なぜパワハラは無くならないのか、被害者目線から分析してみた。
過去のNoteでも触れましたが、私は過去にパワハラを数度受け、精神的にかなりのダメージを負った経験を持ちます。
今でも自分のメンタルが弱った時には当時の光景を思い出しますし、当時の感情(怒り、憎しみ、悲しみ、、)に支配され、夜眠れなくなることもあります。
「何故パワハラは無くならないのか」、この問いに対する自分なりの分析をまとめたので、今回はそれを記していきたいと思います。
今回は「パワハラが好きな人」は対象とせず、「パワハラ的なアプローチが好きなわけではないのに、結果的にそうなってしまっている人」を分析対象としています。
全体像
分析結果の全体像を図式化すると、以下の通りになりました。
(携帯等では小さくて見えないと思うので、飛ばしてください)
「パワハラが起こる=こちらに記載の全ての要素を満たす」、ということではありませんが、これらの要素が絡み合って発生していると考えます。それでは、一つ一つ見ていきます。
①掴めない部下との精神的距離=ピープルマネジメントが出来ていない
部下との接し方に困っているミドルマネジメントの方は多いと思います。
そもそもリーダーシップというのは「適性」があり、リーダーという役割に向いてない人もいるにも関わらず、年を取ると自動的に「上司」になる構造に問題がある、というのは前提です。
しかし、それにしても困っている人が多い。それは、シンプルに「ピープルマネジメントが出来ていない」ことに尽きると思います。ピープルマネジメント、という言葉を私はこう定義しています。
これが出来ていれば、仕事を通じてのコミュニケーションに苦しむことは余りないと思っています。
なぜピープルマネジメントが出来ないのか
この問いに対する一番の答えは、「されたことが無いから」。40代・50代の方々とお話しする中でよく出てくる言葉が、
言い換えると、「自分たちはピープルマネジメントされずにここまで来たのだから、あなたたちもやれるはず」ということです。
この発想の持ち主に「部下と1 on 1してください」「部下のGrowth Mindを刺激してあげてください」といったところで、そもそもその必要性を認識していないのだから、その声は届きません。
「DVをされた親は子供にDVをする傾向が強い」と聞きますが、それと同じで、負の輪廻を断ち切ることは容易ではないのです。なぜなら、基本的にヒトは自分の人生を肯定したいから。
また、たとえその負の輪廻を断ち切って「やらなきゃな」と思っても、セミナーの動画を一度見たくらいではやれるようになりません。「ヒトと向き合う」といいうことは覚悟も能力もいる話であり、根気よくTryしていくしかないのです。
しかし、それが出来ない。何故かというと。。。
ミドルマネジメントが忙しすぎる
忙しすぎる理由① 社内仕事が多すぎる
大企業においてミドルマネジメント・中間管理職がManageしているものは、社内のルールであり、上司が求める資料。その組織のVisionだったり、OKRではないケースが大半です。
つまり、やたらと社内仕事が多い。報告資料を作ったり、謎の会議で1日の予定が埋まったり。。。そうなると部下と向き合う時間もないし、部下が気軽に確保できる時間もありません。
前職はこのケースでした。しかし、もう一つのケースがあります。
忙しすぎる理由② ミドルマネジメントがプレイヤーすぎる。
中々「生まれつきのマネージャー」というのはおらず、ほぼ全てのケースで「プレイヤー→マネージャー」という順序を辿るでしょう。
マネージャーとして結果を残せる人は、「この移行が上手く行った人」と同義だと思っています。そしてそのためには、「人に任せる能力」の開花が必須です。
この能力が開花せず、若しくは”Play”が楽しすぎて、ついついPlayerに安住してしまう。そうすると部下は任せてもらえないし、上司は忙しすぎて面談できないし、、、ということで、ピープルマネジメントなど出来ようがありません。
このどちらかのケースに当て嵌まるミドルマネジメントが極めて多い、というのが私の印象です。
①のまとめ
まとめると、このようになります。
でも、精神的距離が離れただけではパワハラは起きません。何がトリガーになるのでしょうか。
②弱い自己肯定感
ダメージを受けながらも「可哀想…」と思った
私はパワハラを受けている時に不思議な感覚に襲われました。机を叩かれ、暴言を吐かれ、被害者は私であるはずなのに、その加害者に対して
「なんて可哀想な人なんだろう」
と思っていました。その時は分からなかったのですが、後から理由が分かりました。それは、
でした。本当に自分に自信がない。だから堂々としていられない。40歳にもなってそんな人間にしかなれていないその人に、心から同情していたのでした。
この人のレベルまでは行かずとも、自己肯定感の低いミドルマネジメントは沢山います。それはなぜでしょうか。
