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【71】北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周 24.5日目 1年半の中断〜「平成最後」の再出発  2019年4月26日

2015年5月、強い南風が吹く晴れた朝に札幌をスタートして、週末を細切れに繋ぎながら北海道を時計回りに走り、3年後の2017年11月、函館に到着しました。残すは西海岸の550キロばかりの行程です。
しかし、十勝川河口を出発して襟裳岬を巡り、日高と噴火湾を走った3年目は、それまでのようにあたらしい風景との出会いに心踊ることも、今この瞬間にこの道を走っていることへの歓びがこころに満ち溢れる瞬間も少なく、正直、あまり楽しくありませんでした。今ひとつ天候に恵まれなかったこともあるでしょう。また、日本離れした風景が続く道北・道東から、北海道の中では人口密度の高い地域に差し掛かったことなども理由のひとつではあるでしょう。
ともかくも、当初感じていたような新鮮な歓びがなくなってしまったのです。


◆ 1年半の中断

最初の年は、風景が平板で季節感のない熱帯での4年間の駐在から帰国して、四季の移ろいに富んだ日本の自然の美しさを再発見し、その中に身を置くことの歓びを全身に感じながら走っていました。
その後、一年で札幌から東京へ帰任することになってしまいました。それでも東京から遠征して走り続けることにした2年目は、頚椎ヘルニアや落車によるケガなどで、思うように走れませんでした。それでも数少ないライドではいくつもの忘れ難い瞬間があったものです。
地元のいい呑み屋に巡りあい、そこで地域の方々や旅人たちと過ごした暖かな時間とか語らいとか、そういった体験だけを取り上げれば、3年目はベストだったかもしれません。しかし、それらはいうなればデザートのようなもので、メインディッシュはあくまで、ロードバイクで北国の空の下を走ること。
2017年は「週末北海道一周」以外のライドも含め、5回も渡道しており、マンネリ化も否めません。
ともかくも、大好きな北海道を走ることが楽しくないとは、由々しき事態であります。

さらに、函館まで走り終えた2017年11月の下旬から、再び北海道のあるプロジェクトに関わることとなり、毎月のように札幌へ出張することになりました。仕事でも遊びでも目指す先が北海道では、リフレッシュにもならない気がします。また、公私の区別をつけるのは社会人として当然で、まさか輪行袋を担いで出張というわけにもいきません。

このようなことを考慮して、2018年は、週末北海道一周ライドをお休みすることにしました。

ただ、8月に一度、札幌の友人とどこかを走ろうということになり、ルーベを担いで女満別空港へ飛び、2015年の晩夏に走ったオホーツクの素晴らしい道を再訪しました。感動の径、能取岬、天へ続く道… そして、網走の贔屓の鮨屋で舌鼓を打ったものです。

▲ 感動の径
▲ 能取岬
▲ 天へ続く道
▲ 網走川の夕焼け
▲ オホーツクの食の幸

◆ 人間失格?

もっとも、一年間ストイックに働いていたわけでは全然なくて、今振り返ると、北海道へ走りに行かない反動たるや、恐ろしいものでした。

・4月 石垣島ダイビング
・5月 タオ島(タイ)ダイビング
・6月 石垣島ダイビング(本年2回目)
・7月 台湾旅行
・8月 オホーツク自転車旅
・9月 パラオ ダイビング
・11月 宮古島ダイビング
・12月 台湾旅行(本年2回目)、石垣島ダイビング(本年3回目)

…海外へ4回。沖縄へ4回。
いったい、ダイビングと海外旅行にいくら費やしたのか、怖くてとても計算できません。
いくら気楽な独身中年男とは言え、振り返れば、我ながら呆れ果てます。
まともな神経の持ち主なら、このうち半分でも、老後の資産形成に充てることでしょう。

自転車はというと、年初の犬吠埼へのセンチュリーライドを皮切りに、冬は三浦半島一周を2回、房総半島へも3回、さらに早春の秩父やら、初夏の榛名山と暮坂峠やら。
その合間には毎週のように、川越近郊のホームコースを走り込んでいました。
しかし、やがてダイビングや海外旅行に費やす時間ばかりが増えるようになっていきました。
ダイビングも海外も、現地にはおいしい食の幸やお酒が待ち構えてもいます。

任命された北海道のプロジェクトは、諸事情で何だか先行きのはっきり見えない中での仕事が続き、やがて夏には中途半端な形で終結。
今思うと、その欲求不満を旅で発散させずにはいられなくなってもいたのです。

