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九州一周旅行記

9/4〜9/9で、5泊6日の九州一周旅行に行ってきた。

友人に「旅行記を書くから見てくれよな」と伝えたところ、「お前のnoteなんて誰が見んねん。」と言われて阿蘇山のように噴火しそうになったが、折角素晴らしい旅行になったのだから記事に残しておかなければ勿体ないと思い、noteを書くことにした。

noteを書く際、普段の自分ならばクソくだらないボケを連発して文章を無理矢理引き延ばして内容の薄さを誤魔化しているが、今回は5泊6日の大旅行の旅行記ということでかなり内容が分厚く、そんなことをしていてはとんでもなく長い記事になってしまうので、今回はボケ無しで行こうと思う。


1日目(羽田〜長崎)

朝8時、近所の子供の慟哭で起床。非常に目覚めの悪い朝であった。

羽田空港を出発し飛行機に乗ること約2時間、長崎空港に到着。旅が始まった瞬間である上に、自分にとって九州初上陸の瞬間でもあり、非常に興奮した。

長崎空港着。写真が異様に青いのは、窓下にある窓の明るさ調整ボタンを押したから。
最近の飛行機の窓は、カーテンで遮光するのではなく、ボタンで光を調整するらしい。

長崎空港は大村市というところにあり、長崎市からは数十キロ離れている。空港から長崎駅行きのバスに乗り、揺られること1時間。長崎駅ではなく、1駅手前の浦上駅前で下車。駅のコインロッカーに大荷物をぶち込み、長崎観光を開始した。

長崎の観光スポットは、主に浦上駅北部と長崎駅の南部の2エリアに分かれており、平和記念公園、原爆資料館、浦上天主堂等は浦上駅北部、大浦天主堂、グラバー園等は長崎駅南部にある。1日目に浦上駅周辺を観光し、2日目に長崎駅周辺を観光するという計画で長崎をまわることにした。

浦上天主堂。原子爆弾の投下で、爆心地から至近距離にあった為全壊したが、1959年に再建されたとのこと。

まず訪れたのは、浦上天主堂。有名な建造物なのに入場料が無料だったので驚いたが、聖なる神が居られる場所ということで内陣への立ち入りは禁止されており、入口付近から中を見渡すことしか出来ないとのことだった。

浦上天主堂はゴシック様式の建物で、色とりどりのステンドグラスが使われておりとても綺麗だった。中の様子を撮影したかったが、撮影禁止の貼り紙があったので断念。撮影に加えて飲食や帽子の着用まで固く禁止されており、長崎キリシタンの信仰の深さが伺えた。

その後訪れたのは原爆資料館。面白い展示が観れるような場所では無いことは分かってはいたが、日本人なら一度は訪れるべきだと思い、訪問した。

まず驚いたのが入場料の安さ。大人は200円、子供は無料で入れるとのこと。この入場料をみても、お金儲けではなく、原爆の惨禍を後世に伝える為に資料館が建てられたということがよく分かった。

中に入ると痛ましい展示物の数々。原爆投下時刻の11時2分で止まった時計、焼死体の写真、放射線と爆風の威力を表す家具や手紙など、当時の人々の叫び声が聞こえて来そうなリアルな展示物が陳列されていた。どれも印象的な展示物ばかりだったが、特に印象に残ったのは、とある女性の手記。「熱線によって全身の皮膚や肉が焼け落ち、曝け出た肋骨から飛び出た心臓が鼓動するのが見えた。」という文章は、どんな優れた小説家にも出せないリアリティを孕んでおり、訪問から2週間以上経った今でも脳裏に焼き付いている。

原爆資料館は、「この悲惨な出来事は後世まで語り継がれなければならない」という強い思いを持った原爆の被害を受けた人々やその遺族が、家具や手紙などを展示物として持ち寄り、原爆投下のわずか4年後に設立された。本来ならば大切に自宅で保管しておきたいであろう家族の遺品なども、原爆投下の歴史を後世に伝えるのに少しでも貢献できるならという思いで、寄贈した人もいる。彼らの思いを無下にしない為にも、是非とも一度は原爆資料館を訪れ、原爆の悲惨さを胸に刻んで頂きたい。

