存在し、開拓当時の史料を読み直したり、誤っている記述を直したり、新しい発見をしたり、史料に基づいた研究がなされました。

こうした姿勢は現在の晩成社・依田勉三の研究にも引き継がれています。

こちらでは、開拓の歴史を正しい形で伝わるよう努力した郷土史家の史料の数々をお届け致します。

写真右は、1960年(昭和35年)に作成された帯広市初の社会科副読本『おびひろ』。筆者は小学生の頃、社会科教科書が2つあった記憶があるが、どうやら副読本の事だったようである。かなり昔から存在していたようだ。

その副読本(検討用)に郷土史家の角田東耕が晩成社や依田勉三への過度な評価に対して「依田勉三は帯広の開拓に貢献していない。依田勉三だけでなく、渡部勝や鈴木銃太郎の名前も入れるべきだ。」と注記を加えている。
また、過度な象徴化に警鐘を鳴らしたもう一人の郷土史家としては、井上壽氏がいる。『晩成社の虚像と実像』とタイトルのついた自筆の原稿で、『北方農業』という雑誌で掲載された。

「事実の粉飾や美化した記述で埋め尽くすというのではなく、事実は事実として依田勉三の本当の姿を探り、残しておきたい」と考えた。

🔴語り部になった渡部カネ

晩成社の幹部である依田勉三や渡部勝、鈴木銃太郎は大正時代末には既に亡くなっており、郷土史への注目度が高まった昭和初期に開拓当時の事を知る人物は限られました。

鈴木銃太郎の妹で渡部勝の妻となった渡部カネは、その中でも開拓当時の事を知る、数少ない人物の一人でした。

渡部カネは1883年(明治16年)から帯広でくらし、晩成社やアイヌの子弟に勉強を教えていました。

こうした「人に伝える」という姿勢は晩年になっても衰えなかったようで、1945年(昭和20年)に亡くなるまで様々な人に晩成社の開拓について語りました。

こちらでは、晩成社の功績を後世に伝えた重要人物である、渡部カネ氏に関する貴重な史料の数々をお届け致します。

最初の項『🔴依田勉三を研究・顕彰する運動』と合わせてお読みください🙇‍♀️。

1937年(昭和12年)、『新撰北海道史』編纂のため渡部カネから「油絵」を借りており、それを返却した際の手紙。
その油絵がこちら。イギリスの冒険家アーノルド・サヴェジ・ランダーが1890年(明治23年)に晩成社の開拓地を訪れた際に描かれたもの。ランダーは英語が話せる渡部夫妻との出逢いに驚き、彼らに住居の油絵を描いて送りました。

また、依田勉三が詠んだ『開墾のはじめは豚とひとつ鍋』という句は、渡部カネへのインタビューによって掘り起こされ、現在に伝わりました。

十勝の有名な製菓会社・六花亭のロングセラー「ひとつ鍋」は、この句が元となり帯広開基70周年を記念して生み出されました。

1952年(昭和27年)、帯広開基70周年を記念して作られた最中『ひとつ鍋』。発売から70年経つ現在も販売されている超ロングセラー商品。

画像出典:https://www.rokkatei-eshop.com/store/ProductDetail.aspx?sku=10024
『ひとつ鍋』の中身。本物の鍋のように、容器とフタが別れた構造。優しい餡の甘みと白玉がアクセントで、最後まで美味しくいただける。

画像出典:https://www.rokkatei-eshop.com/store/ProductDetail.aspx?sku=10024

🟥今回のまとめ

🔴人々の暮らしが安定し始めた大正末期から昭和初期にかけて、晩成社・依田勉三の開拓の歴史を振り返り、研究・顕彰する動きが生まれた。

🔴その中でも開拓当時の事を知る渡部勝の妻・カネは、晩成社・依田勉三を語り継ぐ上で重要な働きをした。

🔴その一方で過度な象徴化に警鐘を鳴らす郷土史家もいた。そのような人々の働きが、客観的な形で晩成社・依田勉三の史実が後世に伝わる原動力となった。

🟥最後に

『晩成社展』の様子をご紹介する、十勝の歴史を辿るシリーズも、今回で終わりです。

如何でしたでしょうか?

ただ、ふるさとを語る・歴史シリーズはまだまだ終わりません。

今後も様々な書籍や史料を読んだり、資料館や史跡に赴くなどして知見を積み重ねて行き、色んなふるさとを語る・歴史シリーズの記事を投稿する予定です。

また、全5編の十勝の歴史を辿るシリーズもそのまま放置せず、構成や文章面で改良の余地があると考えておりますので、随時加筆修正する予定です。

たま~に見直してみたら、新たな発見があるかもしれませんよ☺️。

それでは、今日はこの辺で🤗。

また会いましょう☺️。


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