noteやTwitterを50日続けてみて
こんにちは、皆様のおかげでnoteを50日継続できました(#^.^#)
嬉しいけれど、早くもそんなに経ったのか・・・と驚きます。
病気になった後の生活は浦島太郎のようで、意図的に強い情報から距離も置いていました。マズローの欲求、下2つくらいを行き来する暮らし・・・。
どうも、夫のように多種多様な情報を調べたり、各業界のインフルエンサーと絡んだりすることにまだ慣れていません。疲労感がすごい。
昨日もトレンドになった『オクラの卵焼き』についてツイートしている方がおり、「うちの卵焼きは甘めだからオクラに合うかな?」というリプに対して、それが問題だという風に主張している方が大勢いらして・・・
何が一体問題なのか分からないと真剣に思い、尋ねてしまいました。
「Twitterは今起きていることをシェアするものなので、自分語りするな」
「バズるとリプを見るのが大変だから、コメント欄のような使用をするな」
・・・ということみたいです。
私はTwitterのCEOがそのような意図を言ったか言わぬか知らないが、色々な方がいて良いと思っているから、感謝しつつも「あまり細かいことを気にせず楽しみたいです」とお返事しました。
今起きていることを呟いて、それにリアクションできる以上は、完全にSNSだよねと、あくまで「私は」思います。
教えてクレクレと言っても、教えてくれる人だって、ファボをつけるひとだって沢山いるわけです。コミュニケーションしてるやん!
来る者拒まず、去る者追わずなのはどのSNSでも大切かなと思うし、通りすがりに「どーも!」と声をかけてもらうのも嬉しいです。
・・・かといって、マニュアル通りにやっていないと、こいつはマナーが悪い!と思う方も多いのだな~と実感したのでした。
noteは雰囲気が優しい。ブログなのかSNSなのか、あえて境界線がないような、ふんわりと繋がれる空気感が好き。クリエーターとして作品を世に出せる(販売できる)ところも良い。
〇〇日連続の投稿!等々、褒め上手なので、三日坊主でも続けてしまう。
勿論、続けようという意思もあるからなのだけれど、柔らかい土壌があると感じている。しかも肥沃。
でも、一番好きなのは実名のFacebookだったりする。
自分の発言に責任を持ちたいからというのもある。
noteもTwitterも、実名でもいいかな?と思うこともあるのだけれど、
センシティブな内容についても触れるので、周囲への影響を考えると
今はまだペンネームでも良いかな、と。
ペンネームだからこそ、よりリアルに書けるので、今はHikoという娘を優しく育てていきたいと思っています。
50日、身の回りに起こったことは大変だったけれど、命があり、文章を書く力が残されていることに感謝します。
ありがとう!
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