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第四話 母の話②

 私は関東地方の片田舎でうまれた。その当時の遊びは今とは全然違い、川で泳いだり、トンボやバッタ、カブトムシを採りにいったり、雪が降れば雪だるま作りやソリ遊び。友達もたくさんいて外で遊んでいる時が一番幸せだったかもしれない。

母は月に1~2度東京に連れていってくれた。東京に友達がいて、私と同じくらいの年の女の子が二人いた。旦那さんは出張が多い仕事らしく日曜日でも不在の事が多かった。

日曜の朝に出掛けて夜に帰る。高層ビルやマンション、いろんなお店があって、何度行っても飽きなかった。

東京に遊びに行ったある日、私はいつものように女の子二人と外に遊びに出かけた。いつもは夕方まで遊んでマンションに帰るのだが、その日は少し体調がわるくなり一人で先に戻る事にした。

玄関を開けて部屋にはいるとソファーで裸で抱き合う母と母の友達の姿があった。まだ7~8歳だった私にも見てはいけないものだということは直感的にわかって外に出た。

結局また二人と夕方まで遊んで帰った。母と母の友達と私は何もなかったかのように振るまっていた。実家に帰る車の中でも、もちろんその話題は出なかった。

現在でもLGBTQへの理解は充分とは言えない世の中であるのに、30年以上前にはとても理解されるものではなかっただろう。母はトランスジェンダーだったのだ。今の私だったら理解し受け入れることができるが、子供のころの私にはとても頭で処理できる問題ではなかった。

後に母の幼馴染の方から聞いた話しだと学生時代から母の恋愛対象は女性で自分は男性になりたがっていたらしい。

田舎特有の古い考えで男の子を産まなければいけなかった、姉の後も私が産まれるまでずっと苦しい思いをしたため、私のことが憎くて仕方なかったらしい。逆に女の子の姉のことは可愛くて仕方なかったようだ。

そう言われれば「お前なんかいらなかったんだ」と何度も言われたことを思い出した。

うつ病が再発する前はLGBTQの友達も、私にはたくさんいた。悩みや苦労などもたくさん聞いたことがある。母も同じ思いだったのだろう。

今回はトランスジェンダーの母の話を書きました。母の話はかなり後の回でも出てくる予定です。

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次回に続く

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