平和祈念像。ひろゆきに似ている。
原爆投下の日付、時刻が書かれている

原爆資料館を訪れた後は平和公園を訪問。平和を祈る様々なモニュメントが建てられていた。

公園付近にある評価の高い中華屋さんで長崎ちゃんぽんを夕食に食べようと思い、お店の開店時間まで平和公園を散歩して待っていたが、何故か営業開始時刻になってもそのお店が開かず、断念。結果リンガーハットで済ましてしまった。

100万ドルの夜景
展望台と夜景

リンガーハットで爆食いして店を出ると、良い感じに日が沈んでいた。長崎は、上海、マカオと共に世界三大夜景都市に指定されており、これは夜景を見ずに帰るわけにはいかないと思い、稲佐山展望台に登り、100万ドルの夜景を堪能して来た。東側の景色は写真のようにとても綺麗だったが、西側は見渡す限り山で、夜景もクソも無くて面白かった。あまりにも山しか無さすぎて写真を撮らなかったのが悔やまれる。

ロープウェイで下山し、1日目の行程は終了。路面電車で新地中華街近くのネカフェに向かい、宿泊。

長崎の路面電車
ネカフェで長崎名物カステラとポテトという謎の組み合わせを食べながらザコシの動画を見る筆者

ネカフェの宿泊は人生初で、どんなものかと思っていたが、ソフトドリンクは飲み放題、ネットは使い放題で、しっかり横になって寝ることも出来て超快適だった。それでいて2000円程で泊まることが出来るので、これから旅行に行く際はネカフェを使いまくろうと決心した。

2日目(長崎〜博多)

朝6時、隣の部屋のおじさんのクソデカいびきで起床。2日連続目覚めの悪い朝となった。

眼鏡橋。水面に橋が映ることで、遠くから見るとメガネに見える。
川沿いの石壁にあるハートストーン。血眼になって探した。

朝早すぎて著名な観光地はどこも営業していなかったので、ネカフェ近くを散策。真っ黒い服を着た筆者が1人で血眼になってハートの石を探している様子は、長崎市民からすればさぞ奇妙だっただろう。

そうこうしているうちに観光地の営業開始時間になって来たので、散策をやめ2日目の行程を開始。まず始めに、出島の和蘭商館跡を訪れた。

右手前の建物はオランダ商館長の屋敷。商館員はここに集まって食事をしていたらしい。その奥は帳簿管理をする書記長の屋敷。
手前に三つ並んでいるのは蔵屋敷であり、砂糖を中心とした輸入品を保存していた。一番奥が船長や商館員の屋敷。

江戸時代初期、日本はスペインやポルトガルと積極的に南蛮貿易を行っていたが、キリスト教の布教が進み幕府がブチ切れたことで国交は断絶。ペリーのおっさんがやってくるまでの200年間、日本は鎖国状態となってしまった。

しかし完全に外国との国交を断絶した訳ではない。中国、オランダの2カ国に限り幕府の管理のもと貿易が行われていた。そこでオランダとの貿易の窓口になったのが、ここ出島なのである。輸入品、輸出品を保存する蔵だけで無く商館員や船員の住まいまであり、オランダ商人達はここで生活しながら貿易を行なったそうだ。

いやキリスト教が嫌いならオランダとも貿易したらアカンやろって思ったが、スペインやポルトガルは布教を前提としたカトリックの国だったのに対し、オランダは布教を前提としないプロテスタントの国で、キリスト教の影響を受けることなく純粋な貿易が出来るので、認められていたとのこと。

当時使われていた建物自体は流石に遠の昔に無くなってしまったが、2000年に建物の復元工事が開始され、現在の和蘭商館跡が作られたそうだ。建物の中では様々な資料が展示されており、当時の雰囲気を肌で感じられるだけで無く、オランダとの貿易の歴史についても学べる。穴場スポットだが、非常にオススメの場所である。

