鬱々とした日
今日は一日中の雨。気候のせいもあるのか気分の波も荒れている。
鬱々とした気分でベッドで横になりながらいつものようにスマホをいじる。
外の雨音が気になって仕方がない。鬱の症状もひどくなっているのか、雨音がまるで嵐でも吹き荒れているかのように轟音に聞こえるのだ。
今日は土曜日だが息子の中学校は土曜授業の日だったため、朝食はおにぎりを食べさせ何とか送り出した。昼前には帰ってくるので、また昼食も作らなければと思いながら、毛布にくるまりながらまたベッドに潜り込む。
頭が割れるように痛い。頭に石でも乗せられているかのように重い。動悸が激しくなる。手が震えてくる。また希死念慮が襲ってきてどうにもならない辛さを感じる。その辛さのせいで余計に動悸が激しくなっている。完全に悪い時のループに入り込んでしまったらしい。
テーブルにありったけの薬を並べる。いつもやっている儀式のようなものだ。『これを全部飲めば死ねるんだぞ。死ぬか死なないかは自分で決めろ』と自分自身に問いかけているのだ。数十分薬を眺めて薬入れにしまうのも毎回の作業なのでもう慣れたものだ。
あとは首を絞めて死のうとすることもある。真綿で首を締めるという言葉があるが、まさにそれを実行しようとするのだが、それも結局は自分の力加減で生きてしまうのだ。死にたいと思う気持ちより生きたいという気持ちが勝っているのだろうか。それともただ臆病なだけなのだろうか。
私はリストカットのような自傷行為はしない。血を見るのが嫌だからだ。若い頃は喧嘩ばかりしていて血を見るのが嫌なんて思ったこともなかったが、いつからか人の血を見るのも駄目になってしまった。不思議なもので、映画やドラマなどでは大丈夫なのだが、実際に自分や自分の目の前にいる人物が血を流しているのを見るとパニック症状を起こしてしまうようになった。
いっそ誰か私を殺してくれないかと思う。なぜ日本では安楽死・尊厳死が認められていないのだろうと不思議に思う。いずれ日本でも認められる日が来るのかもしれないが、そうなったらどのくらいの人間がそれを望むのだろうか?
そんなことを考えていたら息子が帰ってきた。昼食はコンビニ弁当を買いに行ってもらってそれで済ませてしまった。私は食欲もないので今日は何も食べていない。今は夕食はどうしようか考えながら,noteの編集をしている。
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