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病める時も健やかなる時も

突然、濃厚接触者になりまして。

ひとつの病気が、流行り病と呼ばれるようになってから、いつかはこんな日がやってくるかもしれないと、頭の片隅で、うっすら考え続けてはいたけれど。
まさか、本当にやってくるなんて。

同居家族のひとりが感染。
家庭内隔離での療養は骨が折れた。
骨だけじゃない。心も折れた。

スプレーボトルを片手に、共用のドアノブやトイレは、一日に何度も消毒した。
体調にあわせた食事を用意して、マスクをつけてドアの前まで配膳。ひきあげてはトレイごと丸洗い。それが朝と昼と晩。
その合間に飲み物や着替えやタオルを運ぶ。
洗濯機は二回まわして、それから干した。

家族の症状がそこまで重くなかったことは、不幸中の幸いだったかもしれない。

Twitterのタイムラインを眺めると、いつもの速度で日常が流れているのがみえた。
今日は、まるで初夏みたいな暑さだって。
明日はどうなんだろう。明日はどうなるんだろう。わたしに高い熱が出たらどうしよう。子どもたちに咳が出たらどうしよう。
きっと誰も助けてはくれない。
わたしたちでなんとかしなくちゃ。
ちがう。わたしがなんとかしなくちゃ。

とても疲れていたんだと思う。
不安で、心細くて、そのせいで視野がせまくなっていたんだなって、いまならわかる。
でも、そのときはわからないまま、ずぶずぶと思考が沈んでいって、息が苦しかった。

tofubeats の「水星」を聴いた。
いいなあ、いいなあ。わたしも足元の重力をべりべり剥がして、めくるめくミラーボールに乗って、水星のあたりまで旅に出たい。
シティポップは、夢みたいに軽やか。
いまのわたしは、現実の重みを生きている。

その重みを引き摺りながら、また元の日常の位置を目指して、今日も一日、明日も一日、進んでいかなければならない。
進んでいるようで、おなじところをばかりをぐるぐると回り続けているような気がして、途方に暮れてしまっても。それでも。

病める時も健やかなる時も。
わたしたちは生きていかねばならない。

また、元の位置に戻れる日が来たら。
そのときは、重いもの全部ほっぽりだして、LEDのライトが満天の星みたいに瞬く街で、人工的な色の甘いものが食べたい。
おしゃれで、かわいくって、写真映えして、なんの栄養素も含まれていないような。
そんな、ひたすら甘い、甘いもの。


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