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十分の一税って何!?聖ヒルデガルトにも適応されたという十分の一税に迫る𓇗𝕳𝖎𝖑𝖉𝖊𝖌𝖆𝖗𝖙𝖊𝖓 𝕹𝖔𝖙𝖊𓇗

ヒルデガルトが8歳のとき、十分の一(すべてのものの10分の1を神に捧げること)が一般的に子供にも適用されていた時代に、10番目の子供として生まれ、「神に捧げられた」ということを、此処でいつもお伝えしていました。

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▼聖ヒルデガルトの生い立ちについて
詳細はこちらのnoteをどうぞご一読ください

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この“十分の一を寄付する十分の一税【じゅうぶんのいちぜい】の習慣”についてまとめています。

日本は仏教国でもあるので、十分の一税と聞いても頭に浮かばない(イメージできない)と思います。起源などを読み解くことでヒルデガルトについても深く理解ができそうな気がします。

〈十分の一税の起源〉は、聖書の記述にある“イスラエル人の慣習に遡る”と言われています。ただ、「tithe(英語)タイズ」 という「十分の一税」を意味する名詞は、1200年ころに初出します。

聖書のみならず、民数記18.20-28にも、『レビ人にイスラエルでささげられるすべての十分の一を報酬として与えること』、その報酬の十分の一を主に捧げる献納物とすること』などが定められているようです。

まず、4〜5世紀、信徒が増加し聖職者の数が増えて彼らの生計維持の問題が浮上すると、信徒の道徳上の義務として、キリスト教会が信徒に収入の十分の一の納税を要求するようになっていったのが、この〈十分の一税〉の始まりのようです。

585年、第二マコン教会会議で聖職者が労働にわずらわされず聖務に専念できるよう、古くからの慣習である〈十分の一税〉の再興が取り決められ、【農民は収穫物の十分の一を各教区の司祭に納める】よう取り決められました。

本格的な導入はカロリング朝フランク王国時代からで、フランク王権の介入によって〈十分の一税〉が確立し18–19世紀に廃止されるまで続いたようです。
ハーブを愛好し、「医学の友にして料理人の称賛の的」と喩えたというカール大帝(768~814年頃)の時代の後半に、王の財産を管理するための指針となった「Capitulare de villis」の6条のところに、しっかりと〈十分の一税〉の記載があります。

ヒルデガルトが産まれた時(1098年)には、この十分の一を寄付する〈十分の一税〉の慣習は一般的だったようですね。

ヒルデガルトの場合はヴィジョンが視える不思議な力を持つ子供という意味合いもあって〈十分の一税〉に則って教会(神)へ奉公するようにと出されたようです。

〈十分の一の納屋〉(※写真参照)という、中世の北ヨーロッパの多くの地域で使用されていた、農作物など〈十分の一〉を保管する納屋があったといいます。

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▼十分の一を納める納屋の動画はこちら

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穀物、ブドウ酒、野菜、果実などの土地からの収穫物のほか、家畜や畜産物にも課され、その額は、多くの場合収穫の10%程度であったようです。

やはりこれらが農民の重い負担となっていたようで、フランス革命あたりに不満が勃発し、1789年8月に廃止されたようです。(修道院は助かりますが市民にはすごく辛いものでしたでしょうね!)

こういう流れを見ていくと、また聖ヒルデガルトの軌跡がより一層わかりやすくなるかも知れないです。

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