オランダ坂。洋風の建物達が坂に沿って建てられていて風情があった。その建物達の写真を見せろ?撮り忘れたわボケ。
大浦天主堂

出島を後にした筆者は、洋風の建物が立ち並ぶオランダ坂を経由して国宝の大浦天主堂へ向かった。入場料は1000円とお高めだったが、折角長崎に来たのにここに入らないと、もったいないおばけが出ると思い意を決して入場。

大浦天主堂も、浦上天主堂と同じくゴシック様式の建物で、色とりどりのステンドグラスが綺麗だった。しかし中は撮影禁止で、綺麗な内装を写真におさめることは出来なかった。ただこんなクソ長い文章をここまで読んでくれた皆様に内装を見せられないのは非常に心苦しいので、公式サイトからパクってきた写真をお見せします。

内装。写真は公式サイトより引用。
同じく公式サイトより引用

ステンドグラスが綺麗なのは勿論だが、この独創的な形の天井も美しい。これはリヴヴォルト天井と呼ばれるもので、この形状と天井の高さは、祈りの心が高く上がり、神に届きますようにという願いが込められているそうだ。

天主堂を出るとすぐそばにキリシタン博物館があった。1000円という入場料にはキリシタン博物館への入場料も含まれており、追加料金無しで入場出来た。

キリシタン博物館では、日本におけるキリスト教の歴史や、果敢にも布教を試みた外国人宣教師の人物伝などが展示されていた。宣教師が日本から追放され不在の中、厳しい弾圧に屈することなく信者達だけでキリスト教を守り抜いた日本人キリシタン達の壮絶な歴史を学び、今では当たり前となっている信教の自由が獲得されるまでには多くの血が流れたのだということを再確認させられた。

旧グラバー邸

その後訪れたのはグラバー園。そもそもグラバーって誰やねんって話だが、グラバーはスコットランドの商人で、幕末に日本にやって来て武器商人として活躍した。明治維新後は造船業や炭鉱業を営み、日本の近代化に大きく貢献したそうだ。

彼は観葉植物を好んでいたらしく、邸内には彼が持ち込んだ植物の子孫たちがたくさん展示されていた。自分は東京拘置所の独房みたいな殺風景な部屋に住んでいるので、緑に囲まれた暮らしを送っていたグラバー氏を羨ましく思った。

ちなみに、グラバー園にはグラバー邸以外の西洋式建物や、綺麗な植物園もあったのだが、写真を撮り忘れてしまったのでここでの紹介は割愛させて頂く。

長崎ちゃんぽん

グラバー園を後にした私は、デカ荷物が眠っている浦上駅へ路面電車で向かい、駅の近くにある梁川飯店という中華料理屋で長崎ちゃんぽんを食べた。

本場のちゃんぽんを食べた感想だが、死ぬほど美味かった。今まで、ちゃんぽんなんてラーメンの下位互換やろなんて思ってた部分もあったが、野菜が香ばしくシャキシャキしていて味の主張が強いところや、スープがこってりでもあっさりでもないクリーミーなところなど、ラーメンと大きく異なる点は多々あり、下位互換なんかでは無いことがよく分かった。機会があれば再訪したい。

駅に戻り、デカ荷物と感動の再会を果たした後は長崎本線に乗車。長崎本線と鹿児島本線を乗り継いでひたすら東へ向かう。

肥前浜駅に停車中のキハ47。長崎本線は2022年9月に長崎〜肥前浜間の非電化化が行われ、気動車が走るようになった。
鉄オタ的には電車より気動車の方が風情があって好きなので、嬉しいニュースであった。
長崎本線キハ47の車内。窓が開く、座席が対面、気動車独特のエモい揺れ方をするの三拍子が揃ってて最高。
門司港の夜景
門司港駅。東京駅と共に重要文化財に指定されている。
エモいホーム。

博多で宿泊する予定だったが、博多をすっ飛ばしてさらに1時間ほど電車に揺られ、門司港駅に到着。長崎から5時間の道のりであった。博多へ折り返す電車が来るまでの1時間半、レトロな街並みを楽しんだ。

