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芸能人が羨ましくなるとき

芸能人が羨ましくなるときがある。
彼や彼女が、くちびるからぽろりと落とした何気ない日常の言葉ひとつでも、ファンの子たちは、きらめく宝石粒のように拾い上げ、そっと手のひらから胸ポケットへとうつし、明日を生きるお守りにしてくれるのだ。
存在するだけで愛され、称賛され、そして、誰かの力になることができる。
いいなあ、いいなあ、羨ましいなあ。

でも、大人だから、本当は知っている。

彼らを覆っている愛は、ときに気まぐれで、ときに脆く、儚くもあること。
愛されるためには、愛され続けるためには、ひねれば水が出る水道のように、いつだってじゃぶじゃぶと、愛されるためのメリットを注ぎ続けなければならないということ。
それらのことをすべて引き受けてなお、光の当たる場所に立つことを選び、魅力的な存在であろうとしてくれる姿に、わたしたちは胸を打たれ、励まされるのかもしれない。

そういったことをすっとばして、ただただ、芸能人っていいなあ、羨ましいなあ、と思うことは、寝転がってポテトチップスをかじりながら、あーあ、痩せたいなあ、とつぶやくこととおなじ怠惰なのかもしれない。

まあ、怠惰になりたいときだってあるさ。

そんなときは、ちょっと疲れているとき。
せめて、寝転がってポテトチップスをかじりながらでも、痩せたいなあ、ではなく、最高に美味しいなあ、とつぶやくようにしたい。


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