ずっとギリギリ正常値を維持してきた血圧は、気がつけば、上140、下90前後。
週末にロードバイクに乗り続けてはいるものの、荒川や入間川など近隣のライドが多く、心肺の強化に繋がるような強度の高い乗り方はしていませんでした。
何かと残業が多く、さらに足首の古傷にも痛みが出たりして、習慣化を目指していた帰宅後のジョギングも疎かになりがち。さらには自炊できず外食が続きました。

色々なことで心身のバランスが崩れていました。
冬になって勤務先の本社が移転し、通勤時間が大幅に伸びたことで、この状況は悪化の一途。
心身の健康のためなんとかしなきゃ、という思いは強くなっていました。

年に数回、週末の僅かな時間でも、北海道の道を走ることは、確実に心の栄養になっていたのです。
春になったら、また走り始めよう。
やっと、気持ちが熟してきました。

◆ 再出発は東京駅から

2019年4月26日。
「平成最後の」という枕詞が世の中に氾濫し、いい加減耳障りになってきた金曜の夕方。
東京駅は、史上空前の10連休を明日に控えて、秋田新幹線が車両点検の影響でストップしてしまい、大変なごった返し様です。
新函館北斗行き「はやぶさ」は、秋田行きに乗る予定だった人たちがデッキや通路に溢れ、超満員。今回は諸事情で、ロードバイクを「サイクリングヤマト便」を使って先に送ってあったのが不幸中の幸いでした。もし、こんなすし詰めの車内に輪行袋を持ち込もうものなら、置き場所もなく、立っている人たちに白眼視されて、ヤワな神経が持たなかったことでしょう。
東京駅の地下で買ったワインの小瓶とチーズ、それに駅弁を、テーブルに広げます。左からは通路に立つ男性の視線が刺さり、右からは隣席の赤ん坊がチーズに興味津々、手を伸ばしてきて、その都度母親から「すみません」と謝られます。どうにも落ち着かない雰囲気で腹に収めました。
前夜は取引先との会食で終電まで飲んでいたので、寝不足で、身体も重い。適度に酔いが回り、たちまち眠りにつきました。

乗客が大幅に入れ替わる仙台では乗降に時間を要し、7分遅れでの発車。秋田行きの臨時列車が運転される盛岡でようやく通路が空き、車内販売がやってくるようになりました。少し飲み足りない気分ではあるけど、昨夜深酒したので、今日はここまでにしておきます。

八戸でどっと乗客が降り、乗車率は50%ほどになりました。隣の赤ん坊も降りて行きました。
新青森から先は北海道新幹線の区間。北海道新幹線の平均乗車率は20%程度だそうで、札幌延伸まで運行休止したいののがJRの本音では、と勘ぐりたくなってしまう。しかしお陰で、終業後に東京を出て当日中に函館に到着できるわけです。

◆ 雨の函館

持参した文庫本も読み終え、さすがに手持ち無沙汰になりました。この列車は盛岡の先は各駅停車なので、新函館北斗まで4時間25分かかります。
さすがに長い、と感じ、次の瞬間、わたしの学生時代には、この区間は10時間以上かかっていたことを思い出して、なに贅沢言ってんだろう、と、ひとり苦笑いしました。

昭和最後期の当時、東北新幹線は盛岡まで。そこから青森までは在来線特急「はつかり」、そして青森駅の長いホームの突端から連絡船桟橋へ進み、津軽海峡を横断していました。夕刻に上野を発つと、青森着は深夜、函館到着は翌朝4時ころだったと記憶しています。
そんな追憶に浸るうち、「はやぶさ」は青函トンネルに突入し、連絡船が4時間かかって行き来していた海峡を22分で横断。

プライベートでは久しぶりの北海道ですが、天候が心配です。渡島地方に出ていた雪の予報は雨に変わり、降水確率も40%程度に低下しました。しかし、最高気温は9度程度、厚い雲に覆われそうです。風向が東から南東と、概ね追い風になってくれるのが、まあ、救いではあるのですが。

ワインの酔いも完全に醒めた22時過ぎに函館に到着。駅前は雨に濡れていました。
駅前のビジネスホテルに投宿。大門の屋台村で軽く呑み直したい誘惑を退けて、事前に送ってあったロードバイクを点検し、眠りにつきました。

◾️ ◾️ ◾️

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。翌日は函館から江差へ、風雨の中のセンチュリーライド。よろしければ続きもお読みくださいませ。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。


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