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あなたは他者を受け入れられるか?

違う考え
ありきたりな話ではありますが、
違いは間違いではありません。
歳を重ねるほどこの感覚は当たり前に
なっていくわけですが、
ある時点でそれが反転する人がいます。
いわゆる老害になってしまう人です。

老害とは考えることの放棄
老害になるとなぜ他者の意見を
受け入れられなくなるのでしょうか?
それはこれまでの経験からすでに
答えめいたものを掴んでしまっている
からだと私は考えます。

過去に頭を悩ませて問題に対処する方法を
考えてきた結果、それが蓄積して
生まれたものが経験則です。
これ自体はとても自然なことで、
経験則も必ずしも悪とは限りません。
少なくとも過去には通用した手法なわけで、
現在の類似の問題に当てはめてみたら
うまくいく可能性は十分にあります。

しかしここで注意しなければならないのは
経験則が必ず解決の糸口になるとは限らない点です。

時代が進めば技術も価値観も変化します。
現代においてはそれをいかに正確にかつ素早く
把握できるかが商売における
大きな分かれ目になります。

にもかかわらず、過去の経験則だけを頼りにして
現状の情報収集、分析に労力を割かなかった場合、
現在にフィットした解決策を
生み出せなくなる可能性があります。

なぜ老害が生まれるのか
ホモサピエンスはとにかく
面倒くさいことが大嫌いです。
できることなら脳みそを一切使いわないように
プログラムされています。

これは原始時代、
毎日が生きるか死ぬかの世界においては
とても重要な機能で、
生命の維持にかかわる緊急の問題以外は
自動処理してしまうことで生存率を上げるように
進化した結果といえます。

ところが現代では刻一刻と変わる状況に合わせて
対応を変えなければなりません。
それはすなわちすべての問題に対して
自動処理をせずに丁寧に考えていくことと同じです。

つまり、現代の状況と
ホモサピエンスの進化の方向の不一致が
老害を生んでいると考えられます。

私自身これまでの経験から自分の経験則を生み出し、
それをこのようにnoteにしたためているわけです。
ただ、常に新しいことを考え、
自分と違う考えの人に出会ったときに
それを受容する準備を怠ってはいけないなと
改めて考える次第であります。

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