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アイデアが出る時出ない時

noteをはじめてから久しぶりに文章を使ってクリエイティブなことをしているなという感覚になります。
昔小説家を目指して執筆活動をしていた時は一日中文章を入力する日々でした。

その頃にも感じていたこととして文章のアイデアが出る時と出ない時で大きな隔たりがあります。
それは何なのかを考えてみたいと思います。

大体は論理の飛躍
書きたいことは漠然とあるんだけどそれをどう書いたものかと思い悩んでいるときは大体論理の飛躍があるときです。小説でいえばご都合主義になっているとき。

大枠のプロットは決まっているんですが細かいところで矛盾が生じている可能性があります。

そういうときは二つの方法でいつも解決しています。

一つは、なぜこの記事を書いてるんだっけ?と自問してみること。
このなぜ?を何度も何度も繰り返しているうちに、本筋と関係のない話を挟み込んでいるせいで全体がおかしくなって行き詰っているなどを見つけることができたりします。

二つ目は段落の順序について。
自分では筋道を立てて書いているつもりでもよくよくみると段落間の話のつながりが持っていきたい結論の方向を向いてくれないことがあります。

そんなときは思い切って段落を入れ替えてしまったり、丸まる削除してしまったりと構成を変えてみるだけで自分自身の視点も少し変わって意外とスムーズに文章が出てくることがあります。

そもそも書くことが頭の中にない、という状況
記事を書く瞬間書きたいことがないなーとなる場面があります。

これは体調もかかわってきます。前日に深酒して翌日頭がぼーっとしている状態では書きたいことが浮かんでこなかったり、以前今度これを書こうと思っていたものが思い出せなかったりします。

そういう時は私は過去の記事を見返すようにしています。

現在noteにあげている記事はいずれも1000字±200字程度の短いものです。
なので記事単体ではインパクトが弱かったり、あるいは別記事と一見矛盾するように見える記事もあります。

ただ一応私なりに記事同士を組み合わせることで全体で整合性をとれるようにはしているつもりです。

なので自分の過去の記事を読み直すと、これなんで書いたんだっけ? とか何を書き足さないといけないんだっけ? といったことを思い出せるので、思い出したものから書くようにしています。

前述の段落の丸まる削除の部分ですが、これも一応有効活用できるかもしれないので完全に削除するのではなく別の記事として下書き保存しておいてあとで読み返すと、ああ、あの時のトピックスには向かなかったけどこれはこれでこういう方向で考えるのはありだな、とかが思いつけるわけです。

自分の考えを明文化するという作業は存外骨が折れるものです。

特に細かいニュアンスを含んでいたり、曲解できてしまうような問題を取り上げる時には細心の注意を払わないと思ってもみない反応が返ってくるかもしれません。

そんなこんなを考えながらこれからもこのような雑記を続けていければいいなあと思う次第であります。

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