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ヨーロッパにおける病院のはじまりは修道院?僧院医学(修道院医学)について𓇗𝕳𝖎𝖑𝖉𝖊𝖌𝖆𝖗𝖙𝖊𝖓 𝕹𝖔𝖙𝖊𓇗

今日は、修道院医療の歴史の始まりについてまとめてみました。

修道院医療の強化の背景には、現在の私たちを襲っているパンデミック(新型コロナウイルス)のように、6世紀におけるパンデミックの影響があるようです。

現在、聖ヒルデガルト療法のみならず、世界的にも修道院医療に魅了されている方々が増えている理由を挙げるのであれば、多くの人々が従来の医療に満足しておらず、修道士による医療、特に薬草(メディカルハーブ)の使用を良い代替手段として見出しているのではないかとも感じています。

特に慢性疾患の方は、従来の医療(薬だけでの治療)だけでは対応できないことが多いです。しかし、修道院の医療はメディカルハーブだけではありません。予防も重要な役割を果たしており、健康的な栄養や衛生についての論文もあり現在のライフスタイルにも活かせるものがあるようにも感じます。

修道院医療の始まりは、古代末期にさかのぼります。
修道院医療の最も重要な人物の一人が、〈聖ベネディクト〉です。

彼は、“ 修道院は人々の医療にも気を配るべきだ”という規則を定め、それが、修道院医療の出発点となる【聖ベネディクトの規則】になりました。

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▼ 聖ベネディクトゥスの『戒律』 : 中世キリスト教社会の健康指針
矢内 義顕

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そのため、修道院では薬草を植えた庭や薬局、病室などを設け、多くの人々に医療を提供するようになりました。したがって、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、一般に信じられているような修道院医療の発明者ではありません。

当時の修道士や修道女たちは、古代の医師たちの医学知識を参考にして、四体液理論、いわゆる体液性病理学を基礎として取り入れました。

修道院の医学は、ヨーロッパの医学史におけるひとつのエポックであり、特定の治療の方向性ではありません。基本的にはペルガモン出身の医師ガレノスによる古代の体液性病理学の教えに基づいています。

医学の歴史の中での「修道士の医学」という言葉は、特定の治療法というよりも、時代を表しています。修道院医療の時代は、中世初期と中世中期、特に8世紀から12世紀までを大きくカバーしています。この時代におけるヨーロッパの医療は主に修道院、つまり修道士や修道女によって行われていました。

修道院医療は、5世紀から6世紀にかけてヨーロッパ文化を襲った2つの大災害にその起源を負っています。一方では、民族の移動が地中海世界に壊滅的な影響を与え、「ユスティニアヌスの疫病※」(543年から700年頃まで)と呼ばれるいくつかの伝染病によって劇的に強化されたといわれています。

私たちの時代とは違う面が多いとはいえ、パンデミックによる世の中の体制(病に対しての)が大きく変わった点、パンデミックがあったからこそ出てきた新しい側面は現在と変わりは無いような気がいたします。

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▼「ユスティニアヌスの疫病」

6世紀にビザンチン帝国(東ローマ帝国)で大流行して2500万人の命を奪ったと言われています。
この6世紀の病原体は、中央アジア東部のネズミの集団に今も生息しているペスト菌と遺伝的に関係があることを証明することができました。
536/540年に始まった気候的な寒冷期には、この地域に降水量が増え、ネズミやノミ、バクテリアが増殖し、人間にも感染する危険性が高まりました。
エジプトから到着した穀物船団によってイスタンブール海峡(ボスポラス海峡)に持ち込まれたことがわかっており、ローマ時代のエジプトでは、ペッパーなどのエキゾチックなスパイスやガーネットなどの半貴石が輸入されており、ペストも一緒に入り込んだようです。その後、地中海からアイルランドまでの海と陸の交易路に沿って広がっていきました。そして、中央アジアからインドに向かって広がっていきました。8世紀の中頃まで、この病気は波のように戻ってきて、数え切れないほどの犠牲者を出しました。

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