門司港駅前の広場では噴水が出るらしく、着いた時「間も無く噴水が出ます、ご注意下さい」という放送が流れていたので、出るまで待ってみようと思った。しかし15分ほど待っても放送が流れてるだけで一向に噴水は出なかった。意味不明である。

博多一双

その後博多に引き返し、博多一双のラーメンを食べた。

本場のラーメンの味がどんなものかは分からないが、本場の味って感じがする味だった。スープがクリーミーさを感じるレベルでコテコテで、チャーシューの脂もたっぷり乗ってた。私にとっては物凄く好きな味だったが、ラーメン初心者の外国時観光客とかにはちょいキツイかもしれない。

その後博多駅近くのネカフェに直行し、爆睡した。

2日目の移動経路

3日目(博多〜鹿児島)

午前6時、自然に目が覚めた。この旅行で初めて目覚めの良い朝を迎えた。

一杯600円と安い。美味かった。
博多駅の立ち食いラーメン屋

7時前に博多駅に向かい、朝食。駅に立ち食い蕎麦屋があるのは珍しくないが、立ち食いラーメン屋があるのは恐らく博多駅だけだろう。流石ラーメンの本場である。

ラーメンを食べ終わると、向かいのホームに乗る予定の列車が止まっていた。7時31分発宮崎空港行きの、にちりんシーガイア号。私にとって3日目のメインイベントである。

にちりんシーガイア号として走る787系@博多駅

にちりんシーガイア号は博多から日豊本線経由で宮崎空港まで向かう特急列車で、停車駅数は23駅、走行距離は413km、走行時間は5時間半と、日本の昼行特急の中で最長である。東海道本線で言うと、東京から岐阜県の大垣くらいまでの距離なので、それはもう凄い距離である。

グリーン個室で寝そべる筆者
全貌

今回私が乗ったのは、1編成に1部屋しかないグリーン個室。鍵付きの完全個室で、椅子とテーブルだけで無く、寝っ転がれるソファーまであり、5時間半の長旅でも快適に過ごせた。

jr九州の料金表

こんだけ快適な設備ならさぞお高いんでしょと思うかもしれないが、jr九州のグリーン料金のリーズナブルさを侮ってはいけない。博多から宮崎まで乗り通す場合、乗車賃の7370円、特急料金の2300円に加えてグリーン個室料金の8380円の合計18050円で乗れる。

これだけ見ると「別にそこまで安くないじゃん」って思うかもしれないが、なんとこのグリーン個室料金、1人あたりではなく1室あたりの料金なのだ。グリーン個室は最大4人まで乗ることができ、4人で乗った場合グリーン個室料金は、8380÷4でなんと1人あたり2095円になる。これは普通のグリーン車の料金4190円の半分だ。

まぁ私は1人で行ったので8380円払ったのだが。ただ最長特急の個室とかロマンしかなくそれくらい払ってでも乗りたかったうえ、期待以上の快適な旅が出来たので悔いはない。

これが普通のグリーン車。これよりも大幅に安い値段で乗れるってどゆことデス=ロヨラ?

ちなみに2023年4月に大幅値上げする前は、グリーン個室料金は1室あたり5140円だった。値上げ後でも十分安いのに、値上げ前のこの値段設定はもはや狂気と言っていいたろう。

津久見駅付近にて。ええ車窓や。
宗太郎峠越えの様子。この区間は片道1日1本しか列車が来ず、日本一早い終電(朝6時半)があることで有名である。


午後1時、宮崎空港の6km手前の宮崎駅で下車。昼食に地元の定食屋でチキン南蛮を食した。写真?ねーよ。

昼食を済ませ宮崎駅に戻り、西都城行きの電車へ。日豊本線を鹿児島方面に乗り継ぎ、17時半、鹿児島中央駅に到着した。

3300円。左にある6種類の塩をかけて食う。

鹿児島のしゃぶしゃぶといえば「あぢもり」が有名だが、あいにく定休日だったので、駅前の寿庵というしゃぶしゃぶ料理屋へ。もっちりした黒豚と、出汁が効いた旨みたっぷりの鍋スープとの相性が最高だった。