自己肯定感が低位安定する理由
私の考える「ミドルマネジメントの自己肯定感が低い理由」は以下の通りです。
①自分の市場価値への不安
今の40代・50代はまだまだ「転職経験ゼロ」の方が多い。同じ会社に20年やそれ以上居てしまうと、外で勝負することへのハードルは上がる一方ですし、身についているスキルも「今の会社専用」であることが多い。
「自分は外の世界では価値がないのではないか。。」
そんな想いを日々抱いていては、自己肯定感が上がるはずもありません。
②裁量権がない
大企業では、一つ二つポジションが上がったくらいでは裁量権は得られません。40歳になっても、誰かの決裁を得ないといけない。そして、それが一人とかではなく、多数。一方、世には自分と同い年で意思決定をしまくっている人がいる。「決める権限すらない自分」を日々直視する中で、自動的に自己肯定感が下がります。
③自分より優秀な部下・後輩の存在
ビジネスマンに求められる知識・能力は増える一方です。
営業の人もファイナンスの知識を、マーケティングの人もDXの知識を…更にはリベラルアーツ的な知識・造詣が無いと海外の一流層とは会話にすらなりません。これら知識を日々の業務をやりながら習得することは容易ではありません。
一方、最近の学生や若者は昔に比べて勉強していますし、インターンや学生時代の起業を経て、一定の社会経験を積んで入社してくる新人も少なくありません。
その結果、「年齢」と「パフォーマンス」の相関係数が大きく下がっています。しかし、その状況を認め、歓迎し、彼らを上手く登用できればチームとしてのパフォーマンスは上がり、また自身も成長するはずです。
ですが、それが出来ないミドルマネジメントが一定数います。その多くの方々は「儒教的な年功序列の意識」に縛られ、後輩や部下を認め、首を垂れることが出来ない。しかし現実は変わらないので、(不要な)プライドと現実の乖離によって、結果的に自己肯定感を大いに下げてしまいます。
①✖️②=ストレス→パワハラ
この悪循環が、最終的に「暴発的なパワハラ」を招くと思っています。このチャートがある程度正しいとするならば、いかに「社内でのパワハラセミナー開催」といった施策が表層的で無価値であるか、がお分かりいただけるのではないでしょうか。
パワハラするかどうかは「してはいけないことがわかって居るかどうか」で決まりません。もっと奥深いところにあるRoot Causeに対処しなければ防げません。
しかし、そのために会社側が出来ることは沢山あります。解決策は会社によって異なるでしょうが、ここにあるアイテムに対してアプローチする、「一見パワハラとは関係なさそうなこと」が問題を解決します。
セルソースはまだ140人規模ですが、今後も引き続き加速度的に成長して行きます。人事戦略立案の責任者として、自分の苦い経験を活かし、同じことが起きないよう全力を尽くします。
終わりに
「部長」とかいうポジションになって1.5ヶ月。日本では初めてリーダーシップを取っていますが、一つの言葉の重要性を強く身に染みています。それは「Vulnerability」。僕は「自分の弱さ」と意訳していますが、これを見せられるかどうか、がリーダーとしての巧拙に直結すると感じています。
こちらについては既にNoteに纏めているので、ここまでご一読いただいた方には、是非こちらも見ていただきたいです。
大分長文になってしまいましたね。以下はおまけです。では、また来週。
細田 薫
おまけ
勉強して初めて知ったのですが、日本の「解雇規制」自体はOECDの中では「弱い方」にあたるのですね。米国よりは強いが、欧州よりは弱い。労働契約法自体は一般的な文言です。
では、なぜこんなにも解雇や罰則適用がしづらいのか。それは、過去の判例(解雇無効)と、Reputation Riskに対する過度な警戒。
前者は仕方ないとして、後者は何なんだと。つまり、解雇や罰則適用された人間が労働争議を起こしたりした際のイメージ悪化リスク、ということですね。
相当重度で悪質でなければ、初回のパワハラに対しては注意(戒告・譴責・訓戒)で終わりのケースが多く、その次が減給処分です。この減給可能幅もめちゃくちゃ狭い。
一方、一度でもパワハラを受けた人間は、そのダメージを一生負って生きていきます。私の初回被害は2015年、つまり7年前ですが、今でも一切色褪せていません。きっと死ぬまで覚えているでしょう。
もちろん、被害者側が余りに知覚過敏なケースもあることも知っており、この判断は非常に難しい。答えはありません。被害者側の意見だけ聞いて判断することは絶対にあってはなりません。それは組織の萎縮につながってしまうので。
しかし、「世の中がこうだから」とかそういうことは全て横に置いて、自分の信じる判断をしていきたい。今回のNoteを書いていて、改めてそう思いました。
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