物をいくらあつめても幸せになれない?
子どもの頃、漫画やゲームを山ほどたくさん持つことに誰しも大変な憧れを持ったものなんじゃ無いかと思います(根拠は無い)。まあ普通の子どものお小遣いでは、ゲームなんてそうそう自分で買える物じゃ有りませんし、漫画だって一冊一冊は安いものの、一つの作品を全巻揃えるとなるとそれなりのお金がかかるので、そんなの夢また夢でした。
それでも親がお金持ちなのかよく分かりませんが、大量の漫画やゲームを所持している子どもはいるもので、そう言う人の家に遊びに行って、自分が到底手に入れる事の出来ない量の漫画やゲームを持っている姿を目にすると「これだけあるならいくらでも楽しめて全く退屈しないだろうな」と大変羨ましく思った物です。
そんな私も月日は流れて40代。立派なチー牛の中年引きこもりのキモいオッサンとなりその上キモいオタクとなりました。キモくて社会に疎外されている私も一応非正規の底辺労働者として働いているので、小学生の子どもの頃には考えられない額のお金を毎月手にし、小学生の頃には考えられない額のお金を趣味につぎ込めるようになりました。おそらく小学生の私が見れば今の私は大金持ちに見えるでしょう。世間一般的には底辺ですが。
そんなわけで大金持ちとなった(なってない)の現在の私の手元には小学生の頃に死ぬほど憧れたたくさんのゲームや漫画などがあります。子どもの頃全巻そろえる事が出来なかった漫画も、なかなか買えなかったゲームもあります。見たくても見る事ができなかったえっちなものもあります。
全ての数を数えた事は無いですけど、おそらく子どもの頃憧れたお金持ち(?)のあの子よりたくさんのゲームや漫画を所持しているはずです。
つまりは私の長年の努力が報われ、子どもの頃の夢が正に叶ったと言うわけですね。まあまともに職に就かずダラダラしながら買い集めていたらいつの間にかそうなっていただけなので、何も努力はしていなんですが。
さて、小学生の頃の私の夢の一つはこれで叶ったわけですが、じゃあ今の状態が幸せかと言うと、そうとも言えなかったりします。何故かと言うと「欲しいものは結局手に入れてしまえばそれまで」で、持っている状態が当たり前になってしまうからです。
あれだけ恋い焦がれたたくさんの漫画。たくさんあれば暇することなど無いだろうなと憧れた色んなゲーム。
しかし実際持ってしまうと、それらものを使って遊ぶ事はほとんど無く、ただただ部屋の肥やしになっているだけ。結局持っている物を使わずサブスクでアニメ見たりしてるので全く意味がありません。
それだけならまだ良いんですが、これだけ大量の物を持っているにも関わらず何故か新たな物がさらに欲しくなって買いあさり、ますます物を増やして部屋のゴミ屋敷化をいっそう促進させております。一体私は何をやっているのでしょうか?何故私はすでに小学生の頃に憧れた以上の物をすでに持っているのに、さらに物を集めようとするのか?さっぱり訳が分かりません。
よくミニマリストに関する本なんかを読みますと、「物はいくらあっても幸せになれない」的な事が書かれておりますが、これは実際その通りだと思います。結局物をいくら集めても幸せには多分なれません。
まず欲望には限りが無いので、いくら物を集めたところでキリがありません。何かを集めている人ならよく分かるでしょうが、収集の結果何かをコンプリートして集め終わっても、その満足感はすぐに消え去り、また新たな物を集めたくなります。定期的に発売されるトレカの収集に終わりが無いのと一緒です。
そして物をいくら集めたところで、結局一人の人間に使い切れる量はたかが知れるので全く意味はありません。漫画をいくら集めようが、ゲームをいくら集めようがそれを使える自分はただ一人なので、結局全てを活用する時間などあるわけがなく、いくら集めても意味はありません。
その上集めた物は場所を取るのでとても邪魔ですし、集めた物が大量になるほどその管理に手間と時間をとられてしまい、その分せっかく集めた物を使う時間(漫画を読む時間など)が減っていってしまいます。
つまり物が大量にある状態とは「使いもしない上に邪魔でその上時間も奪われる物を山ほど抱えている状態」と言う事になり何一つ良い事は無いと言う事になります。
結局小学生の頃あれだけ憧れた「たくさんのゲームや漫画」は実際持ってみるとそれほど良い物では無かったと言う事になりますよね。経験してみなければ分からない事とはいえ虚しいことですね。
そうなると結論としてはいくら物を集めても幸せにはなれないのだから「使わない物は今すぐ捨てろ!」という事になると思うのですが、そんなに簡単にいかないのが人間(と言うかオタク)のつらいところ。物が無い状態が気楽である事にまず間違いは無いと思うんですが、じゃあそれが幸せな状態かと言うと必ずしもそうとは言えません。
確かに物が大量にある事、それ自体では幸せにはなれないと思いますが、無ければないで結局人間は物を欲しくなると思いますし、欲しい物が手に入らない、使いたい時に使いたい物が手元に無いのもそれはそれで不幸なんじゃ無いかと思うんですよね。
何よりオタクにとって物を持つ事が大事なのは「持っているという安心感や満足感」があるからなんですよね。自分が持っているからこそ、いつでも見れる、いつでも使えると言う安心感。手に入りにくいレアな物を持っているという満足感。だからこそ無駄に大量の物を集めてしまう訳でして。結局それを否定して物を持たないでいるのも、どちらにせよ不幸なのでは無いかという気もしてくるわけです。ややこしいですね。
そもそも物を持たなくても良いと言っているミニマリストの方でもデータとしての物(電子書籍など)は大量に保持している方というのはいそうですし、男ならエロいファイルはいっぱい持ってそうです(偏見)。まあそれすらも持たないとうのは本当に徹底していて凄いとは思いますが。
結局結論としては「物を持ちすぎるのも持たなさすぎるのも不幸」という何の面白みも無い、何の解決にもなっていない全くつまらないものになってしまいました。
と言うか、早い話お金があれば全て解決できるような気がしないでもありません。お金があればいくらでも空間を借りられるので、物の保管場所に気を揉む事はありませんし、物の管理もなんならお金を払って人に任せる事も出来ます。お金はいくらあっても銀行口座に預けとけばただの数字なので、現実の物より管理が容易ですし、お金はいくらあっても正直困る事は無いような気がします。まあ「お金がたくさんあっても不幸だよ」という人は世の中におりますが、私の場合漫画やゲームは持っていてもお金はたくさん持っていないので、その境地は今のところ理解できません。
と言うわけで結論。お金があれば全て解決ですね。はい解散!!
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