孤独死と後悔

どうも。東野京(ひがしのみやこ)です。

先日職場の方の親族が亡くなってしまいました。孤独死だったそうです。

同じタイミングで身内の親族も孤独死状態で発見されたという話が出てきました。

私には孤独死と聞くと思い出す人物がいます。それは私の祖母です。
今回の記事では祖母について記していきたいと思います。

祖母について

今回の記事で取り上げるのは母方の祖母についてです。

九州のとある島の出身らしい(私はその島を訪れた事がない)というのと、料理が得意ではなかったという事はよく覚えています。

編み物が得意で優しい人でした。

祖母と私の関係性

祖母にとってみれば孫は他にもたくさんいましたが、私はとても可愛がってもらっていたように思います。

単純に一緒に住んでいたからかもしれません。
もしくは伯父さんと伯母さん(×2)が祖父の連れ子だった兼ね合いで血の繋がった孫が私と妹だけだったからなのかもしれません。

私の父が亡くなったのが先か、祖父が亡くなったのが先かは正直記憶が曖昧です。

10歳にも満たなかったということもありますが、立て続けに親族が亡くなるという事態がショックだったのかもしれません。

祖父はアル中という言葉を体現するような人間でしたが嫌いではありませんでした。

祖父が亡くなった後、しばらくして祖母は一緒に暮らすようになりました。

祖父の死後も少しの間祖母は一人暮らしをしていたように思いますが、何か理由があって引き取ったんですよね。

転倒して骨折したのがキッカケで、一人暮らしだと何かあった時に大変みたいな理由だった気がします。

それから祖母が亡くなるまでの10年くらいの間、一緒に暮らしていました。

孤独死した祖母

私が高校生の時に祖母はなくなりました。

孤独死でした。
正確には孤独死ではないのかもしれませんが、私は孤独死だったと思います。

亡くなる間際、祖母は足腰が弱くなり床に伏している時間が増えていました。

いつも家族の誰かが声を掛けたり、用があれば祖母から声がかかったりしていました。

しかし、暫く祖母と直接話すことがないタイミングがありました。

単純に忙しかったこともありますし、私も母も朝早く出て帰りが遅かったという事もあるかもしれません。

扉越しに「行ってきます」や「ただいま」という声掛けだけで済ませてしまっていました。

そうした日々が続く中、祖母は人知れずその命を終えてしまっていました。

発見された時には死後数日経っていました。

死因は老衰でした。
特に事件性はないとして葬儀や諸々の手続きが進んでいきました。

後悔先に立たず

私は今でも後悔しています。
どうして祖母をきちんと看取ってあげられなかったのか?

私を可愛がってくれた人の最期に対する仕打ちがこれというのはあんまりではないか。

祖母が亡くなった時、私はショックで号泣しました。
祖母が亡くなった事がただただ悲しかったからです。

今思えば放置しておいて何を悲しんでいるのかという話ですよね。

忙しいというのは言い訳だと思います。
例えどんなに忙しかろうときちんと祖母に向き合わなければならなかった。

こうした自身の愚かさは年を重ねるごとに身に沁みていきます。

悔やんでも悔やみきれませんが、どうすることもできません。

どうか皆さんは私のような過ちを犯しませんように。

おわりに

振り返る度にそれなりに濃い人生だなと思います。
事実は小説より奇なりとはよく言いますが、作り物よりも作り物めいた人生ですね。

最後までお目通しいただき、ありがとうございます。

また何処かでお目にかかれたら幸いです。

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