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第三十七話 父の話

私の父はもう他界している。自宅のトイレの中で死んでいたのだ。水頭症という病気にかかり通院しながら自宅療養していた父は、一人で実家に住んでいたので孤独死というものであった。もう私も三十歳くらいになっていたので、多少の介護はしていたのだが、食料などを買って自宅に行き、父が部屋にいないことに気付いて台所や風呂場を見た後にトイレを開けると父は丸くなって倒れていた。見た瞬間に死んでいるとわかる状態だった。

父は長距離トラックの運転手をしていたため、家にはほとんどいない生活だった。家に帰ってきても特に子供と遊ぶわけではなく、ただテレビを見ながら酒を飲んでいるだけであった。昼間から酒を飲んでは、母と口論になり暴れまわる。正直子供時代の私は、父に家にいてほしくないと思っていたが、唯一良かったのは、父がいる時だけは母の私への暴力はなかった事だった。

母が家を出て行ったあと、私を祖母のところに預けることにはまったく迷いはなかったらしい。まあ、仕事の事を考えれば当然ではあるが、子供としては少しくらい迷ってくれても、、、という寂しさはあったのだと思う。

祖母へは毎月養育費を支払ってはいたらしいが、祖母の家に顔を出すことはなかった。後に姉から聞いた話しだと父は違う女の人を家に住まわせ、その子供も一緒だったというのだから、両親にとって、私はただの邪魔者であったのだろう。

高校をやめて一年ほど過ぎた後、当時付き合っていた彼女が年上で車を持っていたので、正月に酒を買って実家を訪れたことがある。自分なりに大人になった気分がしていたので、父と少し話でもしてみようと思ったからだった。実家に着きインターホンを鳴らすと、見たことのない女性が出てきた。「オヤジいますか?」私が聞くと、「ちょっと待ってね」と言って部屋の方に向かって歩き出した。その女性と入れ替わりで父が顔を出し、「久しぶりだな。最近はどうだ?」と玄関口でちょっとした雑談。部屋の方から聞こえてくる子供たちの笑い声。私は来てしまったことを後悔しながら酒だけを渡して実家を後にした。

それから父とは十年ほど顔を合せなかった。結局、内縁関係にあったその女性には預貯金から土地から何から何までうまい事やられて、財産のほぼ全部を持っていかれてしまったようだった。父は警察に相談するも、内縁関係になると民事だから警察では扱えない、と言って泣き寝入りしたようだった。

二十代の後半、もう私は結婚をして子供もいてそれなりに幸せな日々を送っていたのだが、ある日珍しく叔父からの電話がなった。父が二日続けて車で横転事故を起こしたというのだ。「何かおかしいから顔を出してくれ。」叔父にそういわれ、気がのらないまま父のいる実家に顔を出した。叔父から聞いた話しだと、もう数年間仕事も出来ず、家にいてほぼ寝ている生活を送っていたらしかった。横転事故を起こしたことで怪我の処置をし、検査入院することになった。診断の結果水頭症という病気であった。認知症とほぼ同じ症状が出てしまう病気だという事だった。

それから数年間、私はうつ病になり、離婚をしたりと、色々とあったわけだが父の通院の付き添いや、定期的に家に行き、私なりに出来ることをやっていた。医師とも話をし、手術も考えたが本人がどうしても嫌だという事で在宅で療養していた。父が死んだ日、行く予定ではなかったのだが、年末だったこともあり、何か年末らしい食べ物を買って持って行ってあげようと実家に向かったのだった。これが虫の知らせというものなのか、その日に私が行っていなければ、数日間はだれにも発見されずにトイレでまるまった状態だったのだろう。

財産は何も残っていなかった。それはそれで仕方がないなと思ったが、葬儀や戒名等々は長男として私が全て取り仕切った。寂しさも父との思い出もほとんど何もなくただ、私にとっては『人が死んだ』というだけの事だった。一周忌の後に叔父が私に「兄貴は○○には何も頼めなかったんだよ。親としてやるべきことをやっていなかったから」と言った。父なりに私に対して申し訳ない気持ちは持っていたのだとわかった。今思うと、父も父なりに色々な苦しみがあったのかもしれない。親の気持ちは子供にはわからず、子供の気持ちも親には伝わらないといったところなのだろう。

今回は父の話をサラッと流して書きました。ここでは書いていない細かくて深いエピソードもあったのですが、私自身、父の事はあまり思い出したくない過去なのであえて書きませんでした。次回は高校を退学した後のどんどんドロップアウトしていく私の様子を書いていこうと思います。

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