写真左手にある塩は、単なる塩に加え、カレー風味の塩、ローズマリー風味の塩など合計6種類の塩があった。変に味付けされた塩なんてかけたら黒豚の美味しさが台無しになるだろと最初は期待しなかったが、風味は強すぎず程良く香る程度で、塩味はしっかり効いており、思いの外美味かった。-200円で塩をつけずに食べることもできるが、寿庵を訪れた時は塩付きのメニューを頼むことを推奨する。

ちなみにしゃぶしゃぶの後にあんこ餅のようなデザートが出されるのだが、ビックリするくらい美味いので、お楽しみに。

その後、徒歩で天文館通りのネットカフェに行き、爆睡。

3日目の移動経路。総移動距離はなんと540km。

4日目(鹿児島〜熊本)

朝4時、起床。始発列車で指宿枕崎線に乗車し、枕崎線往復の旅を開始。

もっと遅い便があればありがたかったのだが、4時48分鹿児島中央発の便を逃すと、枕崎で折り返して鹿児島中央に着くのが、10時17分の予定が17時9分になってしまい、鹿児島観光が一切出来ずに宿泊予定地の熊本へ向かう羽目になってしまうので、頑張って早起きした。

朝6時の山川駅で列車を待つ地元の高校生達。薩摩板敷で全員降りたので、鹿児島水産高校の生徒と思われる。

上の写真は、鹿児島中央と枕崎の中間地点の山川駅で撮影したもの。言葉にできないエモさがあり、個人的に気に入ってる写真である。

指宿枕崎線の本数が少ない関係で、朝6時11分発の便に乗らないと高校に間に合わないとのこと。朝早すぎて十分な睡眠を取れなかったのか、ほぼ全ての生徒が車内で爆睡していた。

乗客は、僕ともう1人の鉄オタのおじさん以外全員鹿児島水産高校の生徒達だった。ローカル線あるあるだが、沿線に住む大人達は基本的に車を使い、小中学生は徒歩圏内の学校に通うので、列車内は高校生で溢れかえりがちなのだ。

山川以南はキハ40と呼ばれる気動車が運用されている。キハ47と並んで個人的に一番好きな車両


枕崎駅に停車中のキハ40

朝7時過ぎ、南の始発駅である枕崎駅に到着。本州最南端の路線の終着駅ということで、鉄オタならば一度は訪れておきたかった。

ちなみにこれは北の終着駅稚内に訪れた時の写真(2019.7)

特に枕崎では見るものが無かったので、到着後すぐに折り返した。指宿まで向かい、砂蒸し風呂を堪能しようと思ったが、その前に1つ訪れておきたい駅があった。その名も

本州最南端の駅、西大山駅である。枕崎が最南端なのではないかと思われるかもしれないが、枕崎線は線路が曲線型になっており、緯度が最も低いのは西大山駅となっている。

本州最南端ってだけで特に見るものもないので、次の列車が来るまでの35分、ぼーっと待ってた。

待つこと35分、列車が到着。雄大な開聞岳をバックに一枚。


ちなみにこれは本州最北端の碑(2019.7)

西大山から20分ほど列車に揺られ、指宿に到着。枕崎線の中で仲良くなった鉄オタのおじさんと、指宿名物砂蒸し風呂に入浴しに行った。

砂蒸し風呂(鹿児島県観光サイトから引用)

砂蒸し風呂は、体に砂を掛けて、温泉が眠っている地面からの熱と、その熱によって温められた砂の熱で体を暖めるという入浴方法だ。寝ている体勢で血液が循環しやすい、砂の圧力で心臓から送り出される血液の量が増える、砂が55度前後と高温で強い発汗作用が期待できるなどの理由から、普通の温泉の3〜4倍の効能があると言われている。

入浴した感想だが、大量の汗をかき、老廃物が体から抜けきってフレッシュな体になったような感覚だった。通常温泉に入った後は、ボーッとリラックスして気持ちよくなるが、それとは違うシャキッとした気持ちよさがあった。

左手の小屋の中に砂蒸し風呂があった。中の撮影は禁止だったので外からの様子を撮影。

その後鹿児島に戻り、昼食。昨日行けなかったあぢもりへ行き、ロースとんかつを食した。本場の黒豚を使っているだけあってめっちゃ美味かった。

本当は二連続しゃぶしゃぶを決めたかったが、残念ながらしゃぶしゃぶは予約いっぱいで食べられなかった。それでもとんかつが美味かったので満足。

その後フェリーで桜島へ。往復400円という超安値で行けた。桜島観光については特に書くことがないので、もう次に行きます。

その後鹿児島中央に戻り、宿泊予定地の熊本へ向かった。そして到着して就寝した。

いや昼食後の行程雑すぎだろって思ったかもしれないが、ガチで書くことがなかったので許してくれ。

4日目の移動経路

5日目(熊本〜大分)

朝7時、熊本駅を発車。豊肥本線に乗って阿蘇まで向かう。本来なら阿蘇駅からバスでレンタサイクル屋へ向かい雄大な国立公園の中をサイクリングする予定だったが、なぜかレンタサイクル屋が音信不通になり予約ができなかったので断念。阿蘇火口線バスに乗り、草千里と中岳を徒歩で観光することにした。下に写真を貼りまくったので、見ていってくだせぇ。

阿蘇駅
大自然を前に黄昏る同行者。彼とは熊本駅で合流した。
草千里
草千里2
中岳
中岳2
中岳3


あか牛丼(2700円)

火山の大噴火によって生み出された壮大なカルデラ。噴煙を上げる中岳の火口や、遥か彼方まで広がる草千里と呼ばれるなだらかな草原はあまりに美しく、この星に生まれて良かったと思わせるものだった。写真だけでは阿蘇の雄大さを十分に感じられないと思うので、是非とも実際に行ってみて頂きたい。

阿蘇を4時間ほど歩き回った後、阿蘇火口線バスで阿蘇駅に戻り、豊肥本線で大分方面へ向かった。

途中の豊後竹田駅。夭逝の天才音楽家滝廉太郎の地元である。この駅では列車が到着する際、滝廉太郎の代表作である荒城の月が流れるのだが、1952年よりこの曲が使われており、なんと日本初の接近・発車メロディなのである。今はどこの駅でも流れている駅メロだが、起源はこの豊後竹田駅なのだ。

19時前に大分に着き、大分ラーメンなるものを夕食に食べた。

大分駅付近のの食堂にて。あっさりめの豚骨ラーメンって感じで今まで食べたことのないような味だった。

隣に座っていた常連と思われるマダムが店のご主人と楽しそうに会話していた。声のデカいオバハンやなと思って聞いていたのだが、突然話題は「旦那が医療ミスにより死んだ」という暗い話へ。大阪で暮らしていたらしいが、この悲しい出来事から立ち直るために、心機一転大分へ移住してきたとのこと。明るく振る舞っていたマダムだったが、この明るさは傷ついた自分を守るための明るさだったのだろうか…心が痛んだと共に、ひたむきに生きようと頑張るマダムの強さに心を打たれた、そんなディナータイムだった。

ネカフェ向爆睡定期。

6日目(大分〜羽田)

長かった旅行もついに最終日を迎えた。朝9時に大分駅を出発し、電車に揺られること10分、別府駅に到着。日本一の湧出量を誇る別府温泉を観光。

別府駅。到着の際「別府〜別府〜別府〜、ご乗車ありがとうございました、別府、別府です」と5回も駅の名前を呼ぶ特徴的なアナウンスが有名。


泥風呂

まず訪れたのは鉱泥温泉という泥混じりの温泉。午後は浴槽の清掃をする為、朝8時15分から昼の12時までという非常に短い間しか営業していない珍しい温泉であった。

入湯料900円を払い中に入ると、番頭のおばちゃんが入用方法を説明してくれた。まず初めに泥風呂の隣にある普通の温泉に軽く入って汗を流し、その後泥風呂に浸かる。5分程したら一旦上がり、休憩スペースで体を休ませてからまた入浴する。これを3回程繰り返すのが正しい入浴法らしい。

また、泥風呂というと、ドロドロとしていて顔に塗りたくったりする印象があるかもしれないが、鉱泥温泉の場合、温泉に砂に近い泥が溶け込んでいるようなサラサラとしたお湯で、顔に塗ったりすると目に泥が入って危険なので、やってはいけないらしい。

説明もそこそこに、いざ泥風呂へ。裸の男達が一切に露天風呂へ躍り出る。

泥風呂に浸かることわずか3分、体がのぼせてきたので休憩スペースへ。お湯自体は普通の温泉のようなちょい熱めくらいの湯加減だったが、体が温まるスピードが尋常じゃなかった。3分しか入浴していないのに熱中症寸前レベルまで体が温まり、体がある程度クールダウンするまで休憩した結果10分以上も休憩してしまった。その後も3分入浴10分休憩のペースで入浴を繰り返し、脱衣所へ帰還。

どうやらこの温泉、効能があまりに強い為小学生以下は入湯禁止らしいが、それも納得出来る効能の強さだった。自分は日本中の温泉に入ってきたが、一番体が温まった温泉はどこかと聞かれたら、ここだと答えるだろう。

温泉で体を温めた後は、別府名物地獄めぐりへ。7つの地獄を巡るのに2200円払わなければならないが、ネットで「地獄めぐり 割引券」で検索すると割引券のpdfが表示され、それを見せると200円の割引が適用される。つまりスマホさえ持っていれば誰でも正規料金より200円安く地獄巡りが出来るのだ。良いかい、搾取されたくなければ情報を得るんだぞ??

鬼石坊主地獄。多分先程の泥風呂と同じ源泉
かまど地獄
海地獄。国指定名跡


鬼山地獄。右端にチラリと写り込んでいるが、ワニが住んでいる。ワニがたくさん写っている写真を見せろ?ねーわ。
白池地獄。国指定名跡。
血の池地獄。国指定名跡。
龍巻地獄。3.40分おきに水が噴き出す面白い地獄。最初人口的に水を噴出させたりさせなかったりしているのかと思ったが、自然現象らしい。なぜそのような現象が起きるかは写真に写っている説明文を読んでもろて。

7者7様の雰囲気を醸し出す地獄達はどれも見応えがあった。ちなみにこれらの温泉が地獄と呼ばれる理由だが、1000年程前、別府では大量の熱湯や噴気が噴出しており、近寄ることの出来ない忌み嫌われた土地とされていた。そのことから人々はこの地を地獄と呼ぶようになったそうだ。

日本一の温泉地を堪能した後、大分駅まで引き返し、大分空港行きのバスへ乗車。いよいよ旅の終焉が訪れてしまった。

大分空港を離陸し1時間40分後に羽田空港へ到着。しかし飛行機ってのは速いねぇ。フライト中暇なので藤井聡太のモノマネの特訓をしていたのだが、あまりに早く着くものだから一切上達しなかった。

費用・まとめ

乗車券…14000円(博多〜鹿児島中央の7200円+青春18きっぷ3日分の7200円)
特急券…10680円(たけぇ!)
飛行機代…0(マイル使用)
宿代、食費、観光費諸々…5万くらい
合計…約75000円

にちりんシーガイア号のせいで大分お金が掛かったが、その区間を鈍行で行った場合もう1日余計にかかる上に、何よりロマンがないので必要経費だったと考える。

ほとんど計画を立てずに行ったが、その割には、九州の自然、食、観光名所、鉄道を余すことなく堪能できた最高の旅であったと思う。

しかし九州を完全に満喫出来たわけではない。宮崎の高千穂峡、熊本の島原列島、長崎の五島列島、軍艦島など、九州にはまだまだ魅力的な場所がある。いつの日か必ず訪問して現地の雰囲気を肌で感じ、また旅行記を書こうと思う。

九州旅行記、終。

ここまでご覧頂きまして、ありがとうございました。

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