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きっかけとなった、「嫌われる勇気」

こんにちは。
スクラムヒューマンパワー代表 日原 達仁です。

私の記事を読んでいただいて、ありがとうございます。

5年前、私は激しい喪失感にかられ、自暴自棄の状態が続きました。
耳鳴りや不眠、食欲不振、腰痛、のどの痛み・・・
身体的にも耐えがたい症状から精神科の病院に3回入院しました。

2度目と3度目の入院期間に、電気痙攣療法を行いました。
3度目の入院時に、偶然ある本を手にしました。
その本には劣等感について、書かれていました。

「嫌われる勇気」著者岩見一郎さん/古賀史県さん

その本を繰り返し読むうちに、私の気持ちは徐々に軽くなっていきました。

環境は自分で変えることができるんです。

「もう変わることができない」なんて決めつけ、
周りのことばかり気にしている自分がいました。
本には、「あなたは変われないのではありません。
人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われます。
あなたが変われないでいるのは、
自らに対して変わらないという決心を下しているからなのです。」
と書かれています。

変われないという思考は、実際に大きな影響力を持っています。
不満な気持ちもあるでしょう。他者を見て、
あんな境遇に生まれたかったと思う気持ちも出てくるでしょう。
けれども、そこで終わってはいけないのです。
問題は過去ではなく、現在の「ここ」にあります。
この先どうするのかはあなたの責任なのです。

人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われます。
変われないとしたら、それは自らが「変わらない」
という決心を下しているからです。

もちろん口では「私は変わりたい」と言うかもしれません。
けれども、本心では、少しくらい不便で不自由なところがあっても、
いまのまま変わらずにいるほうが、楽であり、安心なのです。
人が変わろうとするとき、大きな“勇気”を試されます。

変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。
「変われない」人は後者を選択します。
「変わろうとする勇気」・「幸せになる勇気」が
大切であることに気づかされました。

では、変わるにはどうすればいいでしょうか?
「 誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい」んです!

ただ今を生きるんです!神道的な表現で、すとんと腑に落ちました。

私たちは他者と自分を引き比べてしまいがちです。
劣等感は、他者との比較から生まれるように感じます。
しかし、健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものなんです。
性別、年齢、知識、経験、外見…われわれは誰しも違っており、
まったく同じ人間など、どこにもいません。
他者との間にちがいがあることは事実ですが、
「同じでないけれど対等」なんです。

いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるんです。
対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、
不幸から逃れることができません。

そしていくら自分が正しいと思えた場合であっても、
それを理由に相手を非難しないようにしましょう。
それは「わたしは正しい。すなわち相手は間違っている」と思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に
移ってしまうからです。

「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」との
思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と
勝ち負けを争ってしてしまいます。
権力ではなく、権威が大切と感じました。
主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。
自分が正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、
そこで完結するべき話です。

ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。
だからこそ、「自分の誤りを認めること」を、
そのまま「負けを認めること」と考えてしまうのです。
負けたくないとの一心から自らの誤りを認めようとせず、
結果的に誤った道を選んでしまいます。

勝ち負けにこだわっていると、
私たちは正しい選択ができなくなってしまいます。
誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、
これらはいずれも「負け」ではないにもかかわらずです。
われわれは競争や勝ち負けの眼鏡を外してこそ、
自分を正し、自分を変えていくことができるのです。

私は、アドラー心理学に救われました。
アドラー心理学は、今のスクラムヒューマンパワーの根底にあります。

また折に触れてアドラーについてお話をしたいと思います。



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