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〜シルクロードの国〜 ウズベキスタン紀行
約3年ぶり、コロナ禍以降はじめての海外ひとり旅。
目的地に選んだのは中央アジアのウズベキスタンでした。
当初は欧州方面で検討していたのですが、以前に比べ航空券代がかなり高騰していること、ロシア上空を迂回して飛行するため所要時間が大幅にかかってしまうことから、第二候補であったウズベキスタンにしました。
シルクロードの中継地、美しいイスラム建築、モンゴル帝国の襲来くらいしか予備知識のなかったウズベキスタンですが、実際訪ねてみるとそれだけではないたくさんの魅力が溢れる国でした。
(今回は2023年3月に首都のタシケント→サマルカンド→ブハラ→タシケントを約二週間で巡りました)
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スザニと呼ばれるカラフルな刺繍や絨毯、その他様々なウズベキスタンの伝統工芸品が展示されており、建物に施された装飾やアラベスク模様のタイルも美しい。
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タシケントの地下鉄駅はそれぞれテーマがあるらしくデザインが凝ってて面白い。
いつか本場モスクワのが見たいけど、、、なかなか難しいですね。
ちなみに地下鉄のチケットが自動改札でよくエラーを起こしますが、都度近くにいる人が自身の定期券?をかざして助けてくれます。優しい!(ホントはダメだろうけど。。。)
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旧市街にある巨大なドーム型市場の周辺にも広大な市場が広がる。凄い規模そして凄い熱気!
そのあとは近くのハズラティ イマーム広場へ。
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タシケントから中央アジア唯一の新幹線“アフラシヤブ号”に乗って古都サマルカンドへ。
350kmの距離を2時間で移動するのにかかる料金はなんと1,300円!しかもコーヒーと軽食付き!
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サマルカンドを訪ねた最大の理由は三つの建物で構成された『レギスタン』。
中国の陶磁器とペルシャの顔料が融合して生まれた“サマルカンドブルー”のモザイクタイルに覆われた壮大な建築群の圧倒的な迫力と美しさに魅了されまくりでした。
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巨大なティムール帝国を築いたティムールとその親族、部下たちが埋葬されている『グル アミール廟』。 青のドームの内部は黄金の霊廟になっていました。
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ティムールゆかりの人々が眠る『シャーヒ ズィンダ霊廟群』が想像以上でした。
サマルカンドブルーに酔いしれたいなら絶対外せない場所。
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アフラシヤブ号で荒野を抜け西の古都ブハラへ。
WEBで予約していたハズの宿がなぜか予約できていなくて呆然としていたところ、通りがかった地元青年が他の宿を何軒かあたってくれてどうにか野宿せずに済みました。ホント感謝。。。
(Googleの会話翻訳にも助けられました!/日本語←→ロシア語)
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“ブハラ”というのはサンスクリット語で「僧院」を意味するらしく、かつてイスラム世界全体の文化の中心として繁栄していたらしいです。
ブハラの街は凄くのんびりしていて雰囲気がとても良いですが、砂漠の中のオアシス地帯にあるせいか3月でも日差しがとても強く水分補給がかかせません。
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かつてブハラを目指して砂漠を渡るキャラバンの道標になっていた『カラーン ミナレット』。
ブハラを破壊しつくしたチンギスハーンもこの美しい塔だけは部下に命令し残したそうです。
アルク城の帰りに満員の路線バスで運転手に目的地を伝えしばらく乗車していると、周りの乗客たちが一斉に「次の停留所で降りなさいよ」みたいなことを現地語で教えてくれる。ホントみんな親切!
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ブハラからアフラシヤブ号に乗って4時間かけて再び首都タシケントへ。
ウズベキスタン滞在最後の宿はタシケントにある憧れの「ホテル ウズベキスタン』。
ソ連時代から営業している老舗ホテルでかつてソ連高官らの定宿だったみたいです。
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第二次世界大戦後この地へ連行された旧日本兵457名とウズベキスタン人によって建てられた劇場。
市内の日本人墓地にはタシケント市民の強い要望でたくさんの桜の木が植えられているそうです。
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ピラフの原型ともいわれるプロフ、蒸し餃子のようなマンティ、野菜たっぷりのうどんのようなラグマン。
思ったよりクセがなく日本人でもとても美味しく感じる料理がたくさん。
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子どもの頃NHKの『シルクロード』という番組を今は亡き父とよく見ていたのですが、それから40年以上経っても巨大なイスラム建築や滅んだ都市や城の跡、社会主義国家の人々の様子など数々のシーンが強烈に記憶に残ってたりします。
今回訪ねたのは長大な交易路シルクロードにおいて極々一部のエリアではありましたが、その雰囲気を充分感じることが出来たんじゃないかと思います。
シルクロードのこと、イスラム教のこと、モンゴル帝国襲来のこと、三蔵法師のことなど当時の様子に思いを馳せながら(喜多郎のテーマ曲が頭の中で流れながら♪)の旅はとても楽しいものでした。
数々のイスラム建築ももちろん感動しましたが、行く前に全く想像していなかったのが、地元の人達がとても人懐っこくて要所要所で親切にしてもらったり助けてもらったりしたこと。これはホント感謝。
ウズベク語とロシア語以外なかなか通じないし、クレジットカードもほぼ使えないし、両替所自体なかなか無いし、新幹線乗るたびにパスポート&手荷物検査あるし、まぁ面倒くさい事だらけでしたが、それらを差し引いても余りある魅力(人、文化、歴史)に満ちた国だと思いました。
もし次回この国を訪ねることがあるなら、干上がりかけているアラル海跡の荒野に多くの錆びた漁船が打ち捨てられている光景など見に行きたいな〜♪
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