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選択のパラドックスについての研究レポート報告

選択の幅が多いと「正解」が見えなくなる実験

 あたしはとても親切な「教育者」なので、
学習者に「試験問題」を作成する際、
彼らは「記号を選ぶ問題を多くしてくれ」という
たっての希望に応え、オール「語群から選んで記号で答えよ」
という問題形式で試験を作成してあげました。

そこで、妙なことに気づいたのです。

ほぼ同じ内容なのに「語群」の設定数により、
「正答率」が違う
のです。
もちろん学習者は同じメンバーです。

1回目は100問の問題数に対し、20個の語群を、
各セクションごとに5つ設定しました。
つまり、セクションごと20とおりの答えを選択するというものです。

2回目はセクションを2つにまとめ、
50個の語群をそれぞれに2つ設定しました、
学習者はセクションにまとめられた各設問に対し
50とおりから選択
します。

3回目は全問に対する語群を1つにし、
100個の語群をラストに示し、100個の語群から
セクション関係なく選択
させました。

結果は、3回目がもっとも正答率が悪く、
空欄もかなりめだちました。
1回目の正答率がもっとも良かったのは
言うまでもありません。

この実験結果で、選択肢はなるべく絞ってあげた方が、
答えを導きやすいのではないのかという仮説が立ちます。

他にも同様の実験結果はないか、調べてみた

そこで、文献を検索してみると、興味深い研究が見いだされました。

スワースモア大学の心理学者、バリー・シュワルツ
2005年のTEDトークで、スーパーのサラダドレッシングの数から、
ショッピングモールのファッションスタイルに至るまで、
「人はできる限り多くの選択肢を持つべきだ」という
誤った考え
にとらわれている、という研究を紹介しました。

if we are interested in maximizing the welfare of our citizens,
もし我々が自らの市民の繁栄を最大限にすることに興味があるのなら
the way to do that is to maximize individual freedom.
その方法は個人の自由を最大限にすることである
The reason for this is both that freedom is in and of itself good,
その理由はひとつは自由そのものがいいことである
valuable, worthwhile, essential to being human.
貴重で、価値があり、人であることの根幹をなしているから
And because if people have freedom,
更に、もし人に自由が与えられれば
then each of us can act on our own to do the things that will maximize our welfare,
一人一人が個人に基づいて行動できる 我々自身の繁栄を最大限にするように行動し、
and no one has to decide on our behalf.
他の誰も我々のために決断をしないで済みます
The way to maximize freedom is to maximize choice.
自由を最大限にするには、選択を最大限与える事である
The more choice people have, the more freedom they have,
選択が多ければ、その分自由度は増し、
and the more freedom they have, the more welfare they have.
自由度が増せば、 その分繁栄する
This, I think, is so deeply embedded in the water supply
この考えが、私が思うに、あまりにも深く浸透しているため
that it wouldn't occur to anyone to question it.
誰もこれに異議を唱えようとすら思わないのです
And it's also deeply embedded in our lives.
またこれは我々の人生にも深く埋め込まれています

(中略)
We all know what's good about it,
我々はみんな良さについては知っています
so I'm going to talk about what's bad about it.
ですので私は悪い面について話したいと思います
All of this choice has two effects,
これら全ての選択には二つの効果があります
two negative effects on people.
二つの悪い効果です
One effect, paradoxically, is that it produces paralysis, rather than liberation.
一つは、矛盾しているのですが これが開放感ではなく無力感を生むということです
With so many options to choose from, people find it very difficult to choose at all.
あまりにも多くの選択肢を前にすると、 人は選択が非常に難しくなってしまいます

(後略)

決断はストレス。選択肢が多いほど決断の回数が増す

たとえば、神さんに「今日のおかず何にする?」と訊かれたとき、
もっとも不機嫌な顔をされるのが
「何でもいいよ」という答えです。
それじゃ決められないから!とキレられておしまいです。

「カレーかシチューのどっちか」というと、
「じゃあカレーにする。」とすんなり決まるのです。
ケンカにならず幸福感が増します。

選択の幅が広く、裁量権が大きくなると幸福そうに思えますが、
必ずしもそうではないようです。
なぜなら、「決断」という作業は
思った以上にストレスと精神力を消耗する
作業だからです。

事実、細かい選択も積もり積もれば疲弊する。
これは「決断疲れ」と呼ばれ、
家庭・仕事にかかわらず、
重要な決定の質を落とす可能性があることが知られています。

あたしも実感としてそれは感じておりました。
もう数年も前のことになりましたが、
その時と現在とでは、「心の余裕」が
まるで違う
ことにも気づいています。

 長丁場になるので、前編はここまでにしますね。

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