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太陽王 ルイ14世の果物と野菜の庭「ポタジェ・デュ・ロワ」𓇗𝕳𝖎𝖑𝖉𝖊𝖌𝖆𝖗𝖙𝖊𝖓 𝕹𝖔𝖙𝖊𓇗

フランス語で家庭菜園は、Potager(ポタジェ)と言います。環境問題に積極的に取り組むフランスでは緑地化の狙いもあって、市民農園はもともと盛んで、申込倍率も高く人気です。

有名なヴェルサイユ宮殿にも、立派なPotager(ポタジェ)が存在します。おそらくここは世界でもっとも有名な菜園なのではないでしょうか。
ルイ14世の命によって作られた菜園で、「Potager du roi(王の菜園)」と呼ばれています。

ルイ14世の菜園「王の菜園(ポタジェ・デュ・ロワ)」は、年間を通して見学が可能で、17世紀の果物や野菜の生産の様子を知ることができます。
「ポタジェ・デュ・ロワ」はヴェルサイユ宮殿のキッチンガーデンであり、園芸の指導と革新の場として長い歴史を持っています。

「ルイ14世は、肉は少しかじるだけで残し、何よりもスープ、サラダ、そして果物を好んだ」

「自分の食べたい野菜や果物を食卓に出せるように、有能な園芸家ジャン=バティスト・ド・ラ・カンティニを雇い菜園を作らせた」のが、どうやら「ポタジェ・デュ・ロワ」の始まりのようです。
こちらはルイ14世の食に対する強いこだわりを今でも感じられる貴重なスポットとなっています。

太陽王ルイ14世は、自分のニーズに合った宮殿を求めていました。
神の権利を持ち、絶対的な権力を持つ王として、各国を魅了し、反抗する貴族たちを服従させることを目的としていたのです。

17世紀、ルイ14世の財務長官であり、芸術メセナでもあったニコラ・フーケが作らせた見事な城と庭園、『ヴォー・ル・ヴィコント城』

1661年、この完璧に美しい城館でルイ14世を歓迎するための豪奢な宴を催したことが却って王の不評を買い、王は自らの権力を主張しニコラ・フーケは失脚し投獄されてしまいます。
そしてヴォー・ル・ヴィコント城を作った建築家ル・ヴォー、造園家ル・ノートル、画家シャルル・ルブランのクリエイティヴ・チームがそのまま引き抜かれ、
ヴェルサイユ宮殿と庭園が作られたことは良く知られています。彼らは皆、彼を讃えるために、父ルイ13世の小さな狩猟小屋から宮殿を作り、周囲の森や沼地を比類のない規模の庭園に変えようとしました。

ルイ14世の注意深い指導のもと、当時の最高の芸術家たちが、建築にはル・ヴォー、庭園にはル・ノートル、彫刻にはル・ブランを中心に、ヴェルサイユをヨーロッパで最初の宮廷としました。

この庭園は、世界で最も印象的な宮殿を作るというルイ14世の構想を実現するために、庭師で農学者でもあったジャン=バティスト・ド・ラ・カンティニー(1626-88)と、フランス人建築家のジュール・アルドゥアン=マンサール(1646-1708)が1678年から99年にかけて作り上げたものです。

ポタジェは23エーカーを超える広さがあり、周辺には28の小さな庭園があり、中央の噴水を囲むように16の正方形の菜園からなるグラン・カレがあります。
ジャン=バティスト・ラ・カンティニーは、果樹園や菜園の技術に長けており、王の食卓に果物や野菜を提供する役割を担っていました。

当時の最先端の技術を駆使した栽培方法の名残は、今も見て取れます。例えば、周囲の壁の高さ。これは作物を風から守るだけではなく、壁が蓄える太陽熱を利用して寒さに弱いイチジクやメロンを栽培するための技術だったのです。堆肥の使い方を工夫して、当時、旬ではない時期にイチゴを育てたり、ということも行なっていたようです。
ラ・カンティニは促成栽培を得意としており、1月にイチゴ、12月にアスパラガス、6月にイチジクを作ることが出来たそうです。驚きですね。

ジャン=バティスト・ラ・カンティニーが成し遂げた偉大な仕事を、ルイ14世はありがたく受け止め、定期的に自分の菜園を訪れることを楽しみにしていました。その天才的な業績により、ジャン=バティスト・ラ・カンティニーは主君から感謝されました。ルイ14世はポタジェに散歩に来るのが好きだったと言われています。

ルイ14世は、オランジェリー(これもラ・カンティニーの作品)に沿って続く「100の階段」を下りて王の門にたどり着き、「ロビン」と呼ばれる洋ナシ 16本の木に囲まれた路地を歩いて、王のポタジェの西側に接するテラスにたどり着きました。そこでは、30人以上の庭師たちが数多くの種類の果物や野菜の世話をしているのを見ることができました。
自身も熱心な庭師であったルイ14世は、ラ・カンティニーから果樹の剪定や育成の仕方を学ぶことを楽しみにしていたと言われています。
王は、シャムの大使やヴェネツィアの総督など、錚々たるゲストを見事な菜園を見せびらかすことを誇りとしていました。

現在でも、実にさまざまな作物が育てられており、見ていて飽きることがありません。300年以上にわたり、ポタジェ・デュ・ロワでは栽培されており、季節を問わず果物や野菜を生産するための新しい微気候や方法を導入しています。さらに、教育の伝統も維持されています。

ルイ14世の大好物だったグリーンピースやイチゴ、後にカリブや南米にも送られ世界的な普及に大きく貢献したコーヒー、日本のシェフ三國清三氏の提案で栽培が始められた京野菜などなど。さらに、マリー・アントワネットが愛したというりんごやバラも必見です。

1926年に歴史的建造物に指定されたポタジェ・デュ・ロワは、ユネスコの世界遺産に登録されているヴェルサイユ宮殿の一部です。1991年に一般公開され、来場者は、庭師によるガイドツアーやワークショップ、ダンスイベントや展示会、朗読会、試食会、演劇や音楽の演奏などのアクティビティを楽しんでいます。

ポタジェ・デュ・ロワは一般公開されており、国立高等農園学校 (École nationale supérieure de paysage)が併設されています。
450種類以上の果樹があり、年によっては300~450種類の野菜が栽培されています。毎年、約40トンの果物と野菜が生産されていますが、これは植え付け、剪定、収穫といった手間のかかる作業で、限られた資源の中で、少人数で行われています。

ポタジェ・デュ・ロワは農業省の監督下にあり、敷地内にある国立高等農園学校(École Nationale Supérieure du Paysage)によって管理されています。国立高等農園学校の使命は、1926年に登録されたポタジェの保存、管理、開発を確実に行うことです。
そして何よりも未来のランドスケープ・ガーデナーのトレーニングの場でもあるのです。また、学校の先生方も科学的なサポートをしてくれます。

国際ランドスケープアーキテクツ連盟が、ポタジェ・デュ・ロワに本部を置くことを決めたのは、監督にとって偶然ではありません。

毎日一般公開されているにもかかわらず、ポタジェ・デュ・ロワはヴェルサイユ宮殿の管理下にないため、宮殿や他の庭園と同じチケットで見学することはできません。
ベルサイユ宮殿のように60万人以上の訪問者を、ポタジェ・デュ・ロワは期待しているわけではありません。
今後は、学びの場としての機能を拡大していくことを目指しています。
国立高等農園学校 (École nationale supérieure de paysage)の実験の場であり続けながら、より多くの一般市民(2018年は46,000人、2019年はおそらく50,000人の来場者)を迎え入れ、フランスの園芸高校との連携を強めていくことらしいです。

保護活動に加えて、国立高等農園学校 (École nationale supérieure de paysage)は、地元の学校グループを対象とした既存のプログラムの一環として、一連の教育教材を開発する予定です。幼い生徒には触覚、味覚、嗅覚について、小学生には植物の栽培の各段階について、中学生には農業の生態学的側面について、それぞれ説明する予定です。

▼ KYOTOGRAPHIE 2021で展示されたトマ・デレームの作品の動画は下記のサイトをクリックしてご覧ください

ヴェルサイユ宮殿の歴史ある「ポタジェ・デュ・ロワ(王の菜園)」で栽培が続けられている、希少ながら守られている古代種の野菜を撮影した「Légumineux」シリーズを展示内容▼

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