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[5] 少年ショパンの音楽
ショパンが少年時代に作曲した曲をご紹介します。
おとなになってからの作品群に比べると拙いのかもしれませんが、少年ショパンの音楽もキラキラしてステキなのです。パリ時代の有名曲しか知らなかったわたしは驚きました。
(1)『ドイツ民謡 「スイスの少年」による変奏曲 ホ長調 KK.IVa/4』
シャファルニャ旅行で生まれた曲です。
山のてっぺんで新鮮な空気を吸って自然の中にいるような爽やかさがあります。ショパンの曲で『爽やかな』…という感想は珍しいのではないでしょうか!?
是非、下記のリンクから聴いてみてください!
この曲は大好きなので、楽譜の音符を眺めるも楽しいです。
![](https://assets.st-note.com/img/1719730479419-xePXJzIvGT.jpg?width=800)
(2)「4手のための変奏曲~ムーアの歌の主題による」
この曲の名前は、1824年夏の手紙にも出てきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1719731417625-sZFRoRLsMi.jpg?width=800)
お父さん、ブジェジーナで『4手のピアノフォルテのためのムーアの歌の変奏曲(リース版)』を買って来てください。
実は、1824年8月10日付の手紙で、音楽の記載はこれだけなのです!手紙の前半は「パンが食べたい!」とあれだけ熱弁してるのに!ワルシャワの神童は、ピアノ漬けの生活ではなかったということですね。
さて、音楽に詳しい人なら問題ないかもしれませんが、わたしは詳しくありません!手紙に出てきた音楽用語がよくわからないので、ひとつずつ確認していきます。
用語解説
『ブジェジーナ』ショパンお気に入りの楽譜書店。ショパンの楽譜もこの店で販売されます。アイドルのようにショパンの肖像画を配布する計画もあったとか!?
※アントニ・ブジェジナの本屋(ショパン研究所)
『4手』の『ピアノフォルテ』のための
連弾のこと。英語では『four handed performance (on the piano)』。一台のピアノを2人・4本の手で弾くという表現ですね。
でもね、私はその言葉を聞いたとき、4本の手がタコのようにゆらぐ絵面が浮かんで笑ってしまいました。
ピアノフォルテは、18~19世紀のピアノの呼び方です。
大きい音(フォルテ)と小さい音(ピアノ)が出るのが語源。という事は、それ以前、バッハの頃の鍵盤楽器は音の強弱が出せなかったんですね。
※参考:ピアノwikipdeia(日本語)
『ムーアの歌、リース編曲』
トマス・ムーア(Thomas Moore 1779-1852)
アイルランドの作家、詩人、作詞家。古い民謡に英語の歌詞を乗せた歌曲集を作りました。19世紀のヨーロッパで大ヒット。さまざまな編曲で演奏されました。
フェルディナント・リース(Ferdinand Ries 1784-1838)
ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。ベートーヴェンのピアノの弟子。
10代ショパンが好んだ作曲家のひとり。
変奏曲って何?
最初の旋律と、それを元にした新しい曲の違いを楽しむ
さて楽曲のことはさっぱりだったのですが、とても分かりやすいサイトがありましたので、引用しながらご紹介します。
しろくろ猫さんの記事:『ショパンの連弾曲「ムーアの民族的な歌による変奏曲』難易度と弾き方 によると…
ムーアの主題、と謳ってはいませんが、「ヴェニスの謝肉祭」としていろいろな楽器で演奏されるメロディーです。
ムーアという人が編曲して発表したのでこの名前になっていますが、もともとはヴェネチア民謡「愛しいお母さん」だったり、アイルランド民謡として発表されていたり、とにかくポーランドでも親しまれていたテーマだそうです。
https://shirokuroneko.com/archives/11194.html
ふむふむ。
この動画の最初のメロディが『ムーアの歌』なんですね!
そして下のyoutube動画が16歳ごろにショパンが作曲した、『4手のための変奏曲』。
上記の『ムーアの歌』がどういう風に出てくるのか、気を付けて聴いてみます…
あれ??全然違う曲じゃないですか!!
暗くて陰鬱な感じで始まった…
と思っていたら、ぽろりんぽろりんとカワイイ感じの曲に変わり、1分26秒あたりから「ムーアの歌」が始まりました!その同じメロディを繰り返しながら、周りの音が陽気になったりショボンとしたり、どんどん変化していきます。
なるほど!これが「〇〇の主題による変奏曲」なのですね。
解説に感謝です!!わかると聴き方が変わります。
![](https://assets.st-note.com/img/1719740630926-ptstvQUzgV.jpg?width=800)
19世紀は、みなが知ってる曲に歌詞を乗せたり、アレンジして変奏曲を作ることが流行ってました。
ムーアの歌はポーランドでも知られていたので、ショパンもみんなで楽しもうと楽譜を取り寄せたのでしょう。
その後、自分でも同じメロディを使って連弾曲を作ります。連弾曲は1曲しかありませんが、同じテーマの変奏曲はもう1曲ありました。(※参考:ショパン :変奏曲「パガニーニの想い出」 イ長調)
録音機器も著作権もない時代です。人前で繰り返し演奏された曲が残るのです。ひとつのメロディがさまざまな言語や内容の歌、楽曲に形を変えて、元の作品がわからなくなることもある。しかし聴く機会がなければ忘れ去られてしまう。この過程は興味深いです。
ムーアの歌は有名になりましたが歌詞を失い元のメロディだけが残りました。リースの編曲版は忘れられました。ショパンがムーアとリースに影響されて作った連弾曲も未発表曲のまま忘れられ『かつて存在したが題名しか残っていない曲』となります。
ショパンは未発表曲の楽譜を燃やして欲しいと遺言していたため、子どもの時の習作など、失くしても構わない曲だったのかもしれません。また、その後の戦争で、ワルシャワの街が破壊された際に、楽譜が焼失した可能性があります。
しかし、約140年後の1965年に、自筆譜が偶然発見されたのです!作曲家の意志に反する形かもしれませんが、楽譜の欠けた部分を20世紀の作曲家が補筆し、出版されました。
※参考:4手のためのT.ムーアの主題による変奏曲 ニ長調 (WN 5)(ショパン研究所・英語)
![](https://assets.st-note.com/img/1719812893171-DrwZkpwyYi.jpg?width=800)
【あとがき】
ショパンの手紙の背景を調べて
一世を風靡したが忘れられる作品もあれば、再発掘される作品もあります。人も同じです。
多くの研究者、演奏者、ファン。そんな知らない方々の情熱と本と、インターネットのおかげで、私ははじめてショパンの音楽を聴き、興味を持つようになりました。
現在では、世界中の情報や図書館にアクセスでき、200年以上前の曲や人々の人生を調べることが可能です。どんな時代の人でも、馴染みのない文化の人でも、天才でなくても、大切にしていたものがあります。
その発見の驚きや喜びを他の人にも伝えたいと思うでしょう。伝えるにはスキルと情熱が必要ですが、私もその情熱を傾けたいと思います。価値を感じる人が増えれば、再評価の動きが高まっていく。不思議な縁だと感じます。
![](https://assets.st-note.com/img/1719812907835-IS2fhILTfZ.jpg?width=800)
『1824年の夏の手紙』の調べものはこれで全部です。
お読みいただきありがとうございました。
コメント欄に一言いただけると嬉しいです。
次は、ショパンの親友、忘れられたヤン・ビャウォブウォツキについて調べたことをご紹介したいと